本の感想などをつらつらと。


by nino84
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『さいはての島へ ゲド戦記3』

『さいはての島へ ゲド戦記3』(ル・グウィン、清水真砂子訳、岩波書店)を読みました。

こわれた腕環はひとつされ、アースシーに失われた文字がとりもどされた。そして二十数年の時が流れる…。ゲドはロークの魔法学院で大賢人となった。
ある日彼はエンラッドよりの使者であり王子であるアレンという少年から、世界の異常の一端を知らされる。世界から魔法が失われつつあるというのである。そこでゲドとアレンはともにその原因を探る旅に出る…。


ゲド戦記の3作目です。ゲドも随分年をとりました。今回もゲドと行動を共にするのは子どもで、ただし今回はアレンという少年です。ゲドは彼に大きな可能性を感じ、魔法使いの素質がみられないにもかかわらず、旅のともとして彼を選ぶ。少年の可能性は無限である。彼はアースシーの魔法使いの頂点である大賢人をしてできないことをやることになる。
とはいえ、アレン一人でそれができるわけではない。今作でもゲドの役割は少年を援助することである。ゲドはアレンに対して「おぬしに私がついてきたのだ」という。アレンはその言葉に混乱するが、実際アレンこそがこの旅の主人なのである。


思えば、ゲド戦記の主人公はつねに少年、少女である。1作目はゲド。2作目がテナー。そして3作目がアレン。彼らはつねに迷っている。ゲドは友人に、テナーとアレンは大人に、それぞれ助けられ、その目的を達する。それは現実世界に生きる少年、少女が発達課題をクリアしていくのに似ている。少年、少女には力がある。自分たちで困難を克服する選択をすることができる。しかし彼らはその力に気づかない。だからこそ、友人や大人が彼らを助ける。彼らに彼らの可能性を時に暗に、時にはっきりと、示す。
この一連の作品を通して描かれるのは、少年、少女がその内に大きな力を秘めているということ。彼らにとって友人は大きな財産であること。そして、大人はその力を引き出すように少年、少女を導く必要があることといえるであろう。
このように考えれば、ゲド戦記が少年、少女のためのファンタジーという範疇に収まらない、大人たちにも教唆を与える作品であるといえよう。
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by nino84 | 2006-06-14 17:26 | 読書メモ