本の感想などをつらつらと。


by nino84
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「お伽草紙」(瘤取り)

「お伽草紙」(太宰治、『お伽草紙』新潮文庫収録)を読みました。

防空壕の中で子どもをなだめる唯一の手段は絵本だ。カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子どもに読んで聞かせる。
この父は、しかし、絵本を読んでやりながらも、その胸中には別個の物語が醸製されているのであった。



昨日に引き続き、『お伽草紙』に収録されている短編です。今回は表題作の「お伽草紙」となります。

さて、この作品は、順に瘤取り、浦島さん、カチカチ山、舌切雀の4つの昔話を太宰なりに咀嚼し、新しい物語として著していきます。
こうした4つの作品を1つの作品にまとめるために、形式としては、父が子どもに昔話を語って聞かせるという形をとっています。そのため、「お伽草紙」とは一つの作品でありながら、その実、4つの短編から成っているのです。
私が今まで読んだ作品では、「地獄少女」(夢野久作)が同様の形式をとっていました。「地獄少女」もそうですが、こうして短編集として別の作品と一緒にして出版されると、二重に入れ子式になってしまい、読みにくくなってしまう印象があります。特に、こうして感想を短編ごとに書いていると、どこで切り取って良いのか判断に困ってしまいます。
短編集を編集しているのは、編集者ですから、短編集の成立には編集者の意図が含まれます。『お伽草紙』では、太宰治の作品のうち、戦争期に著された古典や昔話を題材にした作品ということになるでしょうか。そこには作家の作品を系統立て読ませたいという編集者の意図があるでしょう。
一方、「お伽草紙」を編集したのは太宰治自身です。したがって、本作は4つのまとまった作品でひとつのものとして何かを表していると考えられます。つまり、4つの別々の作品とするよりも、ひとつにまとめてしまった方が作品としてよりよいという判断が、太宰の中であったということです。
その意図がなんなのかは、すべての感想を書いてから考えることにします。いずれにせよ、4つの短編から成っていると考えることもできる作品ですから、一つひとつ作品を追っていくことにしようと思います。


「瘤取り」
昔話の「こぶとりじいさん」を題材に書かれた作品です。「こぶとりじいさん」といえば、頬に瘤のある爺さんが山の中で酒盛り中の鬼の前で踊り、瘤がなくなる。それをみた同様に瘤のあるお爺さんも同じように鬼の前で踊るが、今度は逆に瘤をつけられてしまい、瘤が二つになってしまう、という流れの昔話です。

一般に昔話では、キャラクターの造詣が非常に分かりやすくなっています。口伝などで伝えられる作品ですから、細部まで人物描写をすることはできません。あるいは、広く受け容れられてきた作品ですから、万人に分かりやすい形に変形しているということもできます。なんにしろ、ごく単純化された文章のみが提示されるにすぎません。昔話はそうして単純な形で日常の倫理を伝えているのです。
したがって、行間は非常に広いのです。そこでは、登場人物の挙動や、心理を考える余地がありすぎるほどにあるということです。太宰はその行間を埋め、話の展開は前述した昔話と同じでありながら、新しい物語として再構築したのです。

太宰は最初の爺さんを古典同様、欲のない人を基本に描きますが、家族―聖人君子のような息子と、奥ゆかしい妻―の中で、酒が好きな自分に孤独を感じており、いつしかいつも自分と一緒にある瘤を愛しく思っていきます。そんな爺さんがあまりに上手く舞ったために、鬼たちは次もみたい、と思い、なにかを身代にとおもいたちます。そして、爺さんは、大事なもの、すなわち瘤を取られます。それは、嬉しいことである反面、一抹の寂しさも感じましょう。
また、二人目の爺さん。太宰は彼を先生として描き、瘤がある以外は別段申し分のない人、として描きます。彼は最初の爺さんの話を聞いて、瘤をとってもらおうと思い、鬼の前で踊ります。彼には気負いがありました。そのために、いつものように上手く舞えず、なんとも奇妙なおどりになったのです。それは鬼たちを恐れさせるほどの舞であって、鬼は最初の爺さんの宝物である瘤を差し出し、二人目の爺さんに献上するのです。
こうして昔話と筋は同じながら、どこか違う作品が完成しています。完成したのは、「欲のない人が得をし、欲張りが損をする」という単純な話ではありません。本来、人はそんな一面的にとらえられるものではありませんから、人の多面性という厚みがくわえられたということでしょう。
太宰はこの話をもって「性格の悲喜劇」としています。だれも「不正」をしていないのにもかかわらず、不幸なものと幸福なものがでてくるという、社会の現実。それを描いているのです。

結果として、子どものしつけのためには向かない作品に仕上がっていますが、大人向けには題材にしている作品とのギャップも相まって面白く読める作品になっているのではないでしょうか。こうしたことは残りの3作にもいえると思います。ギャップで楽しめる、というのはオリジナルの作品にはない、題材を持つ作品特有の面白さといえるでしょう。




さて、長くなったので、やはり4つに分けます。次回は「浦島さん」です。
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by nino84 | 2008-09-13 22:52 | 読書メモ