本の感想などをつらつらと。


by nino84
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『夜のピクニック』

『夜のピクニック』(恩田陸、新潮文庫)を読みました。

「歩行祭」と呼ばれるそれは、全校生徒が丸一日歩くという北高の伝統行事だ。
よく晴れた朝、多くの生徒がそれぞれの思いを胸に歩き始める。3年生にとっては最後の「歩行祭」だから、それぞれが思い出やたわいない話をしながら歩く。3年生である甲田貴子もそれは同じだったのだが、彼女は一人、密かに賭をしていた。その賭に勝ったら…



仲間内で8時間耐久読書というのをやって、そのなかで最後の作品だったので、とても疲弊して読んでいました。それでも楽しく読めたのですから、それなりに文体が軽くて、読みやすかったということでしょう。

内容的には、ジュブナイルなんですかね。なにか大きな事件が起きるわけではなくて、基本的には、淡々と歩くだけ。そうしている間の生徒間での会話で話が展開していく。ある意味で極限状態だから、いろいろな話題が出てくる。思い出だったり、進路だったり、恋愛話だったり。そういう内容が、実に高校生っぽく語られる。それがありそうだな、と思うからこの作品が軽く読める作品になっているのだろうと思う。小説なのでキャラクタの設定がそりゃないよ、という部分があったりするのですが…。
それにしても、こういう作品を読んでいると、どうしても自分の高校時代を思い出さざるを得ないわけです。それで毎回すこし落ち込むのです。あまりにもひどい高校生活を送ってきたから…。とても面白かったのですが、あれは高校生活の正しい在り方じゃないな、と年を経るごとに思う。
ただ、理想の高校生活が高度に理想化されすぎていくということもあるのだろうと思う。


そういえば、「いったいどこまでが恋に恋していて、どこから先が恋人に恋していると決められるのだろう」という作中の言葉が妙に印象に残りました。とはいえ、単についこの間、男4人で全く同じ話題で盛り上がったのを思い出しましただけです。だからどうということはありませんが、結局思いこんだら勝ちだろう、とひねくれた結論にたどり着きました。
だって、合コンとかどうするんだよ?みたいな。


ところで、本筋とはほぼ関係ないですが、結局回収されてない謎があるように思います。僕が集中力不足で読み飛ばしてしまったのでしょうか…?誰が、孕ませた~!
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by nino84 | 2006-09-30 21:18 | 読書メモ
『黄昏の岸 暁の天 十二国記』(小野不由美、講談社X文庫)を読みました。

慶国に景王が立って2年と少し、国は少しずつ活気を取り戻しつつあるものの、未だ民は苦しい生活を強いられている。その慶国の宮殿金波宮に北方、戴国より一騎の騎獣が舞い降りる。
その騎上の将軍は深い傷を負いながら、景王に訴える。泰王、泰麒双方の行方がしれないのだと…。



時系列的には最も新しい作品ということになると思います。とりあえず、参考図書として『魔性の子』(小野不由美、新潮文庫)をおすすめしておきます。本作のAnother sideという感じになっているはず。


さて、景王は2つの世界を知っているから、僕らの住む世界の良い点を十二国に持込もうと考える。僕らの住む世界は、国家間の利権が複雑に絡み合いながらも、国家間で連携し、援助する仕組みがある。しかし、十二国ではそれがない。もちろん、一対一の国交は結ぶが、それ以上の国家が絡んだ機構はない。それで、貧困を訴える国が増えるとそのしわ寄せが大国一国に集まるということがあるようだ。それでは、いずれ共倒れしかねない。

十二国は封建時代のような仕組みをもった国であるから、すべてがその時代でとまっているようなものである。それで上手くいっている部分があるのだが、僕らの住む世界はそこをこえた時代であるから、良かれ悪かれ変わっている部分がある。制度というのは、突然大きく変わることは少ないし、革命などで変わるときには、極端に変わってしまい、回顧が許されないことも多いから、どこをどう比べるべきかを見失いがちである。
しかし、ファンタジーでなら―もちろん創作だから、世界の理想を書き付けることはできようが―比べることができよう。

今作では、十二国での陽子の提案が僕らの住む世界での良い点を映し出していると言える。一方で、泰麒の受ける処遇は、僕らの住む世界の暗い部分を映し出していると言える。
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by nino84 | 2006-09-24 21:53 | 読書メモ
『風の万里 黎明の空 十二国記』(小野不由美、講談社X文庫)を読みました。

