本の感想などをつらつらと。


by nino84
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カテゴリ:視聴メモ( 38 )

『MACROSS ZERO』

『MACROSS ZERO』を観ました。

西暦2008年、統合戦争末期。鳥人伝説の残る南の孤島、マヤン。統合軍はその海底に異星人の異物と思われる物体を調査していた。統合軍主力のF-14での調査飛行中、彼らは反統合軍のMig-29との遭遇戦に突入し、次々と撃墜されていく。
そのMig-29に撃墜されたF-14のパイロットの一人であったシンは、目を覚ますと、マヤンの島にいた。



地元のビデオレンタル店が一本100円というので、思わず借りてきてしまいました。まとめて5巻。OVAなので、時間としては全体でおよそ2時間半と、本数の割にたいした事はないです。テレビシリーズを観ることを思えば…!!

さて、本作はタイトル通り、「マクロス」シリーズの作品です。
特に本作は「ZERO」ということで、シリーズ1作目『超時空要塞マクロス』よりも時間軸的に前のお話になっています。具体的には、1999年にマクロスが地球に落ちてきて、それを契機に統合戦争がはじまります。この戦争が2008年、すなわち本作の時点まで継続しているのです。
本作は、そんな、世界が長年戦争をしている時代のお話です。

大きな筋としては、「島に伝わる伝承が本当で、それは異星人の異物のことを指していて、それを目ざめさせると世界が滅ぶといわれているのに、それがオーバーテクノロジーであって、利用可能性が高いために、統合軍と反統合軍が島民を無視してそれを奪おうとするけれど、それは人の気持ちに敏感だから、争ってる人たちのものにはならないよ」というようなものです。「マクロス」シリーズなので、どこか「愛は地球を救う」のような雰囲気が漂っています。
とはいえ、話より何より、戦闘シーンのクオリティの高さに目がいく作品かな、という気がします。機体も、ミサイルも弾幕もとてもよく動きます。それにつられて画面もよく動くので、一歩間違えると酔うのではないかと心配になるほどです。個人的には、筋があまりぐっとこなかった―物質至上主義ではダメではないか?という最近ちょくちょく類似品を観るような筋であるように見えました―ので、とにかく、筋はともかく戦闘シーンを観ようというようにして、観ていました。同シリーズの『マクロス・プラス』が手書きアニメの戦闘シーンの極地のような言われ方をときどきしていますが、本作ではCGを上手く使って手書きとはまた違った戦闘シーンが展開されています。戦闘シーン、すなわちドッグファイトですが、もう、この作品はこれに尽きます。

「マクロス」シリーズということで、伝統の三角関係―主人公、シンとマヤンの巫女姉妹―も描かれますが、全5巻なので、あまり三角関係していません。シンの心があまり揺れないので、本作においてはそれほど見所とはなりえないかな、という印象です。
また、同シリーズでは、歌も伝統的に重要な要素となっています。今作のヒロインも歌っています。しかし、なんども歌っているわけではないので、他の作品よりもその印象も薄いように思います。
こうやってみると、本作は、変な言い方ですが、あまり「マクロス」してないかもしれないですね。


また、シリーズ他作品との関連として、シリーズ第一作の登場キャラクターである、ロイ・フォッカーも登場します。筋そっちのけで、こちらの人間関係を楽しんでいる人もいるのではないでしょうか。なんとなくそんな気がします。

とにかく、VF-0―シリーズ第一作の機体の先代機―とMiG-29の戦闘を楽しみましょう。それだけで十分に観応えがあると思います。
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by nino84 | 2008-08-31 21:34 | 視聴メモ

『崖の上のポニョ』

『崖の上のポニョ』を観ました。

父親の目を盗んで家出をしたポニョは、陸地近くまでやってきてジャムの瓶からでられなくなってしまい、そのまま浅瀬にうちあげられてしまいます。崖の上の家にすむ宗介は、それを見つけ、ポニョを助け出します。
「ポニョ、宗介、好き」。しかし、ポニョは父親に海に連れ戻されてしまうのでした…。



久しぶりに映画を観てきました。言わずとしれた宮崎駿さん監督の作品です。話題作でありながら、奇跡的に事前情報がほとんどない状態で観た―ポニョという主人公しかしらなかったのよ―のですが、楽しく観ることができました。
個人的に評価が分かれそうな作品かな、という印象をもったので、情報提供者の主観がかなりはいった事前情報を与えられることになったと思うのです。そういう意味でも幸運だったかな、と。

さて、本作の話に戻ります。
作品の冒頭で「はじまり」と文字を入れ、スタッフロールのあとで「おわり」と入れてみる。また、絵そのものがかなりデフォルメされていたりと、絵本や紙芝居―後者の方が近いか―のような印象をうける作品となっています。
また、デフォルメされているとはいえ、そこは宮崎駿さんの作品なので、深海の生物たちは生き生きと描かれます。こうした非日常、ファンタジーの世界を描くことにかけては宮崎駿さんは昔から非常にうまいな、と思います。それは『風の谷のナウシカ』に始まったもので―生命が画面に溢れ出したのは『もののけ姫』あたりからだと思いますが―、今回も深海はそのような流れの中で生命観にあふれたものとして描かれます。一方で、宗介は普通の幼稚園児なのであって、彼が住む世界は『となりのトトロ』のような子どもの日常の生活感を描いており、”抜け道”とか、幼稚園での子ども同士のやりとりや子どもと施設のおばあちゃんのやりとりとか、そういったものがきっちりと描かれます。
そして、その二つの世界は、それぞれの世界に住むポニョと宗介の出会い―正確には再会ですが―によって、ミックスされていきます。そこで広がる世界は、宗介―つまり私たちの世界の住人―が知っている世界でありながら、生命が溢れています。山間の道路は海に沈み、その舗装された道路の上をデボン期の生物たちが泳ぎ回ります。そこは日常でありながらファンタジーなのです。ポニョと宗介はそのような世界を冒険するのです。

