本の感想などをつらつらと。


by nino84
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「飼育」

「飼育」(大江健三郎、『死者の奢り・飼育』新潮文庫収録)を読みました。

狭い谷間にある小さな集落。その谷に、敵の飛行機がおちた。大人たちは山狩りをし、生き残った黒人を集落へと連れてきた。僕は、その捕虜となり拘束された黒人の世話役となり、食事をあたえていた。僕や村人と黒人とは次第に心を通わせていくが、麓の町からは、黒人を引き渡せとの連絡が届く。黒人はそれに反発し、僕を人質に抵抗をするが、結局その場で処刑が行われた。

先日から続けて大江健三郎さんの短編、3作目です。「死者の奢り」同様、本作も表題作となっており、大江さんはこの作品で芥川賞を受賞しています。

さて、本作の主人公は小さな集落に父と弟と住む男の子です。「僕」は、捕虜となった黒人の世話役となり、黒人と交流を深めていきます。
本作では、その交流の過程が描かれるわけです。はじめ、「僕」ら村人は黒人を「獣のように飼う」と表現します。黒人は家畜と似たものであって、一方的に世話をするものです。ただし、あくまで獣であって、一襲い掛かってくるか分からない、そんな恐ろしさも秘めている存在でした。しかし、黒人が害のないものであることが分かってくると、村人たちは次第に黒人に慣れ、当初抱いていた恐ろしさを忘れていきます。
ただし、言葉は通じない上に、身辺の世話はしているために、その黒人の立場は、改善されても、ペットでしかありません。いつしか、「僕」らなりの黒人に対する思い入れから、黒人の処遇が麓の町から届くことを恐れるようになりました。
しかし、処遇は届きます。そして、それは黒人の命が失われることを意味することでした。黒人は自分の命を守るために、村人が忘れていた獣性をあらわします。結局、黒人は抵抗空しく殺されてしまうのでした。

黒人は、言葉が通じず、しかも立場が捕虜という村人たちよりも低い存在です。したがって、それは家畜やペットを飼っているのと同じ関係が成立しえます。そして、そのような関係の中では、飼い主とペットとの絆が深まるように、絆が深まっていくことがありえます。ただし、この作品は、深まって終わりではなく、その上で関係が深まったことで村人が忘れてしまっていた獣性を描きます。
この作品には、関係の成立からその終わりまで、戦争の影響があらわれています。それでも、関係が壊れたのは戦争の「せい」というような、反戦を中心に置いた作品のようには思われませんでした。むしろ、より一般化したかった作品なのではないかという印象を受けています。こうした低い立場のものを生み出しやすいために、戦争という舞台設定なのであって、こうした絆をも壊してしまう戦争というものを描いたのではないと、いう印象です。すなわち、立場の低い存在との関係はペットのようになりやすいということでしょうか。

たとえ飼い犬に手をかまれてもその飼い犬を突然嫌いにはならないように、それなりの絆は保たれるのです。実際、「僕」は、黒人の処遇を伝えた書記の事故死よりも、処遇に抵抗し処刑された黒人の死に対して一種の抑うつ感を感じるのです。また、実際に対等に関わっていたかのような部分が見受けられた川遊びなども、結局のところ「僕」らは黒人を上から目線で見ていました。自分たちよりも弱い(と認識された)存在との関係は、―飼い犬と友人と自分とのそれぞれの関係の違いを考えてみれば想像に難くないと思うのですが―友人とはなりえず、あくまでペットとなってしまうのでしょう。
そうであるならば、戦争というそれを生み出しうる条件が悪いのではなくて、条件に関係なく、そのような関係性そのものに問題があると思えます。逆にいえば、なぜか人間対人間の関係でも人間対ペットという関係に落ち込むことがあるわけで、どこかで人間を人間としてではなく、ペットとしてみてしまう状況があるのです。人間は社会で生きていますから、対人関係という状況のなかである人がペットと認識されれば、その人は人間ではなくなってしまいます。
人間が人間でいられるための条件は、一体なんなのでしょうね。やはり、結論を出せずに逃げますが、それだけ難しい問題なのだ、ということで許していただきましょう。
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by nino84 | 2008-12-21 23:34 | 読書メモ