延王の助力を受け、偽王をたおし、2ヶ月あまり。陽子は景王として即位式に臨む。
しかし、王になったとはいえ、朝廷内には先代に仕えた官吏が多く、陽子が海客であることもあって、あなどられ思うように政はすすまない。
時を同じくして、北方の芳、西方の才から、少女が慶へと旅立つ。それぞれが景王に対する思いを胸に秘めて…。



今作は、陽子、祥瓊、鈴の女性3人を主軸にした物語です。
景王陽子の悩み、はこの世界を知らないこと。まわりに味方がいないこと。
政治も知らず、この世界も知らず、何ができるのか分からない。「よい国」とは何で、どのようなものなのか分からない。分からないことは多いが、そのなかでもやっていかなければいけない。自分の能力の範囲内で、何ができるのか、それを正確に見極めることが、まずむずかしい。何が分からないのか、それを知らなければ、先へ進めない。幸い、彼女は自分を省みることができるひとだから、なにが分からないのかを具体的に知ろうとしていく。
一方、芳国公主―王の娘―、祥瓊の苦しさは、公主としての地位を剥奪され、下男に貶められたこと。
父である峯王は圧政を敷いた。祥瓊は公主として宮殿の奥で、周囲のものには敬われて当然、そういう暮らしをしてきた。王という地位に責任があるように、公主にも責任があってしかるべきであって、圧政を敷いてきた父の行い、また民の現状を知らないのは罪だ、そういって下男に貶められた。祥瓊は、知らなかったことを責められても、仕方がないという。知ろうとしなかった自分を省みることはない。
また、才国の仙のもとで下僕として働く鈴の苦しさは、海客である自分をだれも理解してくれないこと。終生、故郷に帰れないこと。
故郷に帰れず、父も母もおらず、自分だけで生きていくしかない。自分は海客だから、特別不幸なんだ。そう思う。周りを見ることをせず、ただひたすら自分の不幸を嘆く。

無知の知。人間誰でも自分本位になりやすいから、無知を自覚するのは難しい。なにが分からないのか、なにを知らないのか、分からない。陽子は無知を知っていた。そしてそれを解決するために、行動した。祥瓊と鈴は無知を知らなかった。だから、行動できなかった。この差は大きい。
以前『わかったつもり 読解力がつかない本当の理由』という本を読んだことがあるが、なんでも読めば「わかったつもり」になれる。読み物は分かりやすいように書いてあるのであって、わからないようには書いてないのだから、当たり前だ。問題はそこから先のことなのだろう。本を読んで、それが常に行動に結びつくわけではないが、そこから何を得たかは自分の中ではっきりさせておく必要がある。でなければ、自分がなにを知らず、何を知っていたのか、そしてそれがどう変わったのかがわからず、ただ読んだ、ただ知ったで終わってしまう。それはもったいないと思う。



ところで最近、十二国記シリーズばかり読んでいますが、このシリーズはどうも説教臭いですね。ファンタジーだからこそいろいろな部分を強調できる、と以前書きましたが、いよいよ教養本に近いように感じます。NHKがアニメ化するわけですよね。それっぽい。
こういう本、僕は好きですけど、結局好みが分れるんでしょうね。一方で、異端文学と一般に言われるようなものも、僕は好きですが、そういう本は本当に楽しみで読める。人物の突飛な行動が面白いのだ。たぶん、こうして文章を書くことがなければ、「キモい」の一言で終れる。そんな気がする。それも読書の形だとは思う。

読む本の好き不好きってのは、読書で何が得たいかなんでしょうね。読書で教養なんか得たくない、生きた知識しかいらないと思えば、そういう本は読まなくて良い。マンガみたいに軽く読みたいと思えば、そういう本を選べばいい。どの本をどのように捉えるかは、人それぞれだから、つまるところ十人十色の読書の形があるのだろう。ふとそう思った。
だから、世に出回っているどんな作品も賞賛できるし、批判できる。だったら僕は、少なくともどのように捉えて読んで、その結果どうだったのか―つまり、面白かったのか、つまらなかったのか―を認識しておく必要があるのかな。
そうやっておいて、たまたまここを読んだ人に読書の形まで強制することになったら、それはなにか違うかなという気もするが…。
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by nino84 | 2006-09-22 14:40 | 読書メモ
『月の影 影の月 十二国記』(小野不由美、講談社X文庫)を読みました。

中島陽子は、毎日嫌な夢をみる。遠くから、大きな鳥や猿といった化け物が自分に迫ってくるのだ。その化け物との距離は日に日に近くなっていく…、そんな嫌な夢をみる。
そんなある日、彼女は学校で不思議な男にであう。彼があらわれるのに合わせたように、陽子の周りでは異変が起きる。彼は陽子を守るため、といいながら、彼女を異世界へと導く…