現実とファンタジーの世界のミックスは、一面、子どもの夢の世界―ここでのそれは宗介にとってということになりますが―なのです。
それを説明するにのは、宗介の話をしなくてはいけません。宗介は5歳の幼稚園児で、母は幼稚園のとなりの老人介護施設で働いており、父は船乗りでほとんど家にはいません。しかし、丘の上にある自宅からはときに沖を通る父の船をみることができ、そのようなときにはモールス信号で交信するのです。宗介にとって海は自宅の目の前に広がるもので、そして父の働く場であって、あこがれの場なのです。船乗りの帽子をかぶり、双眼鏡を肩にかけ、おもちゃの船を小脇に抱えている、という姿が作中で描かれますが、そういう風にして父の背中を追っているともいえます。
そんな子にとって、朝起きると庭先からはてしなく海が広がっているのを観ることは、わくわくしない訳はないのです。
この場面は、前日の嵐のあとの場面であり、母親が施設の老人たちを心配して一人ででていってしまった後なのです。家には宗介とポニョの二人しかいません。宗介はもちろん母を心配し、探しに行こうという流れなのですが、しかし、そこには母が嵐で行方不明という悲壮感はありません。ポニョの魔法によって大きくなった模型の船で、新しい世界に乗りだすというわくわくが全面に描かれるのです。

このあたりの場面のとらえ方というのが、この作品をよく表しているように思います。つまり、この作品に悪い人はいないのであり、悪いことは起こらない―実は起こっているのですがそれは深くは描かれません―のです。
宗介の家族は、前述の通りです。現実の世界からファンタジーの世界へと巻き込まれていきますが、『千と千尋の神隠し』の両親のように、醜い姿をさらすことはありません。母は突然やってきたポニョを受け入れますし、作品中では一貫して誰かを心配しています。そして父は海の上から子どものことを考えない日はないのです。父が帰ってこられなくなったことを、母が電話口で怒る、ということがあるのですが、そうした夫婦ケンカの場面は、しかし、結局、高速でのモールス信号でのやりとりでもってほほえましいものにおとしこまれてしまうのです。実際、劇場の子どものこの場面への反応は笑いでした。状況が悪いのであって、人が悪いのではないのです。
一方で、ポニョの両親です。父親は、最初ポニョを心配して宗介のもとにいたポニョを無理に連れ戻します。ポニョが心配だから、それをするのです。地上は汚れているのであり、深海のきれいな場所にいた方がいいだろう、というのです。彼は父親としてポニョを保護するという責任を果たしているにすぎません。5歳児が家でしたらつれもどす。成人した子どもをどうこうするなら話は別ですが、5歳児への対応としては実に普通の対応です。とはいえ、親の心子知らず。結局、ポニョは二度目の家出をしてしまいます。それで父親はポニョの母親にそのことを相談するのです。
ポニョの母親は…だれなんでしょうね。作品中では詳しくその地位を説明されることはありません。ただデボン期の海を知っている人物であることはわかるので、大変長い時間を生きている存在であることが分かります。そんな母親ですから、普通の親とは考えのスケールが違います。ポニョが宗介と一緒にいたいということをあっさりと認め、その解決策として「ポニョが人間になればいいのよ」と言ってのけます。父親の「しかし、それは失敗するとポニョは泡になってしまう」という心配さえ、「生物はもともと泡からうまれたのですよ」の一言で退けます。つまり、原始の状態に戻るだけであって、そんなことはたいしたことではないのです。なんというグレートマザーでしょうか。それは父親が過保護になるのもなんとなく分かります。この母親は人間を育てるのに向いていません。魚は卵を生んだらそれで子育ては終わりです、愛着は形成したりしません。母親はそうした海の生物ベースの考え方で子を育てることを考えているのでしょう。一方で、父親は人間をやめたとはいえ、人間の考え方を捨てたわけではありませんから、我が子は我が子として保護したいのです。そのあたりの齟齬は、しかし、母親が偉大すぎてなんら考慮されません。弱い父親です。とはいえ、父親が弱いことはこの作品には関係のないことなので、おいておきます。
それよりも、この父親はどうやら元人間らしいのですが、なぜか深海で暮らしています。このあたりの状況の説明はなにもありません。そのことをこそ問題だと思うのですが、それは作品の本質ではないために作中では放っておかれます。断片的に分かることは、人間の住む世界が汚すぎて、生きていかれないと思い、なんとかして人間をやめたようです。そうしたことを語らせることで、「この世界は汚いけれど、そうでは内部分もあるんだよ」という作品の言いたいことの、前提部分を言わせているにすぎません。ポニョの一回目の家出の際に、陸に近い海が汚れていることが描かれますが、その描写をふくめて、作品の前置きをしているにすぎません。
ちなみに、父親は海底でなんらかの水を生成しており、深海にある自宅の井戸をその水で満たすくらい生成することで、世界をカンブリア紀まで戻すということを計画していたらしいのです。このあたりをふくらましていけば父親は悪い人として描くこともできるのでしょうが、本作ではそのようなことはしません。

