本の感想などをつらつらと。


by nino84
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「MIMIC」

「MIMIC」(安井健太郎、『ラグナロクEX. MISFORTUNE』角川スニーカー文庫収録)を読みました。

リロイはミリィという女性を訪ねてある屋敷を訪ねた。そこで待っていたのは、「そんな女は知らない」という秘書の男と、その屋敷の用心棒であった。交渉事が苦手なリロイは結局手を出してしまうのだが、どうも用心棒たちの様子がおかしい。


こういう救われない話のほうがなんとなく『ラグナロク』だ、という気がしてしまいます。先日も言ったように、僕の勝手なイメージですが。

やはり立ち回りがあるのですが、今作ではそれに加えてホラーのような要素も加わっています。基本的な流れを変えずに、少しずつ足す要素を変えて作品を形成していくのは、なんとなく先に読んでいた『ホームズ』シリーズに近いものがあるのかもしれません。
特に、ライトノベルの短編というのは、雑誌にオムニバス形式で一話読みきりで掲載していることが多いので、どうしても基本形を崩さずに、何かを加えていくという形になるのでしょう。そういえば、『ホームズ』シリーズも雑誌に連載という形をとっていましたね。

『ホームズ』シリーズの連載当時の読者が誰であったのか、僕は知りません。しかし、作品を読むと、シャーロック・ホームズがヒーロー(「主人公」という意味ではなく、日本語的な意味で)として書かれているのがよく分かります。とすれば、『ホームズ』シリーズというのは、昔のライトノベルのようなものなのでしょうか。時代によって、作品の受け取られ方が変わっていくのは、当然ですから、当時そのような作品であったとしてもおかしくはないですよね。
これから、ライトノベルというのが成熟していったら、どのような位置におかれていくのでしょうね。あくまで漫画と小説の中間だとおもっている僕としては、漫画やアニメの価値が上がっていくにつれて、多少その作品としての地位もあがっていくような気がしています。ただ、最近認められてきたとはいえ、メインのカルチャーになりきれない漫画やアニメの地位がそこまで劇的にあがるとは考えにくいのですが…。
海外で評価され続けたら状況もかわるのでしょうかね。
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by nino84 | 2006-11-30 22:11 | 読書メモ

「剣の断罪」

「剣の断罪」(安井健太郎、『ラグナロクEX. MISFORTUNE』角川スニーカー文庫収録)を読みました。

リロイが山中で助けた少年は、自分の姉を助けるため、一人盗賊のアジトへとむかうのだという。お人よしのリロイはそれについていくことにしたのだが…。


もう少し丁寧に過去のエピソードを考えていたらもっと面白かったのでしょう。たしかこの作品は『ラグナロク』シリーズの初期に書かれた作品だと記憶しているので、多くを求めるのはなんとなく気が引けるので、あまりそういうことを指摘するべきでないのかもしれません。
とりあえず、この作品もリロイが闇の眷属(ダーク・ワン)と呼ばれるものたちを切り伏せる爽快感、というかいっそグロイ感じはよく出ています。『キル・ビル』みたいな感じでしょうか、なんとなくそう思います。

で、最初に指摘した過去のエピソードについてですが、なぜリロイが助けた少年、ケインは姉がその婚約者であるジョシュアを嫌いだと断定したんでしょうか。描写がないのでまったくわからないのですが、後半の「僕が子供だった」の一言で、貧乏である姉は金持ちなんか嫌いに決まっているんだ、と思っていた、ということになっているのでしょうか。それは少し強引な気がします。
一応、最後のジョシュアとの一件については複線が張られていたのですが、ケインの気持ちの部分だけなんとも浮いているように思えました。無理に感動を作り出そうとすると逆に安っぽくなりますよね。個人的には『ラグナロク』なのだから、いっそ誰も救われなくてもいいような気がします。ただ、実際には「ちょっといい話」系の作品が多いようにも思います。
基本的にリロイがヒーローなので、「ちょっといい話」が多くなるのは仕方ないのですが、残虐描写があれだけあると、誰も救われなくても大丈夫な気がしてなりません。なんていうか『涅槃姫みどろ』みたいなのはどうでしょうか。いや、主人公の性格上、そういった展開が無理なのはわかっているのですが…。
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by nino84 | 2006-11-30 00:58 | 読書メモ

