本の感想などをつらつらと。


by nino84
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<   2005年 12月 ( 5 )   > この月の画像一覧

『オイディプス王・アンティゴネ』(ソポクレス)を読みました。訳者は福田恆存。

また戯曲です。今回は古代ギリシャ時代の三大悲劇作家の1人ソポクレスの作品で、もちろん悲劇です。ちなみに、高校ではソフォクレスで覚えた気がします。
ちなみに、本書は、『オイディプス王』と『アンティゴネ』という2作を収録しています。また、複数の作品の感想を書くことになって、どうなるか不安です。とにかく、一作ずつ書きます。

『オイディプス王』
古代ギリシャの都市テバイは混乱していた。王であるライオスが死に、都市ではスフィンクスによって次々に市民が殺されていたのである。結局、ライオスの死はスフィンクスの脅威の中、留め置かれ、忘れられ、そのスフィンクスはオイディプスによって退けられた。そして、オイディプスはテバイの王となった。しかし、平穏は長く続かず、テバイを疫病が襲った。
オイディプスはライオスを殺した者が災いをもたらしているという神託を受ける。一体、ライオスを殺したのは誰なのか…

すいません。第一段落は前振りですが、そちらが長くなってしまいました。

また、オチを知っている人も多いと思いますが、詳細は伏せておきます。個人的には、運命があらかじめ決まっているというのは信じたくないものですが、結局人は神には勝てないのだというオチになっています。読後感がすっきり、とはいきませんでした。そもそも、悲劇にすっきりするというのもおかしいのですが。
以前どこかで悲劇には喜劇の要素はいれず、喜劇には悲劇の要素をいれない、ということを読みました。そういった、古典的なルールに従えば、推理劇も交えられているものの、まさしく悲劇であるといえるのでしょう。


『アンティゴネ』
オイディプス王亡き後のその娘アンティゴネを主人公とした作品です。

オイディプス王亡き後、その後継として叔父であるクレオンを摂政として、オイディプスの息子たちが王となっていました。しかし二人の息子はともに王座を争い、共に果てた。そして、急遽クレオンが王となった。
クレオンはオイディプスの息子の一人を反逆者とし、正式に葬ってはならぬとした。しかし、その処遇に耐えられず、アンティゴネは兄を正式に葬る。そのため、アンティゴネはクレオンに罰せられることになるのだが…

こちらにもやはり神託を曲げられず、神には勝てない人間ということになってしまっています。クレオンとアンティゴネ、どちらに肩入れするかは意見が分かれるところでしょう。個人的には、クレオンの処分も致し方なしと思ってしまいます。結局最後はクレオンが折れるのですが、そこは悲劇なので、いろいろあります。


それにしても、オイディプスの家系は不幸です。末代まで呪ってやる、という感じなのでしょうか。ちなみに、『オイディプス王』にもクレオンが出てきます。しかし、『アンティゴネ』では性格が少し違うので、違和感がありました。
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by nino84 | 2005-12-29 10:26 | 読書メモ

『クリスマス・カロル』

『クリスマス・カロル』(ディケンズ)を読みました。訳者は村岡花子さんです。

クリスマスにはこれでしょう。といっても、初めて読んだのですが。ディケンズは、『デヴィット・コパフィールド』から読もうかとも思ったのですが、敷居が高そうだったので本書から入ることにしました。時期的にも、内容的にも、とても良かったと思います。

いつも通り、あらすじです。
吝嗇家のスクルージ老はクリスマス・イブの夜かつての同僚の幽霊と対面します。同僚は「お前さんのところへ三人の幽霊が来ることになっている」といって消えていきました。そして、そのとおり、スクルージのもとに一人目の幽霊が現れます。彼は「過去のクリスマスの幽霊」と名のり、スクルージを過去へといざなう。二人目は「現在のクリスマスの幽霊」と名のり、スクルージを街へといざなう。そして三人目は…


吝嗇家であるスクルージは過去の自分の姿を見、現在の知人の姿を見ます。彼は自分の過去の感情を思い出し、現在の知人に対して申し訳なさを感じます。そして、三人目の幽霊が現れたとき、彼は積極的に自らを変えようとしていきます。
スクルージの心の変化を描きながら、それでいてしっかりと彼の知人も描かれています。貧しい暮らしの中でせめてクリスマスだけはささやかに祝おうという、人々の姿がとても上手く描かれているのです。この部分が上手く描かれなければ、スクルージの心変わりしていくということに現実味がなくなってしまうのでしょうが、とても上手く展開されています。
読んだらなんとなくやさしくなれる、そんな作品です。

値段も300円と安いですし、この時期を逃すと季節ものなのですこし違和感があるかもしれません。ちなみに、僕が目をつけたのは先月ですが、この時期まで積ん読状態でした。



メリー・クリスマス
…あ、雪が降ってきました。
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by nino84 | 2005-12-24 10:27 | 読書メモ

『ドン・ジュアン』

『ドン・ジュアン』(モリエール)を読みました。訳者は鈴木力衛さんです。

『ガラスの動物園』につづき戯曲です。かつて ―おそらく『存在の耐えられない軽さ』だったと思いますが― ある作品で「ドン・ジュアン」という固有名詞を見ました。当時はもちろん、この本を読むまでドン・ジュアンなる人物がどういったキャラクターなのかを知らなかったのですが、比較的有名なキャラクターだそうです。作品としてはモリエールの代表作です。

作品としては、放蕩者のドン・ジュアンがことあるごとにその思想を武器に人とたたかう、という喜劇です。あらすじが書きにくいのですが、それは場面がとびとびでどこに話の中心があるのかわかりにくいからでしょう。ドン・ジュアンという人物を描きたかったという事であれば、彼のいろいろな部分が表れていますから、そうやって納得しました。実際にどのような評価をされているのかは知りません。

