本の感想などをつらつらと。


by nino84
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かれこれ2週間ほどかかりましたが、『機動戦士ガンダム 0083 STARDUST MEMORY』(1990)を観ました。

一年戦争から3年、オーストラリアのトリトン基地に2体のガンダムが運び込まれた。しかし、動き出したジオンの残党によって、1体のガンダムが強奪されてしまう。トリトン基地のテストパイロットだったコウ・ウラキはガンダムを奪った犯人、かつてソロモンの悪夢と呼ばれた人物とまみえる…。


「強奪される」と受け身形で書いてみたものの、なんか違和感があります。おそらく、終盤になるに従って、主人公がコウからガトーに移るからでしょう。ソロモン襲撃から後は完全にガトー少佐のお話です。最終話のコウの当て馬っぷりがもの悲しく感じてしまいます。もっと言えば、最終話の連邦のパイロットは空気でした。そういえば最近の作品にもこんなことがあったような気がします。

歴史の穴を埋めるという意味ではとても良くできた作品だと思います。ティターンズの成立を最後に持ってくるあたりとか、さりげなくジム・クウェルがでてきてたり。

ところで一番の見所は、「ソロモンよ、私は帰ってきた!」なのか、最後の散りっぷりなのか、甲乙つけがたいところです。なんにしても、ガトー少佐ありきで。あとは、シーマさんも良い感じでキャラ出てます。『宇宙の蜻蛉』をみないと魅力は半減なワケですが。なんというか、「わたしは故あれば裏切るのさ!」のセリフの重みとかもさ。
で、一番の問題児がニナさんですよ。どうしましょうか、このアリシア姫のようなキャラクター。なんかこう、最終話で一番やっちゃいけないことをやった人。おまえどっちやねんと。

え、主人公ですか?だからガトー少佐ですって。コウなんてただの当て馬です。見てない人にはそれがわからんのです。ガトー少佐のでてこない、月での一悶着は壮大なフリです。ケリーがガトー少佐の戦友だというただそれだけを言いたいがための、壮大なフリです。
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by nino84 | 2006-01-25 11:00 | 視聴メモ
『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987)を観ました。

ここを定期的に見ている人は誰も知らないだろうアニメ作品。実は『新世紀エヴァンゲリオン』や『不思議の海のナディア』などを制作したGAINAXの作品です。

世界で初めての有人宇宙飛行計画を立ち上げた王立宇宙軍だったが、今まで実績がないために政治的な立場は弱い。そのため打ち上げ場所を国境付近にされ、打ち上げ計画は戦争の口実に利用されようとしていた。かくて隣国の軍は動きだし、打ち上げ台の周辺で交戦が始まる。そのため宇宙軍は撤退を迫られるのだが…。
まとめてしまえば世界初の有人宇宙飛行を目指す男たちの物語です。

主人公は最初水軍に入隊しようとしたが、成績が悪く宇宙軍に入った。そのため冒頭の彼のモチベーションは低い。彼がやる気を出したのはある女性と出会ったからだが、要するに彼女の気を引きたかったのだ。そのため、計画が本格的に動き出すと彼は迷い出す…。と解釈したのだけれど、実際よく分からない。他の登場人物を置いてけぼりにするならともかく、視聴者まで置いくのはいただけない。
また変な宗教観(?)のようなものを絡めていったからこそのラストのセリフではあるんですが、もう少し上手く絡ませることはできなかったのでしょうか。二つの要素が乖離してしまっている気がする。

ただ、ラストシーンの盛り上がり方は素晴らしく、この作品はラストシーンのためだけにあるといっても過言ではありません。主人公シロツグの声を当てているのは森本レオなのですが、彼が起用されたのは、ラストにあのセリフを喋らせる、ただそれだけのためだったのではないかというほどです。またこれはラストシーンに限ったことではありませんが、作画のレベルはとても高く、音楽も良いのです。
スタッフは作画の関係では作画監督に庵野秀明(『新世紀エヴァンゲリオン』監督)、貞本義行(『新世紀エヴァンゲリオン』キャラクターデザイン)。原画が江川達也(『東京大学物語』ほか)。さらに美術に樋口真嗣(『ローレライ』、平成ガメラシリーズ監督)。音楽は坂本龍一(『戦場のメリー・クリスマス』)。よくぞこれだけ集まったという感じがする。良いスタッフがあつまれば良いシーンがとれると言うことか。


