本の感想などをつらつらと。


by nino84
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『アッシュベイビー』

『アッシュベイビー』(金原ひとみ、集英社文庫)を読みました。

私は、大学の同級生ホクトとルームシェアをしている。互いに部屋に入らず、干渉せずに暮らしてきたが、ある日、私はホクトの部屋に赤ん坊が連れ込まれていることに気づく。私は子どもが嫌いだ。そして私の体と精神が私に対して反乱を始めた。


また金原ひとみさんです。なんかこの短期間に2作も読むことになるとは思いませんでした。『AMEBIC』がよかったので、こちらも呼んでみようかと思いまして、今にいたっています。これもやはり読み終わってから1週間ほど経過してしまいました。それでも少しでも書いておこうと思います。

さて、本作の主人公はアヤというキャバクラ嬢です。先述のとおり、大学の同級生であるホクトとルームシェアをしています。そんな状況ですが、アヤは、ホクトは恋愛対象としてはみられず、むしろ彼の同僚、村野さんに好意を寄せています。
アヤとホクトはそれぞれの部屋に足を踏み入れることなく生活してきましたが、赤ん坊の声が、否応なく彼女をホクトの部屋に導きました。結果として、赤ん坊は、アヤとホクトの互いに独立しながらも自然であったルームシェア生活を、破壊しました。
アヤ自身が好意をもちながらも、友だちの友だちという遠い存在である村野さん、アヤはなかなか接触ができません。そんななかで、ホクトは赤ん坊にだけ興味を向けるということが明らかになり、アヤは自分が見捨てられたような、阻害されているような感覚を抱きます。アヤは自分の腿に果物ナイフを突き立て、そしてアヤの叫びが溢れてきます―「誰でもいい。求めてよ」、「大丈夫なの? って心配してよ」、「とにかく私だけ愛して欲しいの」、「っていうか、愛すな」。

『AMEBIC』同様、この時点で主人公アヤの水準の話に持っていくのが非常に自然だと思える私は、そういう学問分野にそれなりに染まってしまった人なのでしょう。子どもが嫌いなアヤが、近くにいる人を赤ん坊にとられるという体験。そもそも、子どもが嫌いだということの原因―これはあまり明らかにはなっていないように思うが―や、現在の環境で満たされない部分―村野さんに接触できないことなど―といった環境因も絡んでの、崩壊。現実生活はそれなりに送れている―次弟にあやしくなってきますが―様子ですが、なにかまとまりが緩んでいるように感じられます。
そのような状態になったアヤは、村野さんの影を追い求め、近しい人と次々とまぐわります。そして、村野さん自身ともまぐわるに至り、彼女は「彼を自分の物にするには、やっぱり殺してもらうしかないような気が」します。村野さんに殺されることで、彼女の好きという気持ちは固定化されて、ずっとそのままの存在でいられます。加えて、その無茶な願いをかなえてくれることは、それほどに村野さんは私に注意を向けてくれるという証拠でもあります。その後者の事実までも死んだ私は私の中に固定化することができます。なんと幸せなことか。
しかし、村野さんはそんなことはしてくれない。だから、アヤは形をもとめて、村野さんと結婚をします。そのようになっても、アヤは村野さんからの気持ちを感じることはできません。その怒りは、好意を寄せる村野さんにはむかず、弱いものに向かいます。すなわち、近所の小学校の鶏であり、同僚のオバさんであり、ペットショップのウサギであり、そしてホクトのもとにいる赤ん坊…。アヤはホクトに鶏、ウサギとまぐわらせ、破壊します。そして赤ちゃんをも破壊させようと試みますが、それは拒否されます。どれだけ他者を破壊しても、アヤは殺されず生き残ってしまいます。
こうして、生き残ってそして…、というところで、物語は唐突に終わっています。アヤは死にはしませんでしたが、アヤという自己の存在が消えたと読めます。


こんな自己の世界に生きているひとはいるのだろうか。これに真に理知的でなく共感できる人はいるのだろうか。そんなことを考えながら読んでいましたが、人の世界って分からない、難しいものね。
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by nino84 | 2009-01-21 02:31 | 読書メモ