本の感想などをつらつらと。


by nino84
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『好き好き大好き超愛してる』

『好き好き大好き超愛してる』(舞城王太郎、講談社文庫)を読みました。

愛は祈りだ。僕は祈る。祈りは言葉でできている。言葉というものは全てをつくる。過去について祈るとき、言葉は物語になる。人は時に小説という形で祈る。この祈りこそが過去についての希望を煌かせる。


舞城王太郎さんの作品はなにか定期的に読みたくなります。
文体にエネルギーが溢れている感じがあり、読んでいて圧倒されながらも、その奔流に飲まれていく感じが心地よくもあるのです。文章を綺麗に整えるのでなく、普段、頭の中で考えていることがそのまま一字一句言葉になっているようなイメージでしょうか。そのため、荒削りではありますが、かえって自然に心に入ってきやすい文章になっていると思います。本作でもそうしたエネルギーは損なわれていません。
ややもすると、なんかもやもやしたものが確かに残るのだけれど、それがなにかはっきりしない。そんな状況に陥りやすい文章なんだと思います。

さて、そんな小説ですが、内容の話をしましょう。
本書は、小説家である「僕」が、彼女ですでに癌で亡くなった柿緒への想いを描くものです。「僕は祈る」のですから、「僕」は柿緒への想いを語りながら、その間に小説を著しており、それらは作中作という形で登場します。物語が祈りなのですから、そうした作中作は「僕」の願望であって、かなえられなかった願いです。もちろんモチーフとして部分的に使用されているにすぎませんが、たしかにそれは祈りだったのだと思えます。
また、終盤には、そうした「僕」の著した小説について柿緒の兄弟から「姉をモデルにした」という指摘を受け、そのエピソードを通して、「僕」の小説が著しているものについて書いています。この場面では、すなわち、小説を書く意味をも描いているのです。

「人の人生の中に《死》はある。《恋人の死》だって起こりうる。誰にでもだ。でも…中略…それがいかに悲しく悔しいかなんてことは僕には興味がなくて、僕が言いたいのは、その悲しみと悔しさの向こうになにがあるのか、その悲しみと悔しさと同時にどんなものが並んでいるのか、ということなのだ。」
本書は、2004年が初出ですが、『世界の中心で、愛を叫ぶ』(片山恭一)などの作品がはやっていたのがこの頃だと思います。上の台詞はそうした流行への皮肉とも取れるように思えます。
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by nino84 | 2008-09-04 02:41 | 読書メモ