前述の「悪いこと」というのは、この計画のことで、ポニョの家出の影響で中途半端に実行されてしまい、現実とファンタジーの入り交じった世界を形成するきっかけになります。作中では、宗介とポニョの二人旅がメインであるために、世界規模での異常が描かれることはほぼないのです。月が地球に近づいてきて、海の水がせり上がってしまい、その結果そこが船の墓場のようになってしまったり、「人工衛星も落ち始めた」り、とかなりまずい状況なのですが、それを深く描くことはしません。あくまで中心は子どもの世界であって、世界規模の危機や、世界を救うということが中心ではないのです。
したがって、スケールの非常に大きな背景の前で、非常に小さな冒険が繰り広げられるというアンバランスさによって、一面非常にとらえどころのない作品ではあるのです。これ以前の宮崎駿さんの作品というのは、『風の谷のナウシカ』にしても、『もののけ姫』にしても、個人的な導入の仕方が結果として大きな冒険につながるという作品であったように思います。世界の危機と個人の問題とは直結しており、その関係が非常に分かりやすいものであったといえます。しかし、本作は非常にそれがわかりにくいのです。あるいは、『となりのトトロ』のような小さな世界での小さな冒険になっていくのであれば、捉えやすくもなるのでしょう。
しかし、宮崎駿という人は、そんなことはすでにやりきったのでしょう。本作はそんなことはしてくれません。子どもがそこにあるものについて、その原因を世界規模で考えることはありませんから、世界の設定はこの作品においては必要ないのです。そのため、世界の設定が気になり始めると、作品としてそれを説明してくれることはありませんから、説明不足であって、作品として欠陥のあるものという見方もできるのです。
このあたりが私が冒頭で書いた評価が分かれるだろう、と思う部分です。そういうものが入っていなかったのが、幸運だと思ったのです。

本作は、畢竟、子どもの小さな冒険の話なのです。
海に囲まれた家を出発し、母のもとまでたどり着くという、その部分は、―冒険の楽しさや、苦しさも含めて―しっかり描かれているのです。そこに付随する形でそれを見守る家族が描かれてもいます。彼らは子どもが冒険していることを知りながら、それを助けに行こうとはしません。心配しながらも、ただ彼らを信じ、ゴール―宗介の母の仕事である施設―で待っているのです。また、施設の老人たちも宗介を応援してくれます。彼女らにとって、宗介はいつも施設に顔を出してくれるかわいい子どもなのですから、そうした見守る視線が生まれてきます。こうした多くの人たちに見守られ、宗介とポニョはゴールにたどり着き、そしてポニョは人間になって物語は終わるのです。

このような冒険をする場所を整え、そして彼らを支える家族を描こうと思ったときに、宮崎駿さんは、ファンタジーという方法をとったのです。それが宮崎さんのスタイルですから、それは否定すべきではありません。押井守さんがSFで多くを描き、富野由悠季さんがロボットを介して多くを描くように、それはそれとして観ればいいと思うのです。あとは、視聴者がその表現を好きか否かという部分になるはずです。
しかし、宮崎さんが大きな背景を示すときには、大きな物語が展開するものだと思っている人たちにとって、本作は肩すかしをくらわされたようなものでしょう。そうした先入観もこの作品を捉えにくくしているように思います。
世間は宮崎駿さんには彼らしい作品を求めますが、本人はそればかりやっていては飽きもするでしょう。実際、彼は何度も「もう作品をつくるのはやめる」ということをいっているのです。まったくの想像ではあるのですが、本作を観ながら、表現者としての評価が定まってしまうと、やりくいだろうな、と思ったりもしました。


いろいろな話をしてしまったように思いますが、主題以外の部分で非常に余白の多い作品なので、いろいろなことが考えられる作品かな、と思います。
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by nino84 | 2008-08-14 14:09 | 視聴メモ
『ブレイブ ストーリー』を観ました。

親が離婚し、家に残った母が倒れた。小学5年生のワタルは自分の運命を変えるため、異世界、ヴィジョンへと旅立つ。


宮部みゆきさんの小説『ブレイブ・ストーリー』の映像化作品です。原作を読んだことはありませんが、ハードカバーで上下巻、文庫で3(角川文庫)あるいは4巻(角川スニーカー文庫)立ての大長編なので、2時間の映像化はやるだけすごいな、という感じがしました。原作からはかなりカットした部分があると思われます(少なくとも宝玉1個分はエピソードが足りないと思う)。
とはいえ、1映像作品として観たときには、テーマが絞られており、―僕が特定の理解の枠組みを持っているとはいえ―かなりすっきりと整理されており、かなり面白い作品だったな、と思います。