この作品を観るなら細かいところを気にしていたら負けです。初めのシーンで主人公の服装が突然替わろうが、目をつぶっておくべきです。ラストシーン、ただそれだけのためにこの作品は存在します。


ちなみに、僕は知りませんでしたが、脚本の方も最近有名らしい。マクロスでデビューして、最近ではガンダムSEED、SEED destiny、エウレカセブンなどを手がけている人だそうです。
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by nino84 | 2006-01-14 10:53 | 視聴メモ

『ピーター・パン』

『ピーター・パン』(ジェームズ・バリー)を読みました。訳者は本多顕彰さんです。

僕は読書でもカウンターバランスをとる必要があると考えています。『毛皮を着たヴィーナス』や『ソドム百二十日』などを読む傍ら、こういったもう一方の端にあるような本も読んでいきたいと思うのです。バランスをとらないでいると、とても危ない人のように思われることもあろうし。

閑話休題。本書はあのディズニー映画『ピーター・パン』とは違います。ピーター・パンは当然出てきますが、ウェンディーもティンカーベルもフック船長も出てはきません。全く別のお話です。登場するのはウェンディーではなくメイミーという女の子で、彼女の役割は「母」ではなく「恋人」のようです。

ロンドンにあるケンジントン公園は夜になって人がいなくなると、昼とは別の顔を見せる。公園内を妖精や小人が闊歩しますし、公園の中にある蛇型池に浮かぶ島では人間の子どもとなる鳥が生まれます。ピーター・パンは生まれて7日目に鳥であるときのことを思い出し、島に戻ってきてしまいます。そのために彼は鳥でもなく人間でもない中途半端ものになってしまったのです。一度は母のことを思い出し、家に帰ろうとするのですが…。


あらすじがあらすじになっていないという、困った状況。基本的には中途半端もののピーター・パンをめぐるエピソードの紹介という形が取られています。また、大人が子どもに語るような書き方をされているので、文体に慣れるまでに時間がかかりました。しかし視点はあくまで子どもの目線であり、そこかしこにあるちょっとした疑問を上手く解釈して見せています。そうした無邪気さの端々に世間の厳しさのようなものが挿入されており、いろいろな側面を見せてくれる作品です。

何ら伏線なくあらたな単語が出てくるのはいかんともしがたいところですが、最後まで読めばとりあえず情報はそろっています。2回読んだらとてもよく分かる作品でしょう。もっとも、僕は読んでいませんが。

ちなみに姉妹編として『ピーターとウェンディ』という姉妹編があるそうで、レビューを観るとこちらの作品がかのアニメ映画の原作のようです。
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by nino84 | 2006-01-12 10:24 | 読書メモ

『機動戦士ガンダムF91』

『機動戦士ガンダムF91』(1991)を観ました。DVDの完全版だそうです。

もう何度か観てるんですが、観るたびに新たな発見があります。年をとって見る目が変わったからでしょう。シーブックの父はあんなに格好良かっただろうか。また(ものすごく初歩的な部分な気がするが、)アンナマリーの裏切りはきちんと複線引いてたんだとか、いろいろなことを思いました。あとは、シーブックが母に対して敬語だったのはちょっとした衝撃。

ただ、ロナ家やコスモ貴族主義とかいったものはやはり情報不足が否めないかと思います。たしかに、劇中にはカロッゾ(鉄仮面)が養子であることなど、ロナ家の人物関係はセリフの端々から分かることでしょう。また、コスモ貴族主義がどのような思想であるかということもマイッツァーが少し語っています。しかし、小説でロナ家とコスモ貴族主義について一巻分を用いて説明したものがあのような形で一端だけ見せられても理解しがたいと思います。


