本の感想などをつらつらと。


by nino84
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「戦いの今日」

「戦いの今日」(大江健三郎、『死者の奢り・飼育』新潮文庫収録)を読みました。

かれと弟は、かれの友人から受け取った反戦のパンフレットを米兵に配ってまわっていた。そんな折、かれらはひとりの娼婦と接触し、ある米兵が脱走するのを手助けして欲しいと頼まれる。かれらは迷いながらもそれを実行し、米兵を自宅へとかくまう。


『死者の奢り・飼育』もやっとこ最後の収録作品となりました。ですが、やはり随分前に呼んだ作品であることもあり、プロットを思い出せても、そこに付随する細かな感情などを十分に思い出せない自分がいます。「戦いの今日」が収録作品のなかではそこそこ長い作品であることで、丁寧に読み返す気も起きないというのもあって、斜め読みして思い出した筋をたよりに以下かいていこうと思います。

さて、本作の主人公「かれ」は、弟とともに生活する青年です。彼は政治的な主義・主張は何も持ち合わせていませんが、友人から渡されたパンフレットを配り、さらに米兵の脱走を手伝うに至ります。こうした行為は、それ自体が反戦の行為であって、朝鮮戦争当時の情勢から言えば、逮捕されて然るべきものです。
したがって、彼は米兵の脱走を持ちかけられたとき、その対応に苦慮します。それでも乗りかかった船からは、そう簡単に逃れられません。パンフレットの背後にいる集団が、かくまうことはできないといえば、そのパンフレットからでる行為の責任の一旦は「かれ」らにもあるのだから、結局、それを引き受けてしまうのです。貧乏な「かれ」らに米兵をかくまえる場所などそれほどあるはずもありません。結局、彼らは自宅に日本人の娼婦と連れの米兵とをかくまうことになってしまうのです。

脱走当初は連れ戻されることに怯えていた米兵アシュレイですが、時がたつに連れて、その恐怖を忘れていきます。緊張感を長く保つことは、エネルギーを使うことであって、それは難しいものです。そうした結果として、アシュレイを家から出られないことに対する倦怠が襲います。加えて、駐屯地からアシュレイの所属していた隊がいなくなった―朝鮮へいったのか、本国へ戻ったのかは分からない―ことも手伝い、アシュレイは兄弟と外出します。
兄弟はアシュレイの行動が無鉄砲だとは思いながらもそれを容認します。そしてともに映画をみ、ともに酒を飲みます。

アシュレイの行動は「賭け」でした。アメリカの田舎から出てきて、軍隊に志願したことが賭けなら、その軍隊が戦争に行くのかどうかわからないままで、脱走したことも賭けです。彼はその賭けに、感覚として、ことごとく負けたといえます。アメリカの田舎からでてきて、軍隊に入ったら戦争に駆り出され、日本に派遣される。そこで戦争はいやだと脱走してみたら、隊はどこかへいってしまう。軍隊に入らなかったら、脱走しなければ―。少なくとも今、拘束されることに怯えながらどこに行くこともできずに日々を暮らすようなことはなく、ジャップにかくまってもらうという屈辱を味わうことなく、映画も胸をはって見に行くことができたはず。そんな気持ちが彼の中で湧き起こります。
負けつづけた賭け。それでも、彼は賭けに勝とうと、酒場で弟を相手に賭けをします。そして彼は、その賭けに勝った瞬間に、それまでの負けの鬱憤を晴らすのです。その一度の勝ちが、彼にまた賭けつづける勇気を与えます。ただしその勇気には冷静な思考は働いておらず、大部分が誇大感であって、無茶と隣り合わせのものです。世話になっている兄弟を見下す、連れの娼婦を見下す。それは、世間から隠れながら、自分のアメリカ人としてのプライドを保持できるか、という賭けです。結局、やってみればその賭けは負けに終わり、彼は兄弟の家に居場所を失い、出て行くしかなくなります。

一方、「かれ」としては、アシュレイを隠しとおしたいという思いと、この重責から逃れたいという思いの二つが絶えず続いていきます。しかし、「かれ」は賭けません。決して重責から逃れられる「かもしれない」からと、リスクを犯すことはしません。アシュレイを自宅に招くのだし、酒場で馬鹿にされても彼をかくまいつづけるのです。「かれ」の行動には常に責任がつきまとっており、彼はそれを放棄することをしません。パンフレットを配ったという考えなしの行動が招いた責任、その全てを彼は抱えていこうとするのです。だから、彼の中には二つの相反する思いが渦巻いています。

アシュレイには、自分の招いた責任を全うしようという考えはありません。その場その場で賭けるのです。その結果、その行動には一貫性がなくなり、最後に一旦自首をしようとしながら、逃げるという行為に及びます。自首をするなら、きっぱりしなければならなかった。逃げつづけるなら逃げつづけなければいけなかったのです。それぞれのリスクを考える時間はあったはずなのに、彼は自分でその時間のタイムリミットを作ってしまった。その結果が、中途半端な行動に現れてきます。


ここまで書きながら、読みながら書いてきましたが、自分の中で作品のキーワードが見つかって、それなりの形になってよかったです。「賭け」というのがキーワードになっているのかな、と思って書きました。斜め読みでそこが目に付いたのでとりあえず飛びついてみましたが、「かれ」とアシュレイとがうまく対比されているように考えられているのかな、と思いました。
ただ「かれ」の行動も、アシュレイの行動もいずれも人間らしいものなのでしょう。もともと人間はアシュレイのように脆弱な存在であるともいえるし、その脆弱さのなかでしかし「かれ」のようにその弱さをなんとか抱えていくこともできえると思います。「かれ」自身もそれほど自分の行動を割り切れているわけではないのであって、悩む姿が多く描かれ、弱さが描かれており、その強さが強調されているわけではないのが、面白いですね。
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by nino84 | 2009-02-22 12:04 | 読書メモ