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本の感想などをつらつらと。


by nino84
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『存在の耐えられない軽さ』

『存在の耐えられない軽さ』(ミラン・クンデラ, 1984)を読了。翻訳は千野栄一さんです。

ちなみに、著者は1929年チェコスロバキア生まれ。つまり、「プラハの春」を経験し、その後の現実をみた人の1人です。本作は、一般に恋愛小説に分類されていますが、恋愛小説でありながら、暗い雰囲気の作品です。全体的に暗い感じを受けるのは作者の経験が、ソ連の侵攻以後の母国の姿をしっかりと描かせるからでしょう。

とにかく、あらすじを書きましょうか。

外科医であるトマーシュは、たまたま訪れた田舎の、たまたま入ったレストランで、テレザという女性と出会う。それまで彼は多くの女性を経験してきたが、深い関係には一度もなかった。しかし、彼女は違った。トマーシュは彼女を愛した。そして、テレザも彼を愛した。
そして、彼らはプラハで過ごし始める。しかし、二人の暮らしは決して安定しなかった。トマーシュは愛人を持つことをやめられなかったのである。それは彼の性(さが)であった。それを理解しつつも、テレザはそれを受け入れられない。
そんな中、ソ連軍が侵攻し始め……。


いつもより、あらすじが長いのは、僕が物語をあまり整理できてないからでしょう。反省。

二人の心の動きは細かく描写されますから、たぶん、恋愛小説として読むには容易いし、面白い本でしょう。しかし、おそらく多くの人が唯の恋愛小説としてこの作品を読むことはできないだろうと思います。

それは先に書いたとおり、彼がソ連の侵攻を経験したことに因ります。もしトマーシュとテレザの恋愛がパリ(クンデラの亡命先)で行われたら、この作品は唯の恋愛小説であったでしょう。しかし、舞台はあくまでもプラハであり、チェコです。抑圧される人々を、彼は作品に絡めないわけにはいきません。そして、彼はそうした抑圧された人々をとても巧みに描いています。
この点が、この作品を難解にしている理由の一つだと考えられます。

そして、もう一点、この作品を難解にしていると思われるのが、作品の冒頭に代表されるような、抽象論が随所に出てくることです。この作品の冒頭は、「永劫回帰という考えは秘密に包まれていて、…」となっています。何処が恋愛小説なのか分からなくなります。
しかし、タイトルにある「軽さ」の一部は、物事が永遠に繰り返すという「重さ」に対応したものであり、著者の思想がこうした抽象的な(そして難解な)文章の中に組み込まれていることは明らかです。(もっとも、元々小説の中に不要な部分などないのが自然ですから、こうしたことは当然ではあるのですが。)
そして、こうした抽象的な部分は、この作品、それ自体の解説となっているのでしょうが、その部分が難しいために、後半になるに従って著者と僕(読者とするのは高慢でしょう)との乖離が進み、僕が著者の思想に近づくことが困難になったと感じます。

表面的に読むことはできたと思うのですが、この作品を「理解した」と思えないのは、僕の中で、そうしたことが起こったからです。(解説書がいくつかあるようなので、見つけたら、読んでみようと思います。その解説物が、また難解である可能性もあるのですが…。)

さて、ここまで書いてきましたが、まだ一度もトマーシュとテレザについて触れていません。
この二人について僕が(辛うじて)理解したことは、あらすじの中にすべて書かれていると言っていいでしょう。あのような性格の彼らがどのような結論に達するのか、それは最後の落ちですから、ここでは触れません。ただ、角川書店が「究極の恋愛小説」と銘打つのが分かる、恋愛小説らしいラストではあります。


余談ですが、この作品は映画化されていて、DVDが発売されているようです。ただ、映像という表現方法でこの作品が本当に表現できるのかは疑問でなりません。どうなんでしょうね。
by nino84 | 2005-09-16 10:38 | 読書メモ