本の感想などをつらつらと。


by nino84
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

「土の中の子供」

「土の中の子供」(中村文則、『土の中の子供』新潮文庫収録)を読みました。

親に捨てられ、引き取られた先では虐待にあった。結局、施設に引き取られた。今はタクシードライバーをしているが、この世界に生きる自分に違和感を感じずにはいられない。
みずからを生命の危機にさらすことで私はなにかを感じられる。私はそれに到達したかった。だが、それがなにか私にははっきりわからない。



覚えている方もいるかもしれませんが、少し前の芥川賞受賞作です。作品はあらすじが書きずらくてかないません。あっているんだろうか、と思いながら書いてました。
個人的に芥川賞にノミネートされるような作品、純文学を読むのは久しぶりです。一人称のこういった作品は感情が直に表されており、距離をおいて読もうと思ってもどうしても「私」と同化していってしまうために距離感がつかめるようになるまで読むのがとても疲れます。それは面白い、面白くない、というのとは別なのですが、本を読んで疲れるというは僕が求めている読書とどこか違う気がしているので、普段はあまり手を出しません。
ただ、今作を取る気になったのは久しぶりに読んでみたらこういった作品でも距離感をつかめるようになっているんじゃないかと思ったからです。嶽本野ばらさんや舞城王太郎さんの作品くらい主人公の我が強いと距離感がつかみやすいのですが、プレーンな感じの「私」だとなかなかどうして私には難しいですね。
教科書を読むときに言われた、主人公に共感してそれになりきって読むいわゆる共感読みも読み方としてありなのでしょうが、それは個人的に考えることの放棄になるような気がしてしまってできうる限り避けたいと思っています。同化していくと疲れるのです。まるまる追体験みたいになってしまって。


さて、内容になかなかはいれませんでしたが、ここから。本作の主人公はかつて虐待にあっており、そのことで「力」にさらされているとき、それを行使しているときにこそ、なにか他の違和感のある日常と異なる世界を感じられるようです。
「力」にさらされ、どうしよもなくそれを受けるしかなかった幼少時代。それは「私」に「力」に対する特別な条件付けを形成しました。しかし、それによって感じられるものを彼は同定できないでいます。自分が「力」を身に付け「力」を行使したいのか、「力」にさらされることで「力」を屈服させたいのか、それとももっと別の感情・目的が働くのか。

普通の生活の中で体験する機会の少ない感情はどうしても同定しにくいものです。彼は「力」に対して恐怖とはまた違う感情を体験しているようですが、それを言語化することができないのです。それは他に類似した体験がなく、それを指す言葉が見つからないからでしょう。言葉で意味づけることが感情を体験するためには重要なのだと思います。
私たちの認識は、釣橋を渡る恐怖と異性への好意とを同様の反応だとみなします。私たちがそれを区別するためには、体験している感情そのものだけでなく、おかれている環境が必要であり、なによりそれらを総合した感情の意味づけを必要とします。

この世界に生きる自分に違和感を感じる「私」は、『城』を読む時、落ち着くと述べます。それはそこで展開される物語が自分の心地よいと感じる瞬間の感情と近いものだからなではないでしょうか。結局、それを読んでも言語化できるものではなかったようですが、こういう状況でこういう感情にであったという感覚は大切だと思えます。そういうサンプルを増やすことでしか感情の同定はできないでしょう。
ところで、『城』はフランツ・カフカの作品のことでしょうが、私は読んだことがありません。そのうち読んでみることにします。そうすることで、もう少しこの作品についての理解も進むだろうと思うので。
[PR]
by nino84 | 2008-01-24 14:32 | 読書メモ