本の感想などをつらつらと。


by nino84
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『風の万里 黎明の空 十二国記』

『風の万里 黎明の空 十二国記』(小野不由美、講談社X文庫)を読みました。

延王の助力を受け、偽王をたおし、2ヶ月あまり。陽子は景王として即位式に臨む。
しかし、王になったとはいえ、朝廷内には先代に仕えた官吏が多く、陽子が海客であることもあって、あなどられ思うように政はすすまない。
時を同じくして、北方の芳、西方の才から、少女が慶へと旅立つ。それぞれが景王に対する思いを胸に秘めて…。



今作は、陽子、祥瓊、鈴の女性3人を主軸にした物語です。
景王陽子の悩み、はこの世界を知らないこと。まわりに味方がいないこと。
政治も知らず、この世界も知らず、何ができるのか分からない。「よい国」とは何で、どのようなものなのか分からない。分からないことは多いが、そのなかでもやっていかなければいけない。自分の能力の範囲内で、何ができるのか、それを正確に見極めることが、まずむずかしい。何が分からないのか、それを知らなければ、先へ進めない。幸い、彼女は自分を省みることができるひとだから、なにが分からないのかを具体的に知ろうとしていく。
一方、芳国公主―王の娘―、祥瓊の苦しさは、公主としての地位を剥奪され、下男に貶められたこと。
父である峯王は圧政を敷いた。祥瓊は公主として宮殿の奥で、周囲のものには敬われて当然、そういう暮らしをしてきた。王という地位に責任があるように、公主にも責任があってしかるべきであって、圧政を敷いてきた父の行い、また民の現状を知らないのは罪だ、そういって下男に貶められた。祥瓊は、知らなかったことを責められても、仕方がないという。知ろうとしなかった自分を省みることはない。
また、才国の仙のもとで下僕として働く鈴の苦しさは、海客である自分をだれも理解してくれないこと。終生、故郷に帰れないこと。
故郷に帰れず、父も母もおらず、自分だけで生きていくしかない。自分は海客だから、特別不幸なんだ。そう思う。周りを見ることをせず、ただひたすら自分の不幸を嘆く。

無知の知。人間誰でも自分本位になりやすいから、無知を自覚するのは難しい。なにが分からないのか、なにを知らないのか、分からない。陽子は無知を知っていた。そしてそれを解決するために、行動した。祥瓊と鈴は無知を知らなかった。だから、行動できなかった。この差は大きい。
以前『わかったつもり 読解力がつかない本当の理由』という本を読んだことがあるが、なんでも読めば「わかったつもり」になれる。読み物は分かりやすいように書いてあるのであって、わからないようには書いてないのだから、当たり前だ。問題はそこから先のことなのだろう。本を読んで、それが常に行動に結びつくわけではないが、そこから何を得たかは自分の中ではっきりさせておく必要がある。でなければ、自分がなにを知らず、何を知っていたのか、そしてそれがどう変わったのかがわからず、ただ読んだ、ただ知ったで終わってしまう。それはもったいないと思う。



ところで最近、十二国記シリーズばかり読んでいますが、このシリーズはどうも説教臭いですね。ファンタジーだからこそいろいろな部分を強調できる、と以前書きましたが、いよいよ教養本に近いように感じます。NHKがアニメ化するわけですよね。それっぽい。
こういう本、僕は好きですけど、結局好みが分れるんでしょうね。一方で、異端文学と一般に言われるようなものも、僕は好きですが、そういう本は本当に楽しみで読める。人物の突飛な行動が面白いのだ。たぶん、こうして文章を書くことがなければ、「キモい」の一言で終れる。そんな気がする。それも読書の形だとは思う。

読む本の好き不好きってのは、読書で何が得たいかなんでしょうね。読書で教養なんか得たくない、生きた知識しかいらないと思えば、そういう本は読まなくて良い。マンガみたいに軽く読みたいと思えば、そういう本を選べばいい。どの本をどのように捉えるかは、人それぞれだから、つまるところ十人十色の読書の形があるのだろう。ふとそう思った。
だから、世に出回っているどんな作品も賞賛できるし、批判できる。だったら僕は、少なくともどのように捉えて読んで、その結果どうだったのか―つまり、面白かったのか、つまらなかったのか―を認識しておく必要があるのかな。
そうやっておいて、たまたまここを読んだ人に読書の形まで強制することになったら、それはなにか違うかなという気もするが…。
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by nino84 | 2006-09-22 14:40 | 読書メモ