本の感想などをつらつらと。


by nino84
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「うんとお腹をすかせてきてね」

「うんとお腹をすかせてきてね」(江國香織、『泳ぐのに、安全でも適切でもりません』集英社文庫収録)を読みました。

寒かったので、あたしたちはその日の食事をオニオングラタンスープではじめた―。
あたしたちは毎晩一緒にごはんを食べる。もう4年、続いている。どちらの家に帰るかは、その日に食事をした場所による。泊まりはめったにしない。夕方会って、時間をかけて食事をし、愛を交わして別れる。
人生が川だとするならば、あたしたちは同じ海に向かって流れていく、二つの別々の川だ。くっつきそうにそばを流れる、でも別の川。



前回書き忘れましたが、『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』は短編集であり、全10篇が収録されています。「うんとお腹をすかせてきてね」は2作目の作品になります。

さて、本作、読んでいる限り、別に筋があるわけでもない作品です。裕也という交際相手との関係の中で、「あたし」という存在がいかなるものであるかを述べた作品です。「あたし」は、「あたし」の中に裕也がいかに根付いているかということを語るのです。
裕也には別れた妻がおり、息子がいる。それでも「あたし」は彼に惹かれているし、嫉妬はするものの、それはそれでいいらしい。ただその人がいることだけが重要なのでしょう。「あたし」も裕也も働いていて、それぞれ肩書きがあってその役割を果たしています。しかし、「あたし」は、裕也の前ではただ美代なのです。
「こんなふうにしてどこまでいかれるかしら」そんなことを言うくらい、「あたし」は裕也と会っている時がいとおしいのです。その疑問はそれがずっと続かないことが分かっているから吐き出されたもので、だからこそ、裕也が「つまらないことを考えていないで、食べて」とやさしく「あたし」に言ったとき、「あたし」は裕也がその不安を共有してくれているし、おそらく同じ事を考えているだろうと思い、泣き出しそうになって、さらに裕也が欲しくてたまらなくなるのです。
そのように情熱的に共鳴しあいながらも、「あたし」は2人の関係は同じ海に向かう二つの別々の川だという。一本の川にならないところが「あたし」らしい。おそらく「あたし」は、裕也の妻、奥さんという肩書きは許せないのだと思います。肩書きのある関係は本当の関係を見難くする。もっと純粋なものなのに、肩書きがあることでその肩書きらしく演じることを求められてしまうのですから。「あたし」はそうやって互いの水が混ざり合うことが耐えられないと思うのです。その人の人生はその人ただ一つのもので、それでもしっかりと寄り添うようにして流れる川は、それぞれがそれぞれとしてそのまま存在しうる。それが「あたし」にとっては最高の形なのでしょう。
しかし、そうした互いを繋ぎとめる肩書きがないということは、その関係が永遠に続く保障がどこにもないということです。だからこそ、「あたし」は不安になるのです。だからこそ、「泣きそうになって」、それは裕也も同じだから、「仕方なくみつめあって笑う」のです。
世界に2人だけだったら、この関係は永遠かもしれません。しかし、人間は社会で暮らしていて、だからこそこの関係は永遠とは限らないのです。また、枠をつけて保護しようとすると、その枠によって関係が変質してしまうから、それもできないのです。人の関係というのは、難しいですよね。肩書きは、肩書きでしかないのに、それでなにかを決められてしまうなんていうのは…。


それにしても、恋愛小説をこうやって解きほぐしていくと、なんか照れますね。
ところで、人生イメージって、個人的には車輪みたいなものかな、と思ったことがあります。その後に轍を残しながら、ただ転がっていく。で、―これはこの作品の「あたし」の人生観とも似ているけれど―となりに車輪があって、それが同じ方向に転がっていくことだってあるでしょう。水と違って、決して同じものにはならないけれど、シャフトが間にあれば、かならず同じ方向をむいて転がっていける―僕は結婚がそれほど互いを取り込むものだとは思わない―。
もちろん、シャフトで結びついた車輪の径が違うとどちらかに曲がっていくのだけれど、よほど微妙な差異でなければ、それはシャフトでくっつけるまえに分かることでしょう―あるいは、納得してその場で回ることを楽しむのもいい。偶然一箇所で回りつづけることになるときついが―。
いつ考えたイメージだったかな、忘れてしまいました。でも、それなりに面白いかな、と思っていたのを思い出しました。思い出したら、これはこれで今でもやっぱり僕の考えてる感じかな、という気もします。
ちなみに、轍を残していく意味は、いい意味ではそれが道になるからであり、悪い意味でいえばそれが溝になってしまうからです。なんにしろ、他の人のそれに沿っていけたり、場合によってはハマッてしまったりするわけです。
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by nino84 | 2008-08-10 01:55 | 読書メモ