『サマーウォーズ』
2009年 08月 13日
『サマーウォーズ』を観ました。
数学オリンピック日本代表にあと一歩だった高校生、健二は、物理部の先輩、夏希からバイトをお願いされる。東京駅に呼び出され、たどり着いた先は、夏希の実家。曰く、「大おばあちゃんの誕生日で、一族が集まるの」。曰く、「私の彼氏の振りをしてくれない?」。
ごまかしながらも、なんとか彼氏の振りを続けた一日を終え、眠ろうとする健二に一通のメールが届く。そこには2000文字を超える数字の羅列。暗号。健二はそれを一心不乱に解き、回答を返信し、眠りについた。
――翌朝、世界最大の登録人数を誇るネットサービスOZが変調をきたす。そしてその犯人としてテレビで報道されていたのは、健二その人だった。
本作は『時をかける少女』以来の細田守さんの監督作品です。ただ、ネットが舞台になってたりと、どちらかというと、『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』に近いかな、という感じもありました。細田さんのネットの描写はポップな感じがするビジュアル的にも、別に良いとか悪いとか評価を伴わない感じも好きです。
さて、本作は、陣内家の人々を中心に話が進みます。陣内家は代々続く旧家で、大ばあちゃんを筆頭に、孫、ひ孫の代まで20名程の大家族です。本作では、大ばあちゃんの90歳の誕生日にあわせて、一家が集まってくる、ということで、その20名程が上田にある大ばあちゃんの家に一同に会します。そのなかに夏希もおり、そして、夏希は最近体調が優れないという大ばあちゃんを元気づけるために彼氏を連れていきたいと、バイト=健二を雇って、上田を訪れるのです。
20数名を超える神内家。上映時間中にすべての人の名前を覚えることはできませんでしたが、それでも、職業などで、意外とキャラがそれぞれきっちり立っているので、意外と違和感なく、楽しむことができました。
そして、そんな大家族のなかに突然放り込まれた健二。彼は数学オリンピック日本代表にあと一歩とどかなかった経歴の持ち主で、夏希に憧れる高校生です。所謂、文化系の冴えない男子高校生ですね。
そういえば、『時をかける少女』も高校生でしたが、なんとなくそちらの方が、もう少し大人びてたかな、という印象があります。前回は恋愛でしたが、今回は陣内家を中心に話が展開していくので、家族愛みたいなものがメインですし、そういうテーマの面での関連もあるのかもしれません。『Time waits for no one.』と、全作はかなり青春まっただなか!という感じがありましたしね。
そんな人たちが展開する『サマーウォーズ』。結論から言えば、かなり面白かった。アニメだから、というか、作品の性質上、現実は現実としてしっかり締める一方で、ネットの世界は自由に描けるので、そうした表現の幅によって、いろいろなものがストレートに表現されていて、わかりやすいのが大きい。
特に、現実世界では大ばあちゃんの存在が大きかった。大じいちゃん亡き後、陣内家を支えてきた彼女は、90歳になる今でも凛としていて、格好いい。彼女は陣内家の大黒柱として神内家を支えている。彼女を中心に陣内家は繋がっている。
そこに健二という他人が、表向きは夏希のフィアンセとして、入り込んでくるのである。他人である健二も、大ばあちゃんに認められることで、陣内家に自然にとけ込んでいくことができたのである。
ネット上でOZがトラブルを起こすと、ネット上で管理されたすべてのシステムが変調をきたす。都市機能はマヒし、飛行機は飛ばない。交通も完全にストップしてしまう。
こうした、ネットの危険性を表現した作品は多い。実際、細田さんにしても、『デジモン・アドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』でネットでのトラブルが現実世界に問題を引き起こす様を描いていた。細田さんは『デジモン』では家族というのは、重視せず、しかし、「ネット上でつながる人」というのを重視した―主人公が小学生ということもあり、友達通しのつながりというのが強調された。そうしてネットの可能性を示した。それはネットの善悪という話ではなく、ネットはあくまで道具だということである。電話回線―『デジモン』制作当時は電話回線でのネットが一般的であった―の向こう側にいる人と通じ合える、そういう可能性である。
そして、今作である。今作もネットを介しての現実世界のトラブル、というのを描きながらも、しかし、より現実世界のつながりを重視している。すなわち、一つ屋根の下にいる家族というつながりである。それに加えて、大ばあちゃんの生の声で日本中に繋がる関係である。OZのトラブルが生じた際、彼女は、自分の知人に片端から連絡し、ただ励ます。それがどのように影響したのかは分からないが、現実世界では死者はでず、問題は一応の落ち着きを取り戻す。実際、国レベルで考えたとき、彼女の電話の影響力は微々たるものだろう。
しかし、そうして電話をしつづける姿を実際に見た健二に与える影響は大きかった。だから、彼は翌日、できることはやるべき、と陣内家のなかで発言する。その発言は女たちに退けられるのだが、しかし、陣内家の一部の男たちを動かす。
