本の感想などをつらつらと。


by nino84
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「お伽草紙」(カチカチ山)

「カチカチ山」

今回で3回目になります。今回も「お伽草紙」(太宰治)です。今回は「カチカチ山」となっています。
この部分を読み始める前に、「カチカチ山」の筋を思い出そうとしたのですが、結局、狸が兎に懲らしめられるということしか思い出せませんでした。そもそも、なぜ狸が兎に懲らしめられなければならないのか、という理由の部分がすっぽり抜けていたのです。それほど繰り返し聞いたお話ではないということなのでしょう。
そこで、本来の形を思い出すために、あらためてgoogleで検索してみましたが、導入部分に関しては様々なバージョンがあるようです。ただ、序盤の大筋としては、「たぬきは爺さん婆さんの畑仕事の邪魔をして、それがもとで捕えられ、しかし、そこで婆さんをだまして逃げ出して、それを聞いた兎があだ討ちをする」ということになるようです。バージョン違いというのは、主に「婆さんをだまして逃げ」の部分で、婆さんを婆汁にしたり、ただ傷つけるだけであったり、という違いがあるようでした。
基本的には、「目には目を、歯には歯を」というのを地でいく作品のようです。つまり、兎は罰を執行する人ということになるように思います。爺さんは自分の力では狸を裁くことはできないので、それを執行する人に狸の罪を告発し、裁いてもらうことにするのです。自分の力がなくても、執行者がいて、その人に頼めば、罰が執行されるという社会的なルールを描いているといえるかもしれません。
昔は仇を取るという行為は様々行われていたような印象があるので、自分の力があれば、自分でやることを選択するでしょう。爺さんには、その力がなかったので、兎に依頼したわけです。この話から言えることは、自分の力がないからといって、泣き寝入りする必要はない、ということでしょう。

さて、そんな「カチカチ山」を、太宰は私のようには読みませんでした。「兎は少女、そうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋している醜男」であるとみたのです。兎は狸が生理的に受け付けられず、煩わしくてたまらず、酷い仕打ちをします。しかし、狸はそんな兎に気に入られたいために、何度も近づいていくのです。曰く、「惚れたが悪いか」。
生理的に受け容れられないということは、どうしよもなく、あるように思います。それを本人にあらわさないのが美徳なら、またそれを察して引く―関係を切ることをいうのではなくて、距離感を適切なものにする―のも美徳でしょう。それでも、男女の関係で、そのような押し引きができるとは思えません。今作の狸も悪いことをしている自覚がないのです。したがって、「惚れたが悪いか」という結論に至るのでしょう。
太宰の被害的な部分がでているように読めなくはありませんが、残念ながら、惚れたらそれだけで悪いのです。ふーん。


なんにせよ、ここまで突き抜けて改変されるといっそ清々しさを覚えます。登場人物がほぼ先ほどの設定のような兎と狸だけですから、会話や心情の動きなどがそれぞれ面白く、スラスラと読むことができました。やっていることは残酷ですから、そこまでしなくても、という気もしますが、なかなかどうしてリズムに飲まれて意外といろいろな残酷描写も流れいくように思いました。
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by nino84 | 2008-09-15 23:57 | 読書メモ