本の感想などをつらつらと。


by nino84
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「棒」

「棒」(安部公房、『R62号の発明・鉛の卵』新潮文庫収録)を読みました。

むし暑い、ある六月の日曜日。私はデパートの屋上から落っこちて、その拍子に棒になってしまった。


人が棒になるというなんともよく分からない現象が起こる作品。なんとも不条理なのだが、うまく人の特性を捉えているようにも思う。

男がデパートの屋上から落下し、棒になった直後、それを分析する男たちがあらわれる。ある男は、この棒は、「一定の目的のために、人に使われていたということを意味すると思います。しかし、この棒はかなりらんぼうなあつかいを受けていたようだ。一面に傷だらけです。」と指摘する。もう一人の男は、この棒は、「ぜんぜん無能だったのだろうと思います。…ただの棒なんて、人間の道具にしちゃ、下等すぎますよ。」という。

あくまで棒そのものを評価し、そのことで比喩的に人間を評価していると思いきや、どうも違うらしい。作中の世界では人がなんらかのものに変化することがあるらしいのである。したがって、作中の世界では、棒を評価することは、生前の人そのものを評価することと直結しているということになるようである。

そのことで読者としては比喩としてとらえる以上に、棒を人としてみることが容易にできることになる。そこまで読者の面倒をみてもらわなくてもいい、と思うわけだが変化そのものが、当たり前のことである世界だからこそという棒についてのとらえ方が出てくる。「棒がありふれているというのは、量的な意味よりも、むしろ質的な意味でいっているのだ。」と、人一般に対して辛辣である。
これがただの比喩で終わっているのであれば、棒は極端に一般化されないように思う。量的に棒が多いということならば、それは単に人が多いということであって、特に問題ではない。しかし、質的におなじ人が多い、と強調されることは前出の評価と相まって、非常につらいことだ。
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by nino84 | 2006-10-12 21:55 | 読書メモ