テーマは一言でいえば、少年の成長、ということに尽きるかと思います。
家族崩壊の危機にあって、自分の幸せ―家族が元通りになること―を目的としてヴィジョンに訪れたワタルが、その世界で人と交わり、ミツルという自分と目的を一にする男の子と出会い、父の葛藤を知り…そして、ヴィジョンの崩壊の危機に直面する。その中で、ワタルは人を犠牲にしてまで自分の幸福を願っていいのか、という疑問を感じはじめる。
当初、自分にしか向いていなかった目が、様々な体験により外へと向きはじめる。そして、その目線で得られたものと、自分というものとの兼ね合いを見つけ出そうとするのです。

小学校中学年くらいから俗にいうギャングエイジで、自分と同じような思考の子どもたちが集まって仲間集団を形成する。それが中学校、高校と進学するにしたがって、その子の周りの社会が広がることで、同じような思考のものたちだけと付き合っていくわけには逝かなくなる。そのようにして広がる社会の中で、他者の視点―他者が自分と違うこと、あるいは同じことを考えていることを知る―を取得していくし、社会性ともいえるものを身に付けていく。余談ですが、こう考えると、ミツルの対応が一番小学5年生っぽいのです。
一般的な発達年齢からいえば、小学5年生のワタルという少年は、まだギャングエイジから脱却できないくらいの、それでも児童期から青年期に入ろうかというくらいです。そんな少年が、ヴィジョンでの冒険が、発達の最近接領域―その人の能力を少し越える課題―的な働きをして、引っ張り上げられたと考えるべきではありますが、青年期的な課題を一面乗り越えるというなんともすごい内容だったりするわけです。
ちなみに、こういうのは最初、知性化―頭で理解する―だけで、行動が過剰だったり、過小だったりといびつになったりする可能性もあるのですが、ワタルは最終的に自分の言葉で女神さまに願いを言いますから、そんなこともなく、しっくりきているんでしょうね。


このように個人的には、2時間でこのテーマを描いたと観たわけです。こういう枠組みがあると非常に理解が進むのですが、これかなりの急展開ですから、主要対象年齢は分かりませんが、小中学生にはしっくりくるのは、意外と難しいのかな、と感じたりしました。
おそらく、原作にはこれのテーマ以外の部分がかなり入っているはず―離婚前後の夫婦間葛藤は宮部さんなら描きそうだな、と。これはワタルが両親それぞれとぶつかりあうときにもベースとして影響するでしょう。―ですし、またこのテーマに関連したエピソードもあったはず(父・子の意見のぶつかり合いはあったものの1回だけですし、母・子のぶつかり合いは、葛藤がおきそうな場面(夫を追わない母を疑問に思うワタル)をさらっと流した点からの判断)と思ったりしました。
そんな中で、この話を一本筋を通して、成立させたという点で、個人的には評価高いです。満足。


ちなみに、細かいシーンのつながりを考えるとツッコミどころがいくつかあります。パンくわえて家を出て行って次のシーンでパンが既になかったり(好意的に考えれば、マンション降りていくうちに食べきったのだろうが)、キ・キーマと突然再会したり、ハイランダーの一行と突然再会したり。
また、サブキャラクターについても、(おそらく)時間の都合上、ミツル以外はかなり薄っぺらい印象。ミーナの両親の話は断片的に語られるもののほとんど出てこず、そもそもキ・キーマは素性がわからない。本編を通して、後者は同行者という以外の存在意義が致命的にない。
とはいえ、こういう点を全部解決しようと思うと、どう考えても時間が足りないでしょう。ですから、テーマを絞ってそれだけはしっかり書く、というのでいいと思うのです。周辺事態は原作で楽しめばいいのかな、と。
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by nino84 | 2008-06-29 22:59 | 視聴メモ
『テニスの王子様 Original Video Animation 全国大会篇 Final Vol.0』を観ました。

テニスの全国大会決勝戦進出を決めた青学一同。そのご褒美にと青学レギュラー陣は焼肉を食べにきたのだが、それを聞きつけた四天宝寺、比嘉、六角、そして氷帝の面々も集まってきた。
かくして中学対抗の焼肉大食いバトルが幕を開ける!



OVAで細々とやっていると思っていたら、もう決勝戦直前まできているのですね。それにしても、マンガ連載中も決勝戦前に何をやっているのかもう突き抜けすぎて分からなかった本エピソードですが、飛ばさずにきちんと映像化してしまったスタッフは分かっているというか、なんというか…。そもそも何が分かっているのか、という話でもあるのだが。

さて、このエピソードですが、原作でも『焼肉の王子様』ということで番外編のような位置付けになっています。そのため、vol.も0になっていますね。

…ギャグですよ?全編。

普段、本気で書いてもギャグになる人が本気でギャグを書いたらどうなるのかを体現(実験?)したエピソードですが、成立するものですね。なにからツッコんでいいのかすでに分かりません。起きている事象に対してはすべてにツッコんだらいいんじゃなかと、そんな気さえしました。


焼肉奉行、大石。
なぜか(当然のように?)魔王のような描かれ方をする田仁志。
髪の毛を「王者の秘密」と言い切る跡部様。
波動球を口から出してみた石田。
etc.etc...

24分の映像作品によく詰め込んだな、という感じはします。いや、こんなことを1時間やられても困るのだけれど。
各キャラクターを知っていることが前提の話ではあるので、多少ハードルは高いのかもしれませんが、原作のこのエピソードを覚えているなら一見の価値はあるかと思います。やっぱり動きありきの演出もありますし(ムーンサルトとか)。



ところで、おまけの映像のなかで跡部様の登場シーンは終始髪の毛を抑えている姿なのは…スタッフ分かってるなぁ。
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by nino84 | 2008-05-18 15:41 | 視聴メモ
『劇場版名探偵コナン 紺碧の棺』を観ました.