「MISFORTUNE」

「MISFORTUNE」(安井健太郎、『ラグナロクEX. MISFORTUNE』角川スニーカー文庫収録)を読みました。

凄腕の傭兵、リロイ・シュヴァルツァーは地方貴族の娘の護衛の仕事をしていた。ほかの傭兵は闇の眷属(ダーク・ワン)を恐れて逃げてしまい、護衛対象と2人きりだ。
じゃじゃ馬な娘の子守りをしながら、それでも仕事だからと護衛を続けるのだが…



一言でいうと、アクション漫画です。主人公、リロイの活躍を楽しみましょう。また、キャラクタはそれぞれに個性的で、今回の護衛対象である地方貴族の娘も一癖あるキャラクタにしあがっています。
作品の落としどころは作品途中でおそらく予想がつくようなものですが、収まるところに収まったということで、読後感はいいと思います。


ところで、この作品、角川のスニーカー文庫ですので、一般にいうところのライトノベルということになるのでしょう。
よくライトノベルの定義とはなんだ?ということが言われますが、個人的には、「キャラクタをメインにした作品で、少年漫画らしい作品」であると思っています。少年漫画にももちろんストーリーはあるのですが、漫画である以上、キャラクタの魅力がその大きな比重を占めるわけで、そういう部分でライトノベルというのは漫画に近いといえます。つまり、一般の書籍がキャラクタとストーリーへの重み付けが後者に対して大きいのに対し、ライトノベルでは五分、あるいは前者に重み付けがされるという部分で異なるのだと思っています。
余談ですが、個人的にはこう考えているため、ノベライズはライトノベルの範疇にはいります。
別の視点で考えれば、ライトノベルの多くは絵師がキャラクタをメインにした挿絵をつけますから、絵の量が減った漫画であるという認識も可能です。どちらにしても、漫画にかぎりなく近い形式の作品であると思います。

ライトノベルというのは一般に敬遠されているようですが、漫画から小説へと移行するためにはよい作品なのではないかと思います。ストーリーの内容は限りなく漫画なのですから、その他の作品に比べて読みやすいと思います。また、漫画に近いということで、多くのコミカライズ作品もありますから、それもライトノベルを読みやすくするものであるといえます。

ちなみに、ライトノベルで文章を読む楽しさを覚えれば、順にライトノベルからその他のジャンルの作品へとも移行しやすいと思うのですが、どうなのでしょう。乙一さんや西尾維新さん、あるいは一部の舞城王太郎作品などはライトノベル的な部分もありますから、こうした作品を経由してその他の作品へと移行していくというのもありだと思うのですが…。

位置付けとしては面白い位置にあると思うのですが、いかんせん漫画を読む層と活字を読む層とが乖離しすぎてしまって注目が集まらないというのが現状でしょうか。こういう現状だと、中間をつなぐというよりも、周りから浮いた作品ということになってしまうのでしょうね…。
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by nino84 | 2006-11-29 00:54 | 読書メモ
「スリー・クォーター失踪事件」(アーサー・コナン・ドイル、大久保康雄訳、『シャーロック・ホームズの復活』ハヤカワ・ミステリ文庫収録)を読みました。

ケンブリッジ大学のラグビー選手、ゴドフリー・ストーントンが失踪した。彼のもとに手紙が届いたその夜、彼は大学の寮から出て行き、それきり行方が分からないという。
マウント・ジェームズ卿の唯一の相続人ということで、身代金目当てとも考えられたが…?