シリーズものは読み始めると止まりません。また十二国記です。第一作に戻ってきました。基本は、主人公が別の世界に迷い込むという作品です。主人公と同じ立場に立って情報を手に入れることになるので、はじめから異世界でスタートするファンタジーと違い、比較的感情移入はしやすいかと思います。また、上下巻ですが、上巻は内向的な陽子の性格も手伝って、かなり暗く仕上がっています。
異世界に一人、迷い込む。海客―いわゆる異邦人―だからと差別され、化け物には襲われる。彼女を異世界につれてきた男の正体は知れない…。もとの世界には戻れるか分からない。この状態で暗くならないのはよほど単純な思考の持ち主か、冒険好きでしょう。MARとか、MARとか、MARとか…。

よく分からない場所に一人。助けはない。たまに優しさに触れても、裏切られる。だから、人を信じなくなる。裏切られることのないよう、人と交わらず、一人で生きていく。それが自衛の手段だった。ある人物に出会うまでは…。陽子はその人物に出会って、異世界で初めて友人と呼べる人を見つける。それが、彼女の考え方をポジティブに変えていく。
いくら人を拒んでいても、結局ひとりでは生きていけない。もちろん、期待通りにならないこともあろう。しかし、たとえ裏切られても、「自分がなにか損なわれる訳じゃない」、こういう割り切りかたさえできるようになる。
自分がなにも人に与えず、自分だけ何かを得ようとするのはおかしい。それは自己中心的に過ぎる。他人を強制はできないが、自分は律して立つことができる。だから、少なくとも自分だけは正直に生きようとする。陽子がそのような決意ができたのは、人との関わりがあったからだろう。ひとりではそこにたどり着くことはないと思える。

「情けは人のためならず」、そんな作品。
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by nino84 | 2006-09-21 21:50 | 読書メモ
『カウボーイビバップ 天国の扉』を観ました。

スペースカウボーイ―宇宙を飛び回る賞金稼ぎ―。そんななかの一人、フェイはハイウェイをタンクローリーで走る賞金首を追跡していた。しかし、その車はハイウェイの途中で突然停止し、運転席からは、追っていた賞金首ではなく、まったく別の男があらわれた。その姿をフェイが確認した直後、タンクローリーは爆発した。その混乱のなかで、男は姿を消してしまう…
結局、その爆発は周囲3kmに渡って人々に原因不明の症状を引き起こした。果たして男の正体は、目的はなんなのか…



うまくまとまりませんでした。主人公の名前でてこないし…。

え~、とにかく、この作品はTVアニメ『カウボーイビバップ』の映画版です。TV版はスパイク、ジェット、フェイ、エド、そしてアインの4人と1匹が宇宙を飛び回りながら、様々な事件に遭遇するというお話。今作も、彼らが事件に巻き込まれるという構図は変わらず、色々やってくれます。

個人的にはストーリーを無視して映像や音楽だけで楽しみたい作品です。
舞台は火星ですが、そのモデルはおそらくニューヨークなのでしょう、OPなどを観るとそれを強く感じます。町並みとか、人種とか。後者について言えば、ここまで民族色が強い―登場する人物の人種、民族がここまで多様である―作品はなかなかないと思います。それが登場する人物に幅を持たせていて、面白い。
また、映画レベルのクオリティーですから、動きや書き込みが細かい。先にも言ったように、映像と音楽を楽しむ作品だと思いますので、その辺りはかなりいい。制作にサンライズでなくボンズの名前があったのが、謎ですが、クオリティーが高ければ問題ありません。気にしません。
それに、音楽もよかった。ここまでヴォーカルのついたBGMを使った作品はないんじゃないでしょうか。それがよく場面にマッチしていたと思う。

全体的に、この作品にしかない色が強い。それが一番出ているのが、映像とそれに合わせる音楽なんでしょう。

ストーリーに関しては…、まぁ、いいんじゃないでしょうか。基本的にキャラクタの性格ありきで話が進んでいくので、「成るようになる」感が強くそこまで奇抜なものという印象はない。そういう意味でも、それ以外の部分を楽しむ作品なのかなと感じたりします。
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by nino84 | 2006-09-20 18:29 | 視聴メモ