太平洋に浮かぶ神海島に,訪れたコナンたち.この島には女海賊が残した財宝が眠っているとの伝説があり,その伝説をもとに全島を舞台に宝探しゲームが開催されていた.
お宝を見つけようと張り切る少年探偵団だが,ホンモノの財宝目当てのトレジャーハンターが殺されたことを知り….



久しぶりに更新してこれか,と言う感じですがこれです.随分前に『銀翼の奇術師』を見たきりだったので,全編通して劇場版のコナン君を見るのは久しぶりです.
前回は友人と作品をツッコミながら観るということをしていたのですが…やっぱり,今作も….


作品としてはなんか,作品を重ねるごとにアドベンチャー要素つよくなってるんですね.劇場版なので,スケール感とか,そういうものを大切にしたいんでしょうけど.海賊の財宝かぁ.

映像作品なので,犯人はだれだ,とかを自分のペースで考えるものではないというのは分かるので,どうしてもその要素が薄まって,いかに危機を乗り切るかというところに焦点が当たってくるのは仕方ないことではあるのでしょう.劇場版では,テレビ版のように,次週解決編ということもできませんし.
加えて長年続いていると前作を超えようという意識も生まれるでしょうから,だんだんスケール感の大きな冒険活劇になっていくのは,解決策のひとつではあるのでしょう.

そういうことを考えて,では,そこそこの年齢の大人がどうやってこの作品を観ようかと思うわけです.いっそお約束があること(コナン「らーーーーーーん」)を確認して,あとはいかにツッコめるかみたいな,作品,という認識が私の中では作られつつあります.
いや,本来対象としている子どもが観る分にはいいと思うんですよ.でも,対象がそういう作品だからこそ,お約束というか,俗に言うフラグというか…,そういうものが露骨な作品なので,そういったものが見えるようになると,やはりツッコミメインで観るしかないのかなぁ,と.
いや,むしろツッコんでこそ劇場版のコナン作品は面白いと思う今日この頃(サンプル数2).


山口勝平さんの無駄遣い(いや,予算があるのは分かりますが).
唐突にはじまるメタンハイドレートのマジ説明(フラグ立ちました).
アルファベットの分かる小学一年生(勢いLを重ねることができる).
なぜか渡される小型の酸素ボンベ(フラグ立ちました).
答え分かっても最終的には2択(スパイラルでもあったなそういうの.魔方陣だったが)…って,躊躇しないんだね(一回目みたいに人にやらせろよ).
フラグを立てたわりに大した危機にならなかった爆破(これは未来少年コナンを期待した僕がまちがいでした…って,それはすでに別の作品でやってるんだっけ?).
ED終わっても置いてけぼりな少年探偵団+アガサ博士(せめてお宝がなんだったくらいの話はしてあげても…).


…まぁ,いろいろありますわな.
まぁ,とりあえず観てみればいいと思うよ?ただし複数人で.
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by nino84 | 2008-05-17 19:08 | 視聴メモ
『ターンAガンダム II 月光蝶』を観ました。

キングスレーの谷で発掘された宇宙船ウィルゲムをつかい、月へと向かうロランたち。
しかし、ギム・ギンガナム率いるムーンレイスの軍隊が彼らの行く手を阻む。ギンガナム軍は月の女王たるディアナ・ソレルを差し置いて、月の主導権を握ろうとしていた。



前回観た作品の後編にあたります。前回同様、無理してまとめている感じは否めず、やはり説明不足だと感じます。テレビシリーズでも後半はかなりとっ散らかっている印象をうける作品でしたが、短い時間に詰め込むとそれ以上に分かりにくくなっています。

ともあれ、『ターンAガンダム』というテレビシリーズ自体のクオリティ―世界の作り方とか、キャラクターの描き方という点で―はとても高いと思います。テレビシリーズ前半は世界を作ることに重点が置かれており、そのどこかズレた世界が見所です。そして、後半はそれぞれのキャラクターがかなりかなり自由に動いて、次々と状況が変わっていくのが見所といえるでしょう。
今回は後半なのですが、なにぶん時間が限られ、人物描写に時間を裂けない状況にあるために、事を起こすことでそのキャラクターの性格がわかるという、本来なら順序が逆になるべき事態が起こっているように思います。
キエルが突然に告白してみたり、グエンが突如として裏切ってみたり。このあたりはテレビシリーズを見ると何かとしっくりくるのですが、やはり展開が早いことで違和感がありました。

やはりテレビシリーズを観るべきです。というか、『地球光』を観て、世界観が好きそうであれば、テレビシリーズに移りましょう。『地球光』からの流れで、本作を観ても了解できないことが多いと思います。
…長いのが難点ですけどね。
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by nino84 | 2008-03-15 13:18 | 視聴メモ
『ターンAガンダム I 地球光』を観ました。

人々が地球と月に別れて暮らしている時代。銀髪の少年ロラン・セアックは地球帰還作戦の先発隊として地球に降り立った。
そして2年。いよいよ本隊が降下してきたのだが、月のMSは産業革命さなかの地球人にとって脅威でしかなく、交戦状態となってしまう。そんな月と地球の戦争に、ロランは巻き込まれていくことになる…