小説といえば、小説版はラストシーンが違いますね。映画版のラストは映像で観れば感動もするだろうけれど、あれを文章で読まされるのはちょっと違うような気がするので良いとは思います。あんなまどろっこしいのが嫌いなら小説版をどうぞ。ただし小説は上巻の冒頭から200ページ、永遠ロナ家のお話。また、話の動きだしは映画の学園祭の前からスタートします。全体的に説明が多いのでそのつもりで。情報を補完したい場合には是非もなくどうぞ。

また映画用に作ってあるので、ヤマ場とヤマ場の間に息をつく暇があります。そういう点では現在進行中のZガンダム3部作よりも見やすいのではないでしょうか。ただエンディングのTHIS IS ONLY THE BEGINNINGには賛否両論あるとは思いますが、どうなのでしょう。コスモバビロニア滅びてないしね。根本的に解決してないよと言われても仕方ないというか。
テレビ用の企画がお蔵入りとなったので、仕方ないらしいです。大人の事情というものです。
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by nino84 | 2006-01-10 10:54 | 視聴メモ

『小僧の神様 他十篇』

『小僧の神様 他十篇』(志賀直哉)を読みました。

太宰治の『如是我聞』を読んだことであまり良いイメージのない作家ではあるのですが、とりあえず読んでみなければ何も言えないだろうということで読んでみました。といっても、長編『暗夜行路』ではなく短編集です。

収録作品は『小僧の神様』、『正義派』、『赤西蠣太』、『母の死と新しい母』、『清兵衛と瓢箪』、『范の犯罪』、『城の崎にて』、『好人物の夫婦』、『流行感冒』、『焚火』、『真鶴』の11編です。先入観が問題なのか、あるいは作品が元来そういうものなのか分からないのが難しいところですが玉石混合という印象を受けました。
具体的には一言多い場合があるのです。『小僧の神様』の終わりはまさにそれで、「作者は此処で筆を擱く事にする。実は小僧が… ― とこういう風に書こうと思った。しかし…少し残酷な気がして来た。それ故作者は前の所で擱筆することにした。」となっています。筆を擱くと言いながら、構想だけ書いてしまっています。読者に対して二つの終わりを提示しているのと同じであって、すこし受け入れがたいのです。

さて、作品が全部で11篇もあるので批判しか書けないような作品は割愛しようと思います。

『正義派』
路面電車が女の子を轢いた。現場は下り坂だった。しかし電車の運転士が電気ブレーキを早くかけていれば女の子は助かったかもしれなかった。野次馬の人混みの中で運転士への聴取がなされたが、あくまで不可避の事故であると処理されようとしていた。
そんななか、目撃者である3人の工夫がそれに異を唱え警察署へ証人として出向いた…

以前、模試か何かでみたことがあると思うのですが思い出せません。事なかれ主義への反抗とそれに負けてしまう人を描いたものでしょうか。

『清兵衛と瓢箪』
清兵衛は瓢箪を集めるのが趣味だ。ある日、それが勉学の妨げであるとされて打ち割られてしまう。ただ1つ割られずに残った瓢箪も父に没収され、ある小間使いの手に渡る。小間使いはその瓢箪を売ろうとするのだが…

好きこそものの上手なれということでしょうか。子どものやりたいことの邪魔をする親はいつでもいるものです。勉強だけが全てではない、というのはそう思いたいものですが実際はどうなんでしょうね。

『流行感冒』
「私」は自分の子である佐枝子を非常に大切に育てている。かつて最初の子が死んだからだ。ある時世間で感冒が流行りはじめた。「私」は子に感染させまいと小間使いにできるだけ人の多くいるところには行かないようにとのことづてをする。しかし、小間使いの1人は演劇へと足を運んでいるのではないかと疑われ…

「私」の小間使いへの感情の変化を追った作品です。「嫌な気持ち/良い気持ちをもった」で片づけられている部分が少しもの足りませんが、微妙なところなので仕方がないともいえます。といいながら、それを言葉にするのが物書きの仕事だろうとも少し思いました。


やはり長くなってしまいました。
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by nino84 | 2006-01-06 10:25 | 読書メモ