本の感想などをつらつらと。


by nino84
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

「愛しいひとが、もうすぐここにやってくる」

「愛しいひとが、もうすぐここにやってくる」(江國香織、『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』集英社文庫収録)を読みました。

毎週月曜日の夕方に、私と男はホテルで逢引をする。月曜日以外の日、私と私の好きな男は、ごく普通の友人同士のように、一緒に食事をしたり映画を見たりする。それが私たちの習慣なのだ。
大切なのは快適に暮らすことと、習慣を守ることだ。



『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』もこれで最後の収録作品です。書いているうちに、だんだん長くなってきているように思います。もうすこしスッキリしたかたちで書きたいものですが、感情にながされることにどこか抵抗があるのでしょう。言葉を弄してそれをごまかそうとしているように思います。

閑話休題。本作の「私」はさまざまな習慣をもっています。月曜日の夕方に男とホテルで逢うこと、水曜日の午後に帽子製作を教えること、月に一度、すでにリタイアした帽子製作の先生の訪ねること。さらに、細かいことでいえば、男の自宅に電話しないこと、ホテルでは自分で服を脱ぐこと…。
「私」は「大切なのは快適にくらすことと、習慣を守ること」だといいます。快適に暮らすことと、習慣を守ることとが両立できる事は多いでしょう。たとえば、男の自宅に電話しないことは、男の生活―男には妻がいる―を保障し、揉め事が起きるのを防ぐことになります。また、週に一度必ず、男に会えるということが保障されるのも、習慣があるからです。それを守ることで、「私」は快適にくらしています。
しかし、快適に暮らすことと、習慣を守ることが両立できないこともあります。先生を訪ねることは習慣ですが、しかしそれは「私」に先生の老いた姿と直面させることしかしません。訪ねることただそれだけのことを考えたら悲しい気持ちしか残りません。
また、男が妻と別れないことも習慣といえるのかもしれません。彼は妻と別れないでいることを「まったくわからない」といいます。妻との生活は習慣であって、また男と「私」の生活も習慣です。

習慣というのは、良いにしろ悪いにしろ、その行動が安定しているということでしょう。生活が習慣だけでまわっている限り、その生活は安定しています。安定していることが、快適に暮らすことであるならば、習慣を守ることとそれは常に同意です。しかし、そんなことはありえません。私たちは感情を持って生きていて、習慣のなかにあっても、感情は常に動いています。
男が妻と別れないことは「奇妙」なのだし、「私」が先生を訪ねると「悲しい気持ち」しか残らないのです。習慣に疑問は感じながらも、その気持ちは処理できないものではないから、バランスとして安定を目指すために習慣を優先するのでしょう。
男が妻と別れることは「私」との恋愛が大きな理由と言うことになります。しかし、「私」は「恋愛がすべてではない」ことは分かっているし、男も「すべてでは、ないだろう」ことがわかているのです。生活においては恋愛だけがすべてではなく、仕事であったり、家事であったり、いろいろなことが影響してきます。
「私」と男との間の習慣は、恋愛のみを保障しているにすぎず、一方男と妻との生活はその他の様々なものを保障していると考えられます。習慣を守ることが、安定した生活を保証し、それでバランスが取れているなら、そのバランスは崩されるべきではないでしょう。

40女と50男。関係が始まって10年。私と男は、先が見えすぎるほどに見えるから、習慣を守ることを重視するのかもしれません。恋愛のみで生きることは非現実的であることを分かっているのでしょう。だから、「奇妙」と言う感情が起ころうが、それはそれとして処理するしかないのでしょう。一方で、それは感情だけで動くことができるエネルギーがなくなっているということでもあります。
「私」は習慣を守ることで、合理的に、恋愛の部分だけを愉しんでいるともいえるのでしょうか。全てを振り切るエネルギーは既になくても、それがないとやっていけないのでしょう。なんとなくそんな気がします。
[PR]
by nino84 | 2008-08-21 11:05 | 読書メモ