本の感想などをつらつらと。


by nino84
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

「熊の場所」

「熊の場所」(舞城王太郎、『熊の場所』講談社文庫収録)を読みました。

僕はまー君の猫殺しを知った。その瞬間から、まー君は僕にとって脅威になって、でも目が離せなくなって、なんでそんなことをしているんだろうとか、僕も殺されるんじゃないかとか、そもそも本当にそんなことをしているのだろうかとか、いろいろな考えが頭の中でぐるぐる回った。
この大きな恐怖を、何とかしなくてはいけない。僕はまー君の自宅へと自転車を走らせた。



まだ『yom yom』の収録作品すべてのメモを書いたわけではありませんが、少しそちらはお休みしまして、別の本を読もうかと思います。久しぶりの舞城王太郎さんです。

前回まで『yom yom』の読者の年齢層がかなり高く想定されているようで、比較的ゆっくりしっかり心情を描く作品が多く、それはそれで自分の糧にはなるのですが、やはり直面するものが大きすぎて、それがかなりの衝撃になって疲れてしまいます。ショウペンハウエルの「読書について」ではないですが、やはり自分の思考は自分で整理していくのが最も良いはずです。しかし、いまだ整理しきれていない問題についての考え方のひとつを提示されると、どうしてもそれに共感し、流されてしまう部分があり、自分が揺らぎます。そうした自分と作品との思想のぶつかり合いが疲れるのです。
それを避けるためには、自分がすでに解決した(と思える)問題について読むか、設定が自分とは距離を置けるもの、すなわちファンタジー然とした作品を読むか、ということになるのです。今回の舞城さんの選択は前者ですかね。自分のエネルギーの回復。

また何かに直面するエネルギーができれば『yom yom』の感想も書いていこうと思います。

さて、本作は舞城王太郎さんの短編小説です。主人公は小学6年生の”僕”で、彼がまー君という同級生に持った恐怖をどのように自分の中で消化していくかが、作品の主軸になっています。まー君の猫殺しを知った”僕”は父の教えに従い、その恐怖に立ち向かい、乗り越えることを選択します。そのためにまー君に接触し、彼のことを知ることにするのです。

知らないことはそれ自体が恐怖です。たとえば、幽霊。幽霊の正体見たり枯れ尾花。正体が分かってしまえば、それは怖くありません。そのために、”僕”は彼のことを知ろうとするのです。本当はどんな子なのか。その結果、”僕”は猫殺しの現場を見ることは出来なかったものの、まー君がサッカーがとても上手だということをしります。小学生にとって、運動ができるということは、それだけでステータスであって、また力になります。
立ち向かえないほどの力もまた恐怖の対象になりえます。恐怖政治はまさにそういった類の恐怖を振りまいていたものでしょう。”僕”はまー君に屈しないように、必死に立ち向かうのです。それによって完全に恐怖を振り払おうとしたのです。こうして”僕”とまー君はサッカー対決し、まー君は”僕”のことを「気迫がある」といって認めるのです。それによって”僕”の恐怖の大部分は消えると同時に、一緒に遊んだという事実によって、僕とまー君は仲良くなっていくのです。

この作品に一貫してながれるのは、こうした恐怖です。”僕”はそれをなんとかおさめようとするのです。
とはいえ、本作はこうした恐怖を決しておどろおどろしく描きません。むしろその恐怖に立ち向かうための力強さとか、向こう見ずさとかそうした少年の健全なエネルギーによって、いっそ清々しく描きます。

『阿修羅ガール』もそうでしたが、この人の書く文章はエネルギーがあふれていると思います。こういう文章は、乱読気味で方向性の分からない僕の読書生活の中で、定期的に読みたくなります。エネルギー補給ですかね。
[PR]
by nino84 | 2008-03-06 13:54 | 読書メモ