本の感想などをつらつらと。


by nino84
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

「サマーブランケット」

「サマーブランケット」(江國香織、『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』集英社文庫収録)を読みました。

海のそばの家には、砂がたくさん入ってくる。私がそんな家に一人ですみはじめて、じき3年になる。
そんな私には、最近友達が2人できた。まゆきちゃんとそのボーイフレンドの大森くん。彼らは毎週水曜日に連れ立ってやってくる。その他の日も、気が向けばふらりと遊びに来る。
今日は大森くんが、ひとりでやってきた。



短編集の3作目です。最近は感想を書こうと思うとどうも、長くなっていけませんね。思ったことをだらだら書いているとそうなってしまうのは、悪い癖ではあります。そうしないと、筋が通らないかな、と思うからですが、一方で、そうした筋を通そうとするあまりに、無理に自分の考えにこじつけている部分があったりしなくはないかと思いもします。

さて、また長くなる予感ですが、本題にもどりましょう。
主人公、「私」は裕福な家庭に生まれ、就職し、そこで不倫を経験し、振られ、そして父と母と死に別れました。財産の整理などで疲れた「私」は、軽い鬱病になり――そして、今は海に近い家にマリウスと一緒に住んでいます。
彼女は未だにかつての不倫相手の写真を一葉もっており、大森くんにはその男を「死に別れた夫」といいました。また、まゆきちゃんや大森くんから「お嬢さん」といわれてもそれを受けとめることはありません。「お嬢さん」といわれるほど上品なものではない、とかもうそう呼ばれるほど若くない、ということなのでしょう。「私」からは、「もう自分の人生は終えた」という感じがします。「私」は、海辺の家そのものみたいで、窓も戸もあけっぱなしで、砂だらけで、壊れるときまで何年も何年も、ただじっと建っているものだと言うのですから、そう遠くはない気がします。
自分では海辺の家にひとりですんで、すでに隠居した気でいるのでしょう。しかし、大学生2人はそれを隠居とはあまりみてはくれません。その生活は彼女が裕福だからできる優雅なものである、とみるのです。
「私」は、定期的に訪れる大学生2人とかかわりあい、「お嬢さん」と言われながらも、自分にエネルギーがあるとは思えず、逆に2人の若さを感じ、やはり自分がすでに若くないことを実感するのです。

しかし、大森くんが一人でやってきたその日、「私」は大森くんに何かを感じるのです。
サマーブランケットを砂浜で広げ、いっしょにそれに包まろうという彼。彼のいうがままに一緒に包まって感じる砂やブランケットのあたたかさ。そして彼のあたたかさ。それが「私」に男を思い出させたのでしょう。しかし、それは一時のことで、「私」はブランケットをたたみ、また浜辺の家―自分のあるべき場所―に戻っていくのです。
「私」は自分の若さに気づいたものの、それを認めるわけにはいかなかったのでしょう。それは自分の生活を壊すものです。まして、大森くんはまゆきちゃんのボーイフレンドなのだから、それを認めることは、否定していた若さをとりもどすだけなく、またかつてと同じように不倫―彼らは結婚はしていないけれど―の状態に陥ることでもあります。自分の生活はまったく変わったものになってしまうはずです。
結局、今の落ち着いた状態をひっくり返すことが出来ないほどには「私」は、分別がつくようになったということなのでしょう。しかし、そうした落ち着き方は、一面、とてもかなしいことでもあります。それは情熱的な恋愛ができなくなったということで、やはりもう若くない、ということなのであり、それを自分で証明してしまうことなのですから。

いつになっても恋愛をしたい、そういうエネルギーはあるもの?必要なもの?
それが本能みたいなもので、自分勝手なものだとすれば、人間的に成熟していくことは、それを否定していくことなのであり、気持ちの落としどころを見つける必要がある。それは自分に不正直に生きることであって、―私にはよくわからないけれども―それを大切にして生きたいと思ったら、年を重ねると生きにくいだろうな、とは思います。
[PR]
by nino84 | 2008-08-12 00:31 | 読書メモ