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本の感想などをつらつらと。


by nino84
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「一九二八・三・一五」

「一九二八・三・一五」(小林多喜二、『蟹工船 一九二八・三・一五』岩波文庫収録)を読みました。

1928年3月15日、治安維持法に基づいた日本共産党に対する大弾圧が行われた。全国的に行われたこの弾圧は、北の地小樽でも行われ、多くの組合の人が拘束された…


この作品では、「蟹工船」とは異なり、組合員ひとりひとりにかなり焦点があたっている。すなわち、組合員それぞれで微妙に考え方が違うことが描かれるの。そのために、組合員それぞれの生活環境がことなること、彼らの家族に対する感情、あるいは家族の組合員に対する考え方、そうしたものが事件を通してしっかりと描かれていくことになる。

組合員に活動に対する迷いがないわけではない。妻や、子ども、あるいは老いた母を巻き込んでしまうかもしれないという恐れもある。また、すでに巻き込んでしまったという悔恨の念もある。しかし、彼らはその迷いを超えるほどの決意をもって活動している。それが、社会のためになると信じているからだ。
彼らにしてみれば、自分たちが犠牲を払うことで、社会が良くなるのなら、それでいいということになる。それにしても、自己犠牲の精神はともかく、周りまでも一蓮托生という思い切りの良さは感動モノである。そういう感覚は、社会全体を思わなければ起きるものではないし、そういう広い視野は僕にはもてそうにない。

また、彼らに対する警察も、この弾圧に対してやりすぎではないかと感じる人がいる。これは、警察が組合員に対して過ぎた拷問を行うことがあったためであり、彼らは人を人と思わないような活動自体に疑問を感じている。現場で働く人は、直接組合員らと接するから、どうしても彼らを同じ人間というくくりで見ることになる。それはある意味で当たり前のことだ。
一方で、直接組合員を見ず、組合員が活動した結果できる社会に思いをはせる官僚はそうではない。彼らは国家転覆などさせるわけには行かないから、彼らを弾圧しろと命令を下す。方法として、言論の自由を奪うなどの方法には疑問が残るが、国家転覆を防ぐということからすればこちらの理論もおかしくはない。

起きているのは、主義と主義のぶつかり合いである。しかし、一方は主義を持つ人がそのまま活動しているのに対し、一方はその活動を人に任せることになっており、妙な対立の構造を生むことになっているのである。そのための捩れ―警察の組合員への同情―が起こりうる。
集団と個人というある人々の捉えの違いひとつで、人は残酷にもやさしくもなれるのだな、と思う。


さて、この作品、小林多喜二の作品であるから、当然(?)プロレタリアを中心に描かれた作品である。そうした立場から見れば、警察による拷問というのは非難の対象であり、十分な反抗の理由となる。この作品のような扱いを受ける組合員がいるという事実が、組合員を団結させうる。また、組合員たちそれぞれの個性を描くことで、活動に迷う組合員も存在する、ということが描かれる。それでも活動はできるということをも示す。したがって、これは組合員を鼓舞する作品であり、活動を広げる作品である、という理解もできうるのである。


ちなみに、以上のような作品だと受け取るならば、先ほどの官僚の理論で言うところの、国家の転覆を防ぐという意味での発禁処分というのも、なんとなく理解できたりする。もちろん、国家としては言論の自由は認めるべきで、それを認めた上で、不満の出ないような社会をつくっていく責任があるのだろうが…。すべての人が幸せ、という社会は難しいのだろうね。
すべての人、というくくりだと、どうしても「ある特定の主義を持つ人」というくくり方はできないから、彼らを集団として捉えることができなくなってしまう。かといって、彼らを個人として捉えれば、結局1億を超える人の不満を片端から取り除いていくことになる。それは不可能だ。
結局、彼らを集団として捉え、その集団についての不平をなくしていくことが国家の役目ということになるのだろうか。そうするにしても、どの集団を選ぶのか、といったことが新たに問題になってくる。不満のない集団なぞ、およそないのだろうから、そうすると政治的な力が強い集団というものに有利になってしまうのだろう。こうなると、よくいわれるところの弱者(政治的、あるいは社会的に力を持たない集団)は省みられることが少なくなってきてしまう。そうすると、彼らが強硬手段にでることになる。すると、国家はそれを弾圧することになって…。

ふむ。国家対弱者という構図まで想像することができた。
では、僕のそうぞうするところの問題点はなんだろうか。結局、どの集団を選ぶのか、というあたりが大きな問題だろうか。それにしたって、たとえ政治的な力を抜きにして、弱者ばかりに手厚くしていては新たな弱者が生まれる。とどのつまり、重要なのはバランス感覚なのでしょう。あとは批判されても折れない忍耐力も必要か。でも、両方を高い水準で備えている人というのは少なそうですよね。


以上、半分以上を作品から得たインスピレーション(妄想)で埋めさせていただきました。この作品が、これだけのことを考えさせうるような素材なのだと思います。
by nino84 | 2007-01-08 19:27 | 読書メモ