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本の感想などをつらつらと。


by nino84
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「満員御礼」

「満員御礼」(ハーラン・エリスン、浅倉久志訳、『世界の中心で愛を叫んだけもの』ハヤカワ文庫収録)を読みました。

ある夜、ブロードウェイの上空にそれは現れた。タイムズスクウェアの真上にそそりたつ、300mを越える円柱。そして定期的に現れる10mを越える不思議な生き物。
バート・チェスターはそれをショウとして利用し、一儲けしようと試みる。果たして試みは成功を収め、6年以上も彼に利益をもたらした。しかし、あるとき不思議な生き物たちが不可解な行動をはじめ…。



ひきつづきハーラン・エリスンさんの短編です。ここ何本かの作品は、最後に答えをいただけるので比較的わかりやすい作品群ではないかと思います。本作もそんな作品で、最後の一文でそういうことかと納得して読み終われる作品となっています。
ただし、納得できるとはいえここで何かを書くとなるとどうしてもオチに触れなくてはならなくなるのが最近の傾向なので、どうしたものかと毎回迷ってしまいます。そうして迷いながらも、ここ何作かはネタバレも気にせず、オチも含めて感想を書いています。どの作品もそうですが、結局オチまで書かないとテーマがはっきりしてこないので、感想どころではなくなってしまうんですよね。
というわけで、今回もオチに触れてしまうと思います。


さて、本作は異星の生き物と、それを勝手にショウに仕立て上げてしまった男のお話です。異星の生き物は誰にとっても珍しいわけで、それが危害を加えるそぶりを見せなければ、多くのひとは観てみたいと思うわけです。そこに目をつけたのがバート・チェスターという男でした。彼は円柱の周囲のビルの屋上を借り上げ、桟敷にし、特等席としてお金を取ることを考えたわけです。
そして幸運にも異星の生き物たちはなんら危害をくわえず、6年以上も定期的に円柱から出てきてはまた中に入っていくということを繰り返すだけでした。そして、人間はそれを観て、感動し、歓声をあげるのでした。

人を感動させること、というのは何にも代えがたい価値があるという考え方があります。たとえば、寝る間を惜しみ、生活費を削ってまで絵に打ち込むとか、役づくりのために体を絞り込んで演劇にのぞむとか。そうした行動ができるのは、人になにかを伝えたい、あるいは人になにかを感じて欲しいと望むからでしょう。
あるいは、そうした行動は、自分の表現したいものを表現するためということもできるかもしれません。それが自己実現欲求といえるのかもしれません。しかし、人に尊敬欲求というのがある以上、それだけではないはずでしょう。どちらも同時にあると考えてよいといえます。

さて、そこで今作の異星の生き物です。そもそも、この生き物たちの目的はなんだったのでしょうか。ただ地球人の前に現れて、帰っていく、ただそれだけのために地球にきたと考えるのは非常に不自然です。
地球の環境の調査、現地の生物の調査、あるいは侵略。いろいろな目的があるはずです。地球人が他の星を訪れれば、当然その星についての調査は行うでしょう。それを異星の生き物がしないというのはいささかおかしなことです。
異星の生き物にとって、特殊だったことは、ただ人間が自分たちをみて感動し、歓声を上げてくれることでした。ショウとして、芸術として異星の生き物の行動は完成されてしまったのです。そのために、それを壊すことはできなかった。彼らも人間と同じような感覚をもち、欲求を持っていたのでしょう。

結局、6年の後にショウは終わりをむかえるのですが、その理由は、異星の生き物が細部まで人と同じような感覚をもっていたということによるのでしょう。
当たり前のことではあるのです。尊敬欲求や、その上位の欲求である自己実現の欲求が満たされることの前提には、その下位の欲求が満たされていることがあるのです。その下位の欲求は上位の欲求の実現のために多少の犠牲が払われたとしても、やはり最低限、というのはあります。死んだらなにもできないのですから。
by nino84 | 2008-02-16 13:18 | 読書メモ