本の感想などをつらつらと。


by nino84
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『悲しみよこんにちは』

『悲しみよこんにちは』(フランソワ―ズ・サガン、新潮文庫)を読みました。

私が17歳の夏。私と父、そして父の愛人エルザは夏休みを別荘で過ごしていた。
父はそこに今は亡き妻の友人であるアンヌも呼んでおり、父と彼女は次第に親密になっていく。そして、とうとう彼らは結婚を考え出す。しかし、「私」はそれを祝う気にはなれず、エルザと別荘地でであったシリルという男とともに二人を別れさせるための計画を実行にうつす。



久しぶりの更新となりました。

本作はサガンの処女作で、18歳の時の作品だそうです。女性らしく、また若々しい作品かなと思いました。「私」の不安定さとか、残酷さとかは幼さ、あるいは若さからくるものだろうというのが、とても感じられる作品でした。作品全体としてみれば、つまり内容としてはとても面白かったのですが、どうも言葉遣いが私にはしっくりこない部分があり―それがサガンの書き方からくるのか、翻訳からくるのかは分からないものの―しっくりこない部分がありました。

さて、内容にうつります。本作の「私」は、母と死に別れ父と親ひとり子ひとりで暮らしてきています。父は次々と愛人をつくっては別れるような人で、瞬間、瞬間を生きているような人です。その姿をみてきた「私」も父の生き方に共感しており、同様の感覚を持っています。実際、「私」は別荘地でシリルという男とそのような関係を形成します。
そのような生き方をしている父子のところに、別の文化が入ってきます。アンヌは、母のかつての友人であったということですが、彼女はいわゆるできる女で、非合理的なものを好まないような面をもっています。とはいえ、彼女も女で「私」の父には惹かれていきます。そして、父はその気持ちを受け止め、彼女の説得に応じて自分の生き方さえも変えて、彼女と結婚しようとするのです。
「私」は最初、父は父のやり方でアンヌと付き合い、やがて別れるだろうと思っていたのです。しかし、父は結婚を決意してしまいます。また、アンヌも「私」の母になることを意識し、「私」の行き方に干渉してくるようになりました。「私」にとってアンヌは大人で、すばらしい部分をたくさん持っている人でした。しかし、それは互いに干渉しなかったからです。アンヌは今や「私」、父、あるいはその二人の世界を変えてしまう、邪魔な存在となりつつありました。「私」は「私」の世界を守るために、計画的にアンヌを追い出そうとするのです。

干渉されたくない、父を独占したい、そうした気持ちが「私」を動かします。他の誰を傷つけても―「私」は、エルザやシリルでさえも利用しようとします―「私」は自分の世界を守るために、徹底的にアンヌを排除しようとするのです。それを一身に追い求める姿こそは若さでありましょう。
そして、計画が実行され、達成されました。「私」は父の新しい生活を、アンヌの幸せを台無しにしました。父もアンヌもこれまでの生活だけでなく、これから先の生活があったのです。アンヌはこれから十年、二十年と父と幸せな生活を送れたかもしれなかったのです。「私」はそれを壊しました。また、父に対しては、「私」の独占欲によって、結局、自由を奪うことになっていました。父にはアンヌを喪失したということだけが残りました。さらに、「私」にとってアンヌがいなくなることは、女として尊敬していた人をうしなうことでした。

―悲しみよこんにちは。
アンヌを失ったことの意味を「私」が振り返ったとき、「私」は悲しみを知りました。後悔などさまざまな感情の複合体としての悲しみ。全編を通して、悲しみという感情の重みを伝えるそんな作品になっているかな、と思います。


ところで、全く別の話ですが、この作品をとおして、所謂「空気を読む」というか、あえてなにかを言わないことが重んじられている印象を受けました。ノンバーバルな、しかも雰囲気によるコミュニケーション。表現方法として、小説、文章という言葉を選びながら、そうした沈黙を大事にしている部分があって漠然といいな、と思えました。
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by nino84 | 2008-11-10 02:43 | 読書メモ