「帰山」

「帰山」(小野不由美、『華胥の幽夢 十二国記』講談社X文庫収録)を読みました。

奏国王である宗王の息子、利広は柳国にいた。彼は長年にわたり各地を放浪し、その様子を見て回っている。そのため、多くの王朝の終焉を見てきたのだが、柳国にその王朝の終焉を感じていた。


短編や外伝などで多くの国の話をしてきたので、十二国の世界がかなり描写されてきた。そのまとめ、という感じを受ける。7作11巻かけて、かなりの世界を構築してきたなとも思う。

ただ、総まとめという以上の価値をこの作品に見いだせない自分がいます。国の名前が出るたびに、そこを舞台に書かれた作品を思い出して、続きが読みたいな、と思う。そういうことはあるのだけれど、それは永遠に終わらない作品を書くことになるのだろう。
個人的には、最終的に世界の謎解き―徐々にされてきてはいるのだけれど、天帝だとか主に逢山の―をしてくれれば一応の完結をみるのかなという気はする。そこを落としどころにしないと、王朝は滅びるのは当たり前のことであるという認識があるから、いくらでも革命を起し、新しい物語を作ることができる。また、たとえ王朝が安定していたとしても、それはそれで数百年を追いかけるという三国志を超える大長編が誕生してしまう。それに意味はあるのかな、と。
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by nino84 | 2006-09-19 10:27 | 読書メモ

「華胥」

「華胥」(小野不由美、『華胥の幽夢 十二国記』講談社X文庫収録)を読みました。

才国の麒麟、采麟は病んでいた。それは王が失道したという証であったのだが、側近たちは、王の成す政のなにが間違っているのかつかめない。
そんななか、采王の父―その位を太師という―が殺されたとの知らせが入る。同時に采王の弟、馴行の行方が分からなくなった。果たして誰が太師を殺したのか、馴行はどこへいったのか…



突然ミステリ調の作品です。早々にある人物が状況証拠は真っ黒、動機は灰色という状態になり、動機の部分を中心に話が進んでいきます。ですが、国が傾いた状態での出来事ですから、当然そのあたりの状況との絡みがあるわけで、そのあたりの読者へのメッセージは分かりやすいものなのではないでしょうか。

王には能力、人柄、人望、理想…そういったものの総体として天に名君になりうると思ったものだけが、選ばれる。しかし、王も人だから間違うのは仕方がない。でも、たとえなにかを間違ったとしても、王をやめることはできない。それはただ一人、天に選ばれたものだからだ。
采王は理想を高く持ち、それを一途に追い求めた。しかし、彼は政には全くの素人であった。
「先王は税を重くしすぎたから、税は軽くしよう」、「宮中には賊臣がはびこっているから、彼らを片端から罷免しよう」。こうした政策は、一面では正しい。でも、それで国庫が不足し、国が組織として回らなくなれば、状況は悪くなる一方だ。にもかかわらず、高すぎる理想はそれを断行し、結果として間違った政策となった。
采王は先王を倒して立った。しかし、采王は「先王の否定という理想」しかもてなかったのではないかと疑問を呈するものがあらわれる。その人は批判することの難しさを知った。だからこそ、自分を省みることもできた。

組織の規模が大きくなればなるほど、それを運営する人には広い視野が求められる。中国の蝶の羽ばたきがアメリカで竜巻を起こす、ではないけれどちょっとしたことで思いかけない所に大きな影響がでることだってありうる。それを想像する力が必要だ。とすれば、それを批判する側にも、それを想像する力が求められてしかるべきである。なぜなら、批判する人も組織を運営する人であるから。


「間接民主制である日本では、選挙を通してではあるが国民一人ひとりが組織を運営する人であろう。しかし、その多くは大衆となり、考える力を失ってきているようにもかんじられる。規模が大きくなれば、それは仕方のないことだと言えもするのだが、本当はいけないのだろうな…。」という批判がふと思いついたものの、それをどうやって改善するのかという案が浮かばないだけに、本来なら、書くべきではないのだろう。
とはいえ、批判だけならこうも簡単にできるのだ。だからこそ、批判の対象となる物事の原因や影響を深く考えることが難しいのだし、それは意識的にしていかなければいけないことなのだろう。
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by nino84 | 2006-09-18 19:12 | 読書メモ