またしても映像作品です。『ターンAガンダム』はガンダムの原作者である富野由悠季さんが監督したテレビアニメです。本来ならテレビシリーズもみたいところですが、さすがに4クールのアニメを短期間でというのは無理があるので、とりあえず総集編である映画を観ることにしました。本作はタイトルに"I"とついているとおり、2本の作品で完結となる作品です。本来なら2作観た段階で書くべきかもしれませんが、いろいろと思うところがあって、今回はバラバラで書くことにしました。

さて、本作は『ターンAガンダム』における前半部分をまとめた作品になっています。エピソードの順序の組替えや削除をし、2時間で2クール分の物語を進めることになんとか成功しています。
もともと富野さんはこういったみずから監督したテレビシリーズのまとめなおしという形での映画をいくつか製作しています。たとえば『機動戦士ガンダム』は3本立ての映画に、『伝説巨神イデオン』は2本立ての映画に、最近では『機動戦士Zガンダム』を3本立ての映画にまとめなおしています。
最新作である劇場版『Zガンダム』でこうした手法をかなり使いこなしているな、という印象をうけましたが、今作について言えばやはり総集編としての域を出ていないように思います。その原因は『ターンAガンダム』という作品が他のガンダム作品に比べてかなり異質な作品であることにあると思われます。すなわち、『ターンAガンダム』という作品は、いわゆる白トミノの作品―俗に、皆殺しの富野といわれテレビ版『Zガンダム』に代表されるように主要なキャラクターを躊躇なく殺していく作風で有名であった時期を黒トミノ、そうした路線が解消された『ブレンパワード』あたりからの時期を白トミノという―であり、作品全体としてやさしい雰囲気をかもし出しているのですが、エピソードを丸々削ることでその雰囲気の一端が崩れているのです。

テレビ版では、月に住む者ムーンレイスと地球の住民との間での小競り合いがとても丁寧に描かれていました。それは別に戦争を描くのではなく、一般市民同士の小競り合いを描いていたのです。たとえば、「ローラの牛」という話では環境の変化や配給不足で母乳が十分に出なくなったムーンレイスの母親のために、すでに家を立ち退いた地球人の農家から乳牛を調達するといったエピソードが描かれます。
こうしたエピソードの多くは、作品の世界観を広げる役割を果たしはするものの、なんら物語りの進行に影響を与えませんから、率先してカットされていく運命にあります。こうしたエピソードこそが『ターンAガンダム』の真骨頂だというのに。

一方で、多くのエピソードがカットされていく中、残っているエピソードというのは、それはやはりとても重要なエピソードであって、そうしたエピソードの積み重ねられている本作の情報量は当然かなりのものになります。
とりあえず、本作の見所は最終盤の核を巡るエピソードでしょう。核のおそろしさを知るムーンレイスとそれを知らない地球の人々。発掘したものはすべて価値あるものであると考える地球人は、ムーンレイスが発掘した核を力ずくで奪おうと試みます。本当に、怖い。富野さんは、いままでいろんな形で戦術核は触れてきているけれど、このエピソードが一番印象に残っています。


といいながら、雰囲気の一端を感じ、よさそうだな、と思ったらやはりテレビ版を観ることを全力でお勧めします。完全に説明不足なので。
テレビ版では、今作の範囲内なら8話と27話がお勧めです。
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by nino84 | 2008-03-13 08:41 | 視聴メモ

『Corpse Bride』

『Corpse Bride』を観ました。

魚屋が成功し、成金となったヴァン・ドート家は、貴族であるエバーグロット家と婚姻関係を結ぶことで家系に箔をつけようと計画する。政略結婚とはいえ、ヴァン・ドート家の跡取ビクターとエバーグロット家の娘ビクトリアは結婚式の前日初めて出会い、互いに惹かれあう。
しかし、ビクターは誓いの言葉を覚えることが出来ず、結婚式は延期。ビクターは失意の中、町外れで誓いの言葉を繰り返す。そして偶然、死者の女に誓いの言葉をのべることになり…



久しぶりに映像作品です。先週末にレンタル料が安かったのでなんとなく借りてきました。以前なら2クールのアニメ作品を平気で借りてきたのですが、最近はそんなに観たい作品があるわけでもなく、そんな元気がなく、そして時間もないということで、簡単に観られるものを探してしまいます。

さて、今作はストップモーション・アニメ―人形を少しずつ動かして写真をとっていき、連続して動かすことで動画にする手法―で作られた作品です。実は前回の視聴作品『スウィーニー・トッド』に引き続きティム・バートン、ジョニー・デップコンビの作品だったりします。ティム・バートンはともかく、声優陣は誰も知らなかったので、全くの偶然ですが。

作品としての世界観は非常によく練られています。生者の世界と死者の世界の対比は分かりやすかったと思います。
生者の世界は政略結婚に現れているように階層がはっきりとしており、なにはともあれ金が必要で…と縛られるものが多い。一方、死者の世界には縛られるものがない。生者が死者のように、死者のほうが生者のように描かれるのである。この世界が決まりごとだらけで生きにくいというのはなんとなく納得する部分かな、と思いながらも、そのあたりを見事に表現できています。
表現方法としてのアニメーションという方法が、死者を死者らしく見せないこと―もちろん、一見して死者だと分かるのですが―に大変大きな役割を負っていると思います。実写でやるとおどろおどろしくて観ていられないでしょうから。
こうした世界観の構築はとてもよかったと思います。

