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本の感想などをつらつらと。


by nino84
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「沖で待つ」

「沖で待つ」(絲山秋子、『沖で待つ』文春文庫収録)を読みました。

私と太っちゃんは福岡の営業所の同期でした。赴任の挨拶、先輩のもとについての研修、そして独立してからの営業。ときには街に一緒に繰り出したりもしていました。私たちは同期として互いに支え合っていたのです。そんな太っちゃんが死にました。
私は太っちゃんとの約束を果たすために彼の自宅へと向かっている。


前回の「勤労感謝の日」について書いてから、かなり時間が経ってしまいました。その間に2冊も読んでしまいましたが、あらためて『沖で待つ』に戻ってきました。今回扱うのは、表題作であり芥川賞受賞作品である作品です。

さて、本作の主人公、「私」はとある会社で働く女性です。本作はそんな「私」と太っちゃんとの関係性を描いています。女と男でありながら、そこには恋愛感情ではない、全く別種の信頼関係がある、そんな独特な関係を描いているのです。

考えてみれば、会社というのは人生でもっとも長い期間所属している場所です。その長い職業生活のなか、一番最初の赴任地で共に苦楽をともにしてきた人。互いに支え合い、互いの成功や失敗をずっとみてきた人。互いに別の営業所に異動しても、また再会すればそのときの思い出話に花が咲く。互いに別の場所にいても、同じ会社にいるわけで、そこで積んでいくキャリアは似たようなものになるのでしょう。だからこそ、たまの再会でも互いの話でもりあがれるのでしょう。社会人としての根っこが同じだから、どこか特別な感じがする人。それが同期なのだそうです。

私がまだ若輩なもので、こういう感覚はなかなか共有しにくかったりします。もちろん、男女間で友情が成り立つとは思うのです。たとえば、小中学校の同級生と会えばまたそれはそれで男女関係をさっ引いて話もできるというものです。しかし、小中学校の同級生は根っこはおなじなのでしょうが、その後の進路が大きく異なっていきます。高校を卒業してすぐに働き出す人、大学に行く人、大学院まで進む人、フリーター、会社員、医者・・・。根っこが同じであっても彼らの可能性は無限にあるのであって、その後の人生を共有することは、それぞれが想像を逞しくしなければ、簡単にはできません。
その点、会社の同期は違います。同じ会社で働き始め、そこでキャリアを積んでいくのだから、話が共有しやすい。そこでは、小中学校の同級生とはまた別の関係が生まれてきましょう。

そうはいっても、実感が湧かないこともあり、上記のようなことでちょっと分かった気になるくらいなものです。それまでの関係との違いはそうして理解しうるものの、やはり実感が伴わないこともあって、どうもしっくりきません。まるで男女間で友情とかいった関係が成立しうるのは特別なことだ、といっているように思えてしまうのがなんだかいけません。
おそらく筆者が言いたいのは、そこではなく、会社の同期の関係性でしょう。そうしたことからいえば、性別の差異が扱われているのは、おまけにすぎないと思えます。あるいは、女性側の視点からみれば、男性と同等でいられるという点において、重要なことなのかもしれません。著者は女性ですし、会社で働いた経験もあるということで、おそらく会社の中では性別による差(別)を感じながらも、同期という関係においてはそれが特に気にされるような関係ではないと感じたのでしょう。ただ、男女という部分が否応なく強調されてしまうので、私としては少し違和感のあるものとなってしまいました。
もちろん、同期の関係性の特別さ、というのがそのことで損なわれているわけではありません。むしろ、異性間でのそれを描くことで特別さが強調されている面もあります。ただなんとなくピンぼけかな、という気が私はしました。

とはいえ、経験が決定的に不足している私が頭で理解していることですから、現実はまた違うのかもしれず、働いて長い人が読んだら、また別の感想を持つのかもしれませんね。
by nino84 | 2009-03-06 22:37 | 読書メモ