「書簡」

「書簡」(小野不由美、『華胥の幽夢 十二国記』講談社X文庫収録)を読みました。

慶国の王宮、金波宮より一羽の鳥が飛び立った。それは隣国、雁まで飛び続け、景王のかつての恩人のもとで、友としての王の言葉を伝える。


互いに簡単には会えないけれど、いつも気に掛けている。互いに相手を思うから、無駄な心配は掛けまいと思う。こういう関係をよそよそしいととるのか、どうなのか。
互いに自分の置かれた立場で頑張っている。それが分かるから、互いに言外に励まし合える。また、頑張ろうと思う。どちらかが寄りかかることもできるのだけれど、それはしない。それをすることで壊れるような関係ではないのだけれど、互いが互いを思うからそれをしない。
どちらが気丈というのではなく、互いに支え合うことができる。

理想なんだろうけれど、僕には無理かな。友人にはどこかで甘えたくなるし、それを抑えることは難しい…。


ところで、この作品を読むに当たっては、シリーズ第一作『月の影 影の海』は読んでおくことをおすすめします。断片的に説明はあるものの、今作の考え方を持つに至るまでの、景王やその恩人である楽俊の人物描写が不足しているかなと思いました。
こういったシリーズもので突然短編集から読み始める人がどれだけいるのか分かりませんが…。
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by nino84 | 2006-09-17 11:25 | 読書メモ

「乗月」

「乗月」(小野不由美、『華胥の幽夢 十二国記』講談社X文庫収録)を読みました。

芳国の王は自らの正義を追い求め、どんな些細な罪も許さなかった。そのため、多くの民が裁かれ、処刑され、国は荒れた。国の惨状を見かねた州候の一人、月渓は民を守るために蜂起し、峯王を討った。
それから4年、政は一段落したため、月渓は国政から身を引こうと考えていた。そんなとき、月渓のもとに、慶国から景王の親書を携えた遣いがやってくる。国の代表を辞すると決意した月渓はその親書の受け取りを拒否するのだが…



王は麒麟が選ぶ。麒麟に選ばれるのは、その能力を天に認められた人物であって、だから王としてやっていけるだけの能力を持っているはずなのである。王は仙籍に入り、老いない。したがって、十二国のなかには500年を越える大王朝を築くものもいる。
一方で、短命におわる王朝もある。王ひとりで国を運営しているのではない。また、王は能力を認められたからといって、間違わないわけではない。だから、王が討たれることもある。

政は難しい、と思う。人が人を治めるのだから、間違いもするし、政だけに集中することもできない。一人で治めるのではないから、意志が全体に伝わらなければ、上手くいかない。政の部分で失敗を犯したからといって、その人物全部が間違っているのではない。完全な悪なら、討つのは容易い。しかし、天に選ばれた王なのだから、現実はそうではない。
月渓は討つ決意をするのに、時間を要したし、討ってからも王に言い訳をしたかった。それは王が完全な悪ではなかったからだ。

なにか感想ではなく、本文のまとめなおしのようになってしまった気がします。

そういえば、この作品も長編とのリンクがあるので、先に長編を読むと理解が進む部分もあるのかなと思います。ただ、この作品について言えば、読んでいなければ月渓の立場に立った形で情報の補完がされるので、月渓を主人公とするこの作品への感情移入はしやすくなるのかな、とも思います。
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by nino84 | 2006-09-16 22:01 | 読書メモ

「冬栄」

「冬栄」(小野不由美、『華胥の幽夢 十二国記』講談社X文庫収録)を読みました。

載国の麒麟、泰麒は幼い。それ故に王を選ぶという役目を終えた今、知識に乏しいことと、それによって果たすべきことがなんなのか分からないこと、その2つに悩み、苦しんでいた。
そんな折、泰麒は王からかつて世話になった漣国の麒麟のもとへ大使として派遣されることになり…



また『十二国記』です。長編を読む気になれず、短編集を読み始めました。
泰麒は―どの作品だったかな―長編で、その誕生の顛末が語られています。あとは、『魔性の子』(小野不由美、新潮文庫)がその顛末を別の側面から描いた作品になっています。時系列に従って読み、予備知識を得ると泰麒の置かれている状況などがより分かりやすいと思います。

他人の振る舞いや仕事を手本にするのは良いけれど、それが自分に本当に適したものであるかは考える必要がある。たとえ同じ身分にあっても、自分の能力や、周りの環境によって、求められることは変わってくる。だから、まず自分のやるべきこと、やれることを考えるべきだろう。そのうえで、他人を手本にすることは構わないと思う。という感じかな。

つまりは適材適所…ちょっと違うかな。むしろ、あてがわれた所でできうる最良の選択をしなさいということか。自分の個性をいかせということなのだろう。ただ結局、他人と比べることが多くなって、実際にやろうと思うとむずかしいのだろうけれど。
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by nino84 | 2006-09-15 01:56 | 読書メモ