本の感想などをつらつらと。


by nino84
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『機動戦士ガンダムUC 7 黒いユニコーン』

『機動戦士ガンダムUC 7 黒いユニコーン』(福井晴敏、角川書店)を読みました。

ダカールで、黒い《ユニコーン》に捕縛されたバナージ。彼を乗せた《ラーカイラム》は、オードリーやリディも載せて、トリトン基地へと向かう。ジンネマン率いるジオンの一隊は、《ユニコーン》奪取の計画を立て、実行に移す。その混乱の中で、バナージはオードリーを奪還し、黒い《ユニコーン》とまみえ、マリーダとの接触を試みる。


ガルシア=マルケスさんの次が『ガンダム』というカオスさですが、連載されているものなので、たまたまこういうことにもなります。

さて、本作は『機動戦士ガンダムUC』シリーズの第7巻です。黒い《ユニコーン》、《バンシィ》の登場で、だんだん佳境らしくなってまいりました。が、最近はフル・フロンタルの影がものすごく薄いです。彼は、裏で暗躍することもできる人のようです。シャアという人は、あまりそういうことは得意ではない人だという印象があるので、再来といわれているフル・フロンタルも、そういう人なのだと思ったのですが。

閑話休題。今作で影の薄い人の話はさておき、本題に入りましょう。ダカールでマリーダ=プルトゥエルブに捕縛されたバナージは、《ラーカイラム》で捕虜となり、ラプラス・プログラムの指し示す次の座標についての尋問を受けつづけます。《ラーカイラム》では、バナージの叔母にあたるマーサ・ビスト・カーバインの命のもと、様々な事態が動き始めていました。マーサはマーセナス家に保護されていたオードリーを召喚し、マリーダを利用し、ラプラスの箱を安全に封印することを目指します。
あいかわらず、事態は《ユニコーン》とその機体が積むラプラス・プログラムを中心に動きますが、それと行動をともにするバナージはその事態の中で成長していきました。バナージは、自由になるただ一つのもの、こころを信じ、主義や主張からはなれて行動しようとします。しかし、その行動は、連邦ともジオンとも袂を分かつことを意味します。連邦はビスト財団や
ただ平和を求めることの難しさ。それを求めようとすれば、どうしても主義や主張が付きまといます。それを押し通すことによってしか達成できない平和は、すべてのものにとって平和たりえない。人類の歴史は争いの歴史だと誰かがいった。しかし、それだけで人間が生きてきたのではない。きれいごとではあっても、バナージは争いでは得られない平和を求めようとします。

一方、リディはマーセナス家とラプラスの箱の因縁を知り、知らず知らずそれに縛られた行動しかできなくなっていきます。それは主義を押し通すことであって、バナージとは相容れないものでした。それは生まれの不幸ではあるのですが、同じ境遇にあったオードリー=ミネバ・ザビは、自らの生まれの意味を乗り越え、リディではなく、バナージとともに歩むことを選びます。
また、マリーダは、やはり自らのプルトゥエルブという生まれに縛られ、それを壊そうともがきます。それが《バンシィ》に乗ることの意味でした。「《ガンダム》は敵」、とは彼女自身が敵であることで、それは彼女自身を否定することでした。それを受け容れるためには、ジンネマンという人が必要だったのです。
人は人と繋がることで、生きていかれます。マリーダも、オードリーもひとりではなく二人で、あるいは仲間とともにいることで、自らの意味づけをしていきます。それが人のつながりということであり、「個の意志の繋がり」ということでしょう。
こうして繋がる一方で、リディなど、繋がれない人もでてきます。バナージのしようとしていることは、主義や主張を超えるという主張をもっており、それ自体が新たな主張であるともいえます。もちろん、ただの言葉あそびではありますが、そのようにも見えるバナージの弁証法的な平和の求め方は、リディにとってはきれいごとにしか聞こえないのです。


ところで、サイコフレームは、人と人の心の繋がりを目視できるように表現します。人の心は目に見えず、分からないからこそ信じられないというのなら、人が視覚優位な種であるとするのなら、こうしたサイコフレームの表現するものは、人の救いになると思えます。「シャアの反乱」時に《νガンダム》のサイコフレームの表現する光が人を繋げたように、《ユニコーン》の表現するそれもそのようになれると信じられます。

こんな感じで、また次巻を待ちたいと思います。次回の舞台は再び宇宙です。
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by nino84 | 2009-01-03 10:07 | 読書メモ