本の感想などをつらつらと。


by nino84
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「駈込み訴え」

「駈込み訴え」(太宰治、『走れメロス』新潮社収録)を読みました。

あの人を捕らえて下さい。あの人は酷い。酷い人だ。
いや、あの人は清貧であり、美しいのだ。だからこそもう耐えられない。あの人は誰かに支配されてはいけない。それがたとえ愛であっても。
先刻あの人は言ったのです。「おまえたちのうちの、一人が、私を売る」と。もう耐えられなかったのです。
お金ですか。いただきます。私は商人ですから。私は、お金ほしさにあのひとについて歩いたのです…。



確かに「私」は「あの人」を愛しているのだ。でも、だからこそ、「あの人」には永遠に清貧であり、美しくあってほしかったのだ。おそらく、「私」は「あの人」のために奉仕できればそれでよかったのだ。報われないと思ってはいけなかったのだ。かれは気高いのだから。「私」の些細な気の迷いだったのだ…。
そのように納得したときには、しかし、彼は他の女を愛していたのだ。…だが、これでさえも「私」の嫉妬ではないのか。醜いのは「私」の心ではないのか。「あの人」はいつだって清貧で美しかったのではないか。
そうして「あの人」への信仰を新たにしたときに、「私」は「あの人」に疑われていたことを知った。
今まで尽くしてきた「あの人」に疑われた。もう、「私」は一緒にはいられない。だから、「私」はむしろ自身の手で「あの人」を売る。「あの人」は「私」のものなのだから。
そうして「あの人」の中にこの訴えの原因をさがしながらも、「私」は結局自分にその原因を被せる。結局、「私」は最後まで「あの人」を愛していたのだ。だから、「あの人」には清く、美しくあってほしかったのだろう。

と、断定口調で書いてみました。あくまで感想です。

典型的なアンビバレントな感情なのでしょう。憎悪と愛情。「私」は訴えを続ける中で、合理化を図ります。その過程がざっと、「私」の一人称で書かれることで、かなり迫力、凄みといえるようなものがでていると感じます。
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by nino84 | 2006-08-12 19:16 | 読書メモ