大ばあちゃんがおこした波が、健二をうごかし、陣内家の男たちを動かし、そして陣内家全体を一つへとまとめていく。そして、OZである。そこはいまだ混乱の続く世界である。しかし、そこは世界と繋がっている。10億人と繋がれる場所である。陣内家から発した波がOZを通じて世界をつなげる。
こうしてみて、面白いのは、この時点で健二が人を繋ぐ以外の役割を果たしていないことである。OZをハッキングしたプログラムに対抗するためのスーパーコンピュータは、陣内家の男たちが用意するし、作戦の実行メインではアバター「キングカズマ」の所有者である陣内家の男の子が担当する。その後の「延長戦」でもメインは夏希である。
適材適所で、それぞれがそれぞれの役割をきちんと果たすことで、物語が展開していく。健二がその能力を生かして活躍するのは、物語の最後、世界が一応の平穏を取り戻した後である。それは世界を救うためというより、陣内家を救うためである。作品の中盤から最後まで、健二は大おばあちゃんのポジションにいた。彼は、ただひとりのよそ者でありながら、陣内家をつなぎ、陣内家を守るのである。
個人的には、健二が陣内家が家を捨てていこうとする中で、「まだ終わってない」とひとり家に残って危機に立ち向かおうとしていた場面が一番好きだ。2分でOZの暗号を3回解き、しかも最後は暗算(笑)。そんな自分の適材でもって、陣内家を救い、そして――すいません。ここまできたら結末までいきます。
詳細はともかく、結局、彼は陣内家に認められて、一員になるわけである。ここまで陣内家を繋いでおいて終わった瞬間に赤の他人では、テーマ―家族愛とか、人の繋がりの大切さとか、と少なくとも僕は観ていた―としてもねじれが生じるので、自然な帰結でしょう。その方法はともかくね。
そうやってみると、面白いのは、健二の立ち位置である。彼は最初、肩書きだけ陣内家の一員であった。つまり「夏希のフィアンセ」。しかし、その肩書きがなくなり、一度は陣内家を追い出される。その後、幸運にも戻ってこられた陣内家で、一緒に行動していく中で、彼は肩書きはないのに、陣内家の一員として自然に認められるのである。
本来、人間関係というのは、肩書きとかレッテルでやるわけではないはずである。しかし、そういうものがあった方が立場がはっきりしている分それをはかる必要はなく、その距離感が実際的に正しいかどうかはともかくとして、無駄なエネルギーは使わなくてすむ。そういう省エネな関係が横行しているなかでこういうエネルギー過多な関係づくりをストレートにみせられると、ハッとさせられる。
数学オリンピック日本代表にあと一歩だった高校生、健二は、物理部の先輩、夏希からバイトをお願いされる。東京駅に呼び出され、たどり着いた先は、夏希の実家。曰く、「大おばあちゃんの誕生日で、一族が集まるの」。曰く、「私の彼氏の振りをしてくれない?」。
ごまかしながらも、なんとか彼氏の振りを続けた一日を終え、眠ろうとする健二に一通のメールが届く。そこには2000文字を超える数字の羅列。暗号。健二はそれを一心不乱に解き、回答を返信し、眠りについた。
――翌朝、世界最大の登録人数を誇るネットサービスOZが変調をきたす。そしてその犯人としてテレビで報道されていたのは、健二その人だった。
本作は『時をかける少女』以来の細田守さんの監督作品です。ただ、ネットが舞台になってたりと、どちらかというと、『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』に近いかな、という感じもありました。細田さんのネットの描写はポップな感じがするビジュアル的にも、別に良いとか悪いとか評価を伴わない感じも好きです。
さて、本作は、陣内家の人々を中心に話が進みます。陣内家は代々続く旧家で、大ばあちゃんを筆頭に、孫、ひ孫の代まで20名程の大家族です。本作では、大ばあちゃんの90歳の誕生日にあわせて、一家が集まってくる、ということで、その20名程が上田にある大ばあちゃんの家に一同に会します。そのなかに夏希もおり、そして、夏希は最近体調が優れないという大ばあちゃんを元気づけるために彼氏を連れていきたいと、バイト=健二を雇って、上田を訪れるのです。
20数名を超える神内家。上映時間中にすべての人の名前を覚えることはできませんでしたが、それでも、職業などで、意外とキャラがそれぞれきっちり立っているので、意外と違和感なく、楽しむことができました。
そして、そんな大家族のなかに突然放り込まれた健二。彼は数学オリンピック日本代表にあと一歩とどかなかった経歴の持ち主で、夏希に憧れる高校生です。所謂、文化系の冴えない男子高校生ですね。
そういえば、『時をかける少女』も高校生でしたが、なんとなくそちらの方が、もう少し大人びてたかな、という印象があります。前回は恋愛でしたが、今回は陣内家を中心に話が展開していくので、家族愛みたいなものがメインですし、そういうテーマの面での関連もあるのかもしれません。『Time waits for no one.』と、全作はかなり青春まっただなか!という感じがありましたしね。
