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本の感想などをつらつらと。


by nino84
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「R62号の発明」

「R62号の発明」(安部公房、『R62号の発明・鉛の卵』新潮文庫)を読みました。

自殺をする直前に引き留められ、死体としてスカウトされた技師はある施設でロボットにされてしまった…。そして、彼は休むことなく働かされ、ある機械を作製した。はたしてその機械の機能とは?


生産性を向上させるためには、人がいかに怠惰になり得ない環境をつくるかにかかっている。そこで、機械である。機械とは、命令には絶対に従い、怠惰になることなどない。したがって、生産性を向上させるには、人が機械になればよい。
はたしてその実験台がR62号である。
そして、人が機械に使われることが怠惰を防ぐことだとする。したがって、R62号が機械を作り、それを人が使うということになれば、機械に使われる、生産性の高い人が大変な勢いで増えていくことになる。

しかし、人には感情があるが、機械には感情がない。機械がつくった機械には感情の入り込む余地はない。それで人の生産性を向上させるために、罰をあたえる、恐怖をあたえるという方法をとったならば、その罰は容赦のないものになる。

たしかに、人が怠惰になるのは生産性を落とすことである。しかし、人を完全に否定することは悲しい。機械にはないものが人にはあって、それがあるからこそ、人の社会は発達してきたと思える。それは心、であり感情である。
たとえば不便を感じ、面倒だと思う心があるからこそ、それを改善しようと何かを発明したりする。発展の原点は感情の揺らぎである。それがなければ発展はないといえる。

ただ、R62号の発明に関しては、見方によっては人の感情を分かっているのではないかと思える作りになっている。罰を与え、人を有用に使おうとするとすれば、その間に罰を与えると人が「なぜか必死になってくれる」。そういうことを知っていなければ作中の機械はつくれない。
もちろん、因果を知っていれば、それでいいのだが、もとが人なだけに、どれだけ感情が鈍化されたのかという疑問がのこる。感情が鈍化されたとはいえ、残っていてかなりの影響をあたえたのか。だとすれば人の情念とはそれほどまでに強いということである。それとも機械の因果の推理がそれほどまでに残酷なのか。
いずれにしても、怖い結末ではある。
by nino84 | 2006-10-05 23:23 | 読書メモ