基本的に喜劇ですから、セリフのなかに当時の人の関心事が随所にちりばめられています。いわゆる時事ネタというものですね。そういうものがわかりにくいというのは難点ではあります。しかし、好色・偽善者といったドン・ジュアンの性格は普遍性があり、そこが話の中心とみえますから、現代でも十分に楽しめる作品だとおもいます。
ドン・ジュアンが二人の女性に迫られ、それをいなす場面や、無神論者である彼が改心したと見せかける場面などはやはり面白いですね。実際にはあり得ないような気がするのにあるあると思ってしまうような場面だからでしょうか。


戯曲も読み慣れてきました。といってもまだ2冊ですがね。問題なのは、分量の割に読むのに時間がかかる事です。それでも「良い方向」に読書の幅が広がった気がします。
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by nino84 | 2005-12-23 10:28 | 読書メモ

『ガラスの動物園』

『ガラスの動物園』(テネシー・ウィリアムズ)を読みました。

実は人生で初めて読む戯曲です。作品の冒頭に序文にかえて「上演のためのノート」が書かれていて、戯曲がどのようなものなのかを簡単に示してくれていたため、入り込みやすかったと思います。初心者には良い序文でした。

母とその娘と息子の3人のやり取りが描かれている。…ということにまとめられてしまう作品ですが、これは別に内容が薄いといっているのではありません。関係を中心に描いているため、話の筋は中心に据えられていないのではないでしょうか。

作者は登場人物の1人に「追憶の世界だから、舞台はほの暗く、センチメンタルであって、リアリスティックではありません。」といわせています。とはいえ、母はその子どもたちを心配する。その一方で、その子どもたちは母の干渉を邪魔なものと感じる。このようなことは往々にしてあることでしょう。
「現実っぽくない」のと「現実を描く」のはやはり少し違うことです。この劇は現実を上手く描き出していたと思います。


また、この作品は戯曲ですから、上演されることを前提に書かれたものです。そのため、登場人物の説明があります。かなり微妙なことが書いてあるのですが、役者というものはこういうものを手がかりに役作りをするのですから、難しい職業なのでしょうね。
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by nino84 | 2005-12-13 10:29 | 読書メモ
『毛皮を着たヴィーナス』(ザッヘル・マゾッホ, 1871)を読みました。

さて、タイトルや作者を知っている人がいるのだろうか?どうせ中身にも触れることになるので、ここでネタばらしをしておきましょう。
ある科学者、クラフト・エビング博士が、ある性癖を持つ人たちを分類しました。分類の際、彼はそれと同じ性癖を描いた文学作品の作者の名を取りました。彼らの名は、マルキド・サドそしてザッヘル・マゾッホ。分類された性癖とは「S(サド、サディスト)」と「M(マゾ、マゾヒスト)」。そして、ザッヘル・マゾッホの代表作が、この『毛皮を着たヴィーナス』。

これでだいたいの内容は予想がついたと思います。ここから先は読まない方が良いかもしれません。とはいえ、個人的には最近言われている「M」とはちょっと、ちがうのではないかという感じを受けました。


さて、とりあえずあらすじです。
ある友人の家で、「私」は夢で見た光景と同じと思える絵を見る。「私」が友人にそのことを話すと、友人はその絵にまつわる自分の過去を書いた手稿を示した。彼は言う「女の君主になるか奴隷になるか、男には二つに一つの選択しかありません」と…。
かつて、男は毛皮の似合う美しい未亡人と出会った。そして、彼女に征服されることに、喜びを見いだした。彼は彼女の奴隷となり、奇妙な生活を始める。そして、その関係は1人の美しいギリシャ人の登場により新たな局面を迎える。


あらすじを書いてみたものの、なんかいまひとつ上手く書けていない気がします。ともあれ、まずひとつ注意を。それは、男が出会う美しい未亡人が決して「S」では無いということです。もともと、そういった性向が隠れていたのかもしれませんが、男がそう求めるので、それが表へ現れたということになっています。

男は自らの信条に照らせば、彼は彼女の君主にはなれないであろうことを感じました。だから、男は奴隷となることを選ぶ。所有されている限りにおいて、女は男を気にかけているということですから、それで良い、ということでしょう。後半登場するギリシア人も男の存在を気にかけます。奴隷がいる限り、女を自分1人のものにできないのですから当然かもしれません。
結末を言ってしまうことは避けますが、少し考えれば男と未亡人との関係はとても微妙なバランスの上で成り立っていることが分かります。女は、一方的に男を捨てられるのですから。ただし、男が捨てられるというスリルに快楽を感じれば別ですが、あまり理解したくありません。

ちなみに、毛皮とは権力の象徴です。中世から近世にかけての絵を思い浮かべてください。エカチェリーナ2世など時の権力者は毛皮をまとっています。自分は権力に支配されている、つまり、自分は奴隷であるということをより意識させてくれる道具だというのです。一方で、女性はそれをまとうことで権力者になるというわけです。
いつの間に毛皮がボンテージに変わったのでしょうね。毛皮が権力の象徴であったとすれば、ボンテージはそれに変わる権力の象徴なのでしょうか。もっとも、権力とか愛とかそういったことは考えずに、ただいじめられたいと思っているのが今の「M」なのかもしれませんね。


これ大丈夫か…?かつて無いほどに長い上に、かつて無いほどに濃い。
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by nino84 | 2005-12-06 10:30 | 読書メモ