本の感想などをつらつらと。


by nino84
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『飛ぶ教室』

『飛ぶ教室』(エーリッヒ・ケストナー、山口四郎訳、講談社文庫)を読みました。

わたしが語るのは、キルヒベルクの高等中学校のクリスマスのお話です。子どものなみだはおとなのなみだより小さいということはありません。学生たちは寮生活のなかで先輩や先生、近くの大人や、他の学校の生徒たちとの関わりを通して、成長していきます。

どうも乱読スイッチが入っているようで、なんの脈絡もない本を選択して読んでしまいます。本書については、そもそも『AMEBIC』よりも早い段階で読もうと思っていたのですが、たまたま購入時期が前後してしまい、この順番になりました。
そもそも、大江健三郎さんの短編集は先月末に読み終わっているのに、その感想を書くのが後手後手にまわっているために、大江さんの作品の感想を書きながら、べつの作品の感想を書くという状況になっています。年末に帳尻合わせようとは思っているのですが、やはり別の本も読みたくなっているので、難しいのかもしれません。でも大江さんの作品、よかったんでもう一回読んででも感想を書きたいとは思っています。

さて、本書はドイツの作家ケストナーの作品です。本作では、「わたし」が、2つのまえがきとあとがきを加えて、その作中作という形で高等中学校の様子を描いています。
その作中作では、高等中学校で寮生活を送るジョーニーをはじめとした5人の少年が主人公となっています。ジョーニーはアメリカでドイツ行きの船にひとりで乗せられ、そのまま捨てられたという過去をもっています。マルチンは、貧しい家庭に生まれながらクラスのトップで、絵も上手い少年です。マチアスは、勉強は苦手ながら、腕っぷしは強い少年。逆に、臆病なウリー。そして難解な本ばかり好き好んで読んでいるゼバスチアン。彼らはともに寮生活を送り、先輩とのやりとりや、他校の生徒との抗争、そして先生からの温かいまなざしのもとで成長していきます。

それぞれの少年はそれぞれに過去を背負っており、それぞれに悩みを抱えています。ケストナーは、「人形がこわれたといって泣くか、あるいはもっと大きくなってから、友だちをなくしたといって泣くか、それはどっちでもいいのです。(中略)なにを悲しむかということは、すこしも問題ではなく、どれほどふかく悲しむか、ということだけが問題なのです。」と述べます。子どもの世界は大人の世界よりも物理的に狭いのですが、だからこそ大人にとってはとるにたらないことでも、子どもにとってはとても大きな悲しみにつながることが多くあります。
極端な例ですが、お気に入りの人形がこわれ、なくなることは、その子にとっての世界の崩壊かもしれません。子どもはものの納得のさせ方が、大人ほどには上手くありませんから、あるいは大人よりも大きな悲しみに直面しているかもしれません。かけがえのないものがなくなるという体験は、誰にとっても悲しいものだと思えます。しかし、その人にとってのかけがえのなさをはかり間違えると、人の抱えている悲しさを理解することはできないでしょう。
ただし、ケストナーは本作を通じて、子どもの悲しさだけを伝えたいわけではないでしょう。伝えたいことは、子どもには、子どもの世界がある、ということを再認識して欲しいということだと思えます。その世界の中で、ギャングエイジの子どもたち―年齢は16歳前後だと思われますが、女性が出てこないために、作品の主なテーマは同胞になっています―は、さまざまな経験をして日々を暮らしています。読者の誰もがかつてはそうだったことを、ケストナーはあらためて描いてみせてくれています。
寮の監督の先生との関係は理想化されすぎているようにも思えますが、それはフィクションとして、そういう大人がいたらすばらしい、といった具合で読んでいました。ある意味では、子どもの世界を忘れない大人という、ケストナーなりの理想像なのかもしれません。

ちなみに、作品の時期は、クリスマス前後になっています。特に意識せずに購入しましたが、図らずも季節モノということになりました。そんなこともあり、いつぞやのこの時期にはディケンズの『クリスマス・キャロル』を読んでいたことをふと思い出したりしました。あれは狙って読んでいたのですが、やはりヨーロッパでのクリスマスの扱いは、日本のそれよりもはるかに重いんだということを感じずにはいられません。
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by nino84 | 2008-12-26 19:44 | 読書メモ