次は話の内容について。話としては分かるのです。肉体は滅びようがなんだろうが、精神は死なない。それはいいのです。そのために世界をつくり、必要な駒も十分にそろえられていたと思います。大きな筋としては、納得できる話になっています。
しかしながら、その駒の登場のさせ方が雑…というか、なんでしょうね。登場人物が揃った段階で、オチがほぼ正確にわかるというのは、個人的にいただけない部分でした。
もちろん、予定調和でそれはそれで良いという評価もできなくはないのです。ただ、この作品は予定調和が過ぎるのです。心情からなにから私の予想がほとんどそのまま展開していくのです。オチに到達するまでに「あぁ、このオチは確かに感動するな」と冷静になれる時間があってはいけないと思うのです。

大きな話の流れがハッピーエンド(?)なだけに、それまでにいくつか裏をかいた展開が欲しかったように思います。いっそ、主人公死ぬ、くらいの。
そう、主人公死ねばよかったんですよ。むしろ、みんな死ねばよかったんです。
あるいは、"あの男"が登場した瞬間に物語がすべて了解できてしまうことが問題なので、"あの男"をもうすこし慎重に導入するとかでもいいのか。


そんなわけで、個人的には世界観を楽しみましょう、という作品になってしまいました。そして、オチは感情の赴くままに観たいよね、ということを再認識しました。
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by nino84 | 2008-03-11 10:03 | 視聴メモ
『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』を観ました。

かつて理髪師の男には美しい妻と生まれたばかりの赤子がいた。しかし、その妻を有力な判事が見初めたことで、男は無実の罪で終身刑に処せられた。
そして15年。男はかつて暮らした街、ロンドンに帰ってきた。妻への想いと判事への復讐心を胸に秘めて…。



本作はゴールデン・グローブ賞をミュージカル/コメディ部門で受賞した作品です。全編で20曲を超える歌が挿入され、物語の雰囲気をドラマとは異なったものにしています。
たとえばふたりが同時に発声するというのはドラマではまずありえないですが、歌ならそうした状況もむりではありません。また、歌詞にくわえ、リズムやメロディーなどがあり、セリフよりも直に感情が表れているように思いました。あまり頻繁に映画をみるわけではありませんが、全体的に演出の違いというのをずいぶん感じました。こういうの、いいかも。

また、全体的に紅が印象にのこりました。舞台が霧の都ロンドンであり、全体的に暗い雰囲気で統一されているのですが、その中で血の紅が鮮やかでした。本作はR-15指定がされていまが、観れば仕方ないかな、と納得できるでしょう。
一方で、ミセス・ラベットが海辺での暮らしを夢見て歌う場面では一転してさわやかな海と空の青が印象的だったので、紅はトッドのどす黒い感情を表していたのかな、と思うところがあります。

人物の行動だけを追うと、かなり残酷な作品となるのでしょうが、歌や映像によってかなり登場人物の感情が描かれており、そこまで残酷な印象は受けませんでした。むしろ登場人物の感情が分かりやすくなっているぶん、理性的に行動を観ることができたように思います。


さて、印象の話だけでなく、筋の話もしましょうか。以下、ネタバレになりますので、ご注意ください。

前述のとおり、お話としては理髪師の男、トッドの復讐劇とすることができます。
彼は終始一貫して夫を失い毒を飲んだ妻の復讐のみを求めています。自分の娘が判事に養子として育てられていることを知った彼は、さらに判事への復讐心を募らせていきます。しかし、判事への復讐の機会がなくなり、同時に判事の屋敷から連れ出された娘の行方もしれない、そんな状況に絶望すると、彼はこの世界に絶望します。一人ではなにもできない矮小な人間。そんなものは死んでしまえばいい。そして、彼は自らのカミソリで客の首を切り裂いていくのです。

一方、トッドに店を提供したミセス・ラベット。彼女は一貫してトッドの愛を求めます。トッドがいない15年、彼の妻は彼の元にいません。彼女はいまだに妻の影を追うトッドに、いまそばにいるのは私で、それでいいではないか、と訴え続けます。しかし、その想いトッドになかなか届かない。彼女はトッドに協力しつづける-トッドが殺した客をミンチにしてミートパイをつくる-ことで、なんとかトッドを自分に振り向かせようとします。また、したたかな彼女はミートパイを売ることで儲けをだし、それによってさらにトッドとの幸せな生活を夢見るようになります。
彼女はこの世に絶望して殺人の手伝いをしているのではなく、トッドとともにいるために彼の殺人を手伝っていると思えます。この人の方が実際に手を汚しているトッドよりよほど残酷です。人をミンチにし売っている一方で、海辺でのトッドとの暮らしを夢見ることができるのですから。

二人は決して同じ思いを共有してはいません。しかし二人の感情はともにとても強いのです。
最終的に、トッドは復讐を果たすものの、ミセス・ラベットによって、その復讐も意味を失います。そしてトッドはミセス・ラベットのしたたかさを知り、彼女を決定的に拒みます。二人の歪んだ、強い感情は結局、何もかなえることはできません。
しかし、トッドの妻と共にいたいという想いはかなえられるのです。