そんな人たちが展開する『サマーウォーズ』。結論から言えば、かなり面白かった。アニメだから、というか、作品の性質上、現実は現実としてしっかり締める一方で、ネットの世界は自由に描けるので、そうした表現の幅によって、いろいろなものがストレートに表現されていて、わかりやすいのが大きい。
特に、現実世界では大ばあちゃんの存在が大きかった。大じいちゃん亡き後、陣内家を支えてきた彼女は、90歳になる今でも凛としていて、格好いい。彼女は陣内家の大黒柱として神内家を支えている。彼女を中心に陣内家は繋がっている。
そこに健二という他人が、表向きは夏希のフィアンセとして、入り込んでくるのである。他人である健二も、大ばあちゃんに認められることで、陣内家に自然にとけ込んでいくことができたのである。
ネット上でOZがトラブルを起こすと、ネット上で管理されたすべてのシステムが変調をきたす。都市機能はマヒし、飛行機は飛ばない。交通も完全にストップしてしまう。
こうした、ネットの危険性を表現した作品は多い。実際、細田さんにしても、『デジモン・アドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』でネットでのトラブルが現実世界に問題を引き起こす様を描いていた。細田さんは『デジモン』では家族というのは、重視せず、しかし、「ネット上でつながる人」というのを重視した―主人公が小学生ということもあり、友達通しのつながりというのが強調された。そうしてネットの可能性を示した。それはネットの善悪という話ではなく、ネットはあくまで道具だということである。電話回線―『デジモン』制作当時は電話回線でのネットが一般的であった―の向こう側にいる人と通じ合える、そういう可能性である。
そして、今作である。今作もネットを介しての現実世界のトラブル、というのを描きながらも、しかし、より現実世界のつながりを重視している。すなわち、一つ屋根の下にいる家族というつながりである。それに加えて、大ばあちゃんの生の声で日本中に繋がる関係である。OZのトラブルが生じた際、彼女は、自分の知人に片端から連絡し、ただ励ます。それがどのように影響したのかは分からないが、現実世界では死者はでず、問題は一応の落ち着きを取り戻す。実際、国レベルで考えたとき、彼女の電話の影響力は微々たるものだろう。
しかし、そうして電話をしつづける姿を実際に見た健二に与える影響は大きかった。だから、彼は翌日、できることはやるべき、と陣内家のなかで発言する。その発言は女たちに退けられるのだが、しかし、陣内家の一部の男たちを動かす。
大ばあちゃんがおこした波が、健二をうごかし、陣内家の男たちを動かし、そして陣内家全体を一つへとまとめていく。そして、OZである。そこはいまだ混乱の続く世界である。しかし、そこは世界と繋がっている。10億人と繋がれる場所である。陣内家から発した波がOZを通じて世界をつなげる。
こうしてみて、面白いのは、この時点で健二が人を繋ぐ以外の役割を果たしていないことである。OZをハッキングしたプログラムに対抗するためのスーパーコンピュータは、陣内家の男たちが用意するし、作戦の実行メインではアバター「キングカズマ」の所有者である陣内家の男の子が担当する。その後の「延長戦」でもメインは夏希である。
適材適所で、それぞれがそれぞれの役割をきちんと果たすことで、物語が展開していく。健二がその能力を生かして活躍するのは、物語の最後、世界が一応の平穏を取り戻した後である。それは世界を救うためというより、陣内家を救うためである。作品の中盤から最後まで、健二は大おばあちゃんのポジションにいた。彼は、ただひとりのよそ者でありながら、陣内家をつなぎ、陣内家を守るのである。
個人的には、健二が陣内家が家を捨てていこうとする中で、「まだ終わってない」とひとり家に残って危機に立ち向かおうとしていた場面が一番好きだ。2分でOZの暗号を3回解き、しかも最後は暗算(笑)。そんな自分の適材でもって、陣内家を救い、そして――すいません。ここまできたら結末までいきます。
詳細はともかく、結局、彼は陣内家に認められて、一員になるわけである。ここまで陣内家を繋いでおいて終わった瞬間に赤の他人では、テーマ―家族愛とか、人の繋がりの大切さとか、と少なくとも僕は観ていた―としてもねじれが生じるので、自然な帰結でしょう。その方法はともかくね。
そうやってみると、面白いのは、健二の立ち位置である。彼は最初、肩書きだけ陣内家の一員であった。つまり「夏希のフィアンセ」。しかし、その肩書きがなくなり、一度は陣内家を追い出される。その後、幸運にも戻ってこられた陣内家で、一緒に行動していく中で、彼は肩書きはないのに、陣内家の一員として自然に認められるのである。
本来、人間関係というのは、肩書きとかレッテルでやるわけではないはずである。しかし、そういうものがあった方が立場がはっきりしている分それをはかる必要はなく、その距離感が実際的に正しいかどうかはともかくとして、無駄なエネルギーは使わなくてすむ。そういう省エネな関係が横行しているなかでこういうエネルギー過多な関係づくりをストレートにみせられると、ハッとさせられる。
by nino84
| 2009-08-13 00:31
| 視聴メモ