本の感想などをつらつらと。


by nino84
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「聞いていますか?」

「聞いていますか?」(ハーラン・エリスン、浅倉久志訳、『世界の中心で愛を叫んだけもの』ハヤカワ文庫収録)を読みました。

わたしの身に起きたことをどうやって話そうかと、長い間考えてきました。結局、その事件の始まりからいままでのことをありのままに話すしかなさそうです。
わたしはアルバート・ウインソーキといいます。名前以外なんら特徴のない男です。ある朝わたしが目ざめ、アルマのいる食堂に降りたのですが、彼女はわたしに気づかないのです。最初は無視しているのだと思いました。しかし実際に、彼女にはわたしが見えていないのでした。



本作はウインソーキという名前の男を主人公にしたお話です。一人称で語られているのでいままでの作品と多少違った文体で楽しめるかもしれません。

さて、ウインソーキという名前はある歌のなかにでてくるんだそうです。「ウインソーキがんばれよ。頑張りゃ勝てるぞウインソーキ……」それくらいの特徴しかない男が本作の主人公、ウインソーキです。
ある日から彼は誰にも認識されなくなってしまいます。それは彼が没個性化し、なんの特徴もなくなり、他者にとって彼を認識する意味がなくなったためなのです。

人はそれぞれに特徴をもっており、一人ひとりが違うからこそ、互いに認識し、その存在を認めます。予想外の行動は特異な反応ですから、どうしても注目せざるを得ないのです。しかし、すべての場面でまったく平凡な反応をする人は、その行動に予想外のことはおこらず、したがって認識する必要がなくなる。
ウインソーキの身にはそういうことが起きています。


また、本作はそうした警句だけでなく、実は文章自体に一つの仕掛けがしてあると読めます。
すなわち、本作はウインソーキの一人称でかかれています。人から認識されなくなった人が物語を語っているのです。そうでありながら、私たちはその話を認識する(聞く?読む?)ことができる。なぜ人の認識から外れてしまった男の話が聞こえるのか?

それはひとえに読者が没個性化し始めており、むしろウインソーキと同じような立場に近くなっているからだと考えられる。自分ももう少しで同じ立場になりうる、その恐怖。

なんにしろ、現代の社会はウインソーキのような男が生み出されやすい社会でしょう。情報が氾濫し、流行が起き、みなに同一の反応を求める。個性は殺され、同じ時間に同じように出社し、ルーチンワークをこなし、帰宅していく。社会の歯車となり、没個性化していく時代。
一人称による語りは、読者自身にこれは他人事ではないんだ、と思わせる手法なのでしょう。


気づくのか気づかないのか、そもそもそういう意図を持ってかかれているのか、かなり微妙な部分ではありますが、そうやって読んだ方が面白いかな、と思いました。読んでいて、楽しければいいんじゃないか、と。
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by nino84 | 2008-02-15 12:51 | 読書メモ