また、判事のもとに囚われていたトッドの娘はその思いを叶えられたと思えます。
彼女の思いは決して歪んでおらず、ただ15年の年月によってかなり強いものでした。そして「石の壁などものともせず」に彼女を見つけ、助け出した男の思いも同様に強く、純粋なものでした。
そんな彼女らの思いがかなえられないことはないと思えます。


人の業の深さを感じさせつつも、エンディングは救いを残しながらうまくまとめられていました。全編を通して画面に血が舞い散っていましたが、それほど抵抗なくみられ、楽しめる作品だったと思います。
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by nino84 | 2008-02-01 20:08 | 視聴メモ
『ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記』を観ました。

かつてリンカーンを暗殺した男の日記から暗殺の首謀者として先祖の名が発見された。そのことを知ったトレジャーハンター、ベン・ゲイツは自らの先祖の汚名を晴らすため、日記に記されていた暗号の解読を試みる。


個人的にアドベンチャー(でいいのか?)というジャンルの映画はあまり観ないので、それだけで新鮮だったのですが、こういうのこそ映画らしくていいですね。映像ありきの作品とでも言うのでしょうか、動きの中での切迫感は文章よりも映像のほうが伝わってくるように思うので。
特に本作は暗号を順に解いていくという形をとり、暗号解読⇒目的地へ潜入⇒暗号入手・解読⇒目的地へ…ということを繰り返し、山場を切らさない、スピード感が感じられました。スピード感は文章ではなかなか出せませんから、こういうスピード感を感じられるというのも映画のいいところでしょうし、本作はそれが十分に備わっていたと思います。もちろん、文章でも『マルドゥック・ヴェロシティ』(冲方丁)みたいな作品もありますが、結局読み方は読者まかせになりますから、製作者の意図したように読ませるのは難しいでしょうし。
また、登場人物間のやり取りがエンターテイメント然として、ところどころでクスリと笑えるものになっています。それもまた作品のリズムを生み出していたと思います。動きがなく単調になりがちな暗号解読、潜入の計画のパートは出来る限りユーモアを用いてリズムをとっていたように感じました。
さらに長距離移動の多い本作にあって、そうした移動の部分は完全にカットされています。その結果、まさにつぎつぎと謎、という作品になっています。『ダヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン)もそうでしたが、つぎつぎと小さな山場を作っていき最後のクライマックスまで持っていく作品というのは、エンターテイメントとしてはテンションが落ちずに面白いものになりやすいかな、という印象を受けました。もちろん、変につくるとただ観るのに疲れる映画、ということになりますが…。


さて、これまでは全体的な雰囲気の話をしてきましたが、ここからは内容についていくらか。
本作の目的は言ってしまえば過去の遺産捜しなので、最終的に遺跡に潜入ということになります。そうなると当然ですが、トラップなどでアクション要素が生まれてくるわけです。主人公もいいかげん中年のおっさん(ニコラス・ケイジ)なので、正直がんばるね、という感じでした。いや、良い意味で。
ですが、それ以上におじいさんとおばあさんがアクションという、なんかあまり他の映画で見ない場面が観られたりします。まぁ、すこしではありますが。その辺もお楽しみということで。


あとはツッコミどころはいろいろありますが、本質ではない(という風な見方を私がした)と思うので、あまり問題ないでしょう。エンターテイメントとして十分に楽しめる映画でした。


といいながら、とりあえずいくつかあげてみる。以下たぶんネタバレ。
まず、敵が基本的に良い人なんだね、という。いや、ディズニーだからなのかなんなのか。「私の家系の名を、歴史に残したかった」というのが、ホントに犯行動機だったのね、っていう。そこでも愛国心というか、そういうものがでてくるんだ…。骨董の闇取引うんぬんっていうあきらかに財宝そのものが狙いです、ってほのめかしていたのに、それなんだ、と。いや、人の考えなんてそれぞれだから、「これについてはそう思った」ってのはありかもしれないけど、作り物なので文脈は大切にしてほしいなぁ、と。
あ、もしかして、冒頭の「私の曽曽祖父がうそをついているとでも!?」が複線ですか?挑発にしか見えなかったけれど…。

で、あとは例の本の47ページね。これはツッコミどころ、というか、まぁ、演出なのでいいのですが、気になるよね、っていう。
可能性としては、「製作者のおれも内容は考えてないけど、なんか謎が残ってたほうが作品として余韻がのこるんじゃね?」という実も蓋もないものとか、「衝撃的だろ?ではいってらっしゃい(次回作の複線)」とか、「実はリンカーン暗殺の真犯人なんて物的証拠も含めてわかってたんだぜ」というもの、あとはバリエーションで「お前の曽曽祖父の話、実は知ってるよ。真犯人は分かってるって」とか、考えてみました。
該当ページが活字だったので、そんなに古い時代のものではないと考えると、後半2つは説得力に欠けるように思います。主人公たちは遺跡をみつけるために泳がされていました、ということになって、大統領すごいね、ということになるのかもしれませんが…。
結局2つ目が一番無難な線かと思います。次回作もう決まってるのでしょうか?
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by nino84 | 2008-01-13 23:59 | 視聴メモ