まったく、えぇ話や。

人は誰しも秘密を抱えているわけで、それが仲間にさえ知られることを良しとしないものさえある。ゴドフリーの身に起こっている事件はその類のもので、それがたまたま大学対抗の試合の日程とかぶってしまったために大きな問題になってしまった。それは不運ではあるのだが、彼にとってはやはり事件のほうが重要であり、何事にも変えがたいものであって、そういうものがあるということは幸運なことだ。
しかし、彼は決して幸福などではなく、どこまでも不幸なのだ。それを明かせないことも不幸なら、それが大きな問題となってしまったことも不幸であった。そして事件そのものも…。

一方で、いろいろかぎまわった挙句に、あの結果ではホームズもさぞ後味が悪かろう。この作品についていえば、ホームズはあくまで脇役に過ぎないように思う。たしかに、終始彼を追って作品は展開するもの、それはゴドフリーの足跡を追う作業であるのだから。


ところで、対抗戦といえば、日本であれば早慶戦のようなものなのだろうか。その勝敗がどの程度世間にインパクトをもっているのか分からないが、わざわざ作品にするあたり、よほどものなのでしょうね。ラグビーも同じように、たしかイギリスが発祥なんですよね。たしかオセアニア諸国とイギリスあたりが強いんだと思っているんですが…。
というように、強さの程度はさておき、イギリスにおいてはきっと大衆に受け入れやすい設定なんでしょうね。そういう広い範囲の読者に対していわゆる「ちょっといい話」を書こうということだったのでしょうか。
大衆受けのいい設定で、大衆受けのいい話をやろう、といことだと思ってみたりしました。

そういえばホームズというのは、当時のヒーローであると認識しているのですが、どの範囲の読者に読まれていたのでしょう。中流階級の娯楽作品?多くの人が死んでるので、あまり当時の女性向けではないように思いますが…。時代認識が甘いのだろうか。
それでもこの作品、どちらかといえば、女性の方に受けがよさそうです。

最近、妙なことが気になるようになってきてしまいます。われながら妙な視点で作品を見始めたな、と。
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by nino84 | 2006-11-28 00:13 | 読書メモ

「金縁の鼻眼鏡」

「金縁の鼻眼鏡」(アーサー・コナン・ドイル、大久保康雄訳、『シャーロック・ホームズの復活』ハヤカワ・ミステリ文庫収録)を読みました。

激しい嵐の夜、ホームズを訪ねてホプキンズ刑事がやってきた。なんでもヨクスリーの古い屋敷で殺人事件が起きたという。遺留品には殺人に使われた凶器や金の鼻眼鏡、そして侵入時の足跡さえ残っているにもかかわらず、犯人の消息がまったくつかめないという…。


状況から密室である殺人現場から犯人が忽然と消える。遺留品は多く残っており、「先生、あの女です」というダイニング・メッセージもあるにもかかわらず、どこにいったかわからない。外へ逃げていったと考えても、犯人の帰りの足跡がないのという致命的な欠陥がある。

多くの遺留品が残っているというのは、まったくない場合と異なり、推理を展開しやすいことから、なかなか面白く読むことができた。遺留品がないと何もないところから物語を作らなければいけないが、何か残っていればそこから物語を作り出すことは比較的たやすい。もちろんそれらの遺留品相互、そして状況も含めて矛盾のないように物語を作らなければいけないのだから、それなりに難しい。しかし、一度物語をつくってしまえばそれをたたき台にして試行錯誤できるという点で遺留品がない場合とは異なる。
一方で、遺留品が多ければそれだけ答えが導かれやすくなってしまうわけで、著作者としてはバランスが難しいと思われる。実際、この作品も一ひねり加えられていて、読者が創造しないであろう部分をしっかりついてきたな、という感じがします。
ただ、やはりどこかで見たことがあるパターンにはまっている気がするのはもう仕方ないのでしょうね…。
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by nino84 | 2006-11-25 17:00 | 読書メモ

「三人の学生」

「三人の学生」(アーサー・コナン・ドイル、大久保康雄訳、『シャーロック・ホームズの復活』ハヤカワ・ミステリ文庫収録)を読みました。

セント・ルーク・カレッジで奨学金試験の問題が流出してしまった。教授が自室で問題を校正していたとき、少し席をはずしたら見られた痕跡があったのだという。犯人は同じ