本の感想などをつらつらと。


by nino84
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

「丕緒の鳥 十二国記」

「丕緒の鳥 十二国記」(小野不由美、『yom yom vol.6』新潮社収録)を読みました。

慶国の羅氏である丕緒は、近々新王が登極するため、その際に披露する射儀の計画を命ぜられる。
しかし、ながらく王に恵まれず、疲弊し、そのため新王の登極を祝う気にはなれず、丕緒はなかなか計画が立てられずにいた。彼の思考は過去の女王たちの横暴とそれに翻弄された民に向けられ…。そして彼は決心する。



今回は雑誌に収録されている作品です。以前から読んでいる『十二国記』シリーズの数年ぶりの新作ということになります。短編集が出版されてから、ながらく音沙汰がなかったシリーズの最新作で、単行本への収録未定ということなので、思わず普段は買わない雑誌を買ってしまいました。

さて、今作の舞台は十二国の1つ、慶国です。この国は世界の東方に位置し、3代不安定な女王の治世つづき、荒廃している国です。その国にまた新たに女王が立つことになりました。このあたりの事情はシリーズ第一作『月の影 影の海』に詳しく描かれています。本作は、その女王登極の少し前から始まります。

この十二国の世界では、王の登極というのが、大変特殊なものであり、そのために王の存在とその役割が大変重いものとなっています。慶国の人々は新しい王が登極するたびに、復興を期待し、しかしそのたびににその期待は裏切られてきました。そして彼らは期待することをやめました。
下級の役人である丕緒もそんな慶国の状況にすでに期待することをやめ、自らの仕事に意味を見出せなくなっていました。彼の仕事は祝いの席で演じられる射儀の計画です。かつての彼は部下とともにその計画に工夫を凝らし、祝うことだけでなく、さらに民の心さえも見るものに伝わるような、そんな射儀を目指していました。
しかし、彼の目指したものは先代の王に否定され、そのために、彼は自分の仕事に飽いていたのです。

しかし、彼がすでに失われてしまったかつての部下蕭蘭の姿を思い出し、そして自分が現実を拒絶しているということに気づきます。それは背を向けるだけでなく、すべての情報を締め出してしまうこと。それをしているのが自分だと、そう気づいたのです。
そう気づいたとき、彼はかつての部下の強さを知ります。それは現実を悲嘆しながらも、決してそれを拒絶するのでなく、状況を知ること。彼女にはそれが出来ていたと言うことを。

現実を拒絶し、締め出してしまえば、現実にはなんの楽しみも見出せなくなります。夢見るか、それとも無為に過ごすか。しかし、現実を知っていれば、なにかしらの楽しみは見出せる。蕭蘭はそれを作業場の机の上だけに見出しました。彼女は現実に立ち向かうだけの強さはありませんでした。しかし、彼女は自分なりに現実の受け入れ方・生き方を知っていたのです。夢見てもいたのです。


現実はつらい。それはそうでしょう。しかし、現実はつらいことばかりではない。そのなかに楽しみを見出せるから生きていける。
つらく苦しくなればなるほど、楽しみを見出すのは難しくなる。つらさがすべてを覆い隠し、自らが楽しめていたことが楽しめなくなるのです。それが自動思考としてへばりついてしまえば、人は鬱々として暮らさなくてはならなくなります。
救いは、自分の手で。しかし、それは一人でという意味ではないのです。助けをかりて、自分でということ。なにが楽しみ・支えとなるかは人それぞれですから。人に決めてもらうことなどできません。しかし、参考にはなるのです。なにかに立ち向かうだけではなく、その場で探すことでも救われうるのです。
[PR]
by nino84 | 2008-03-01 14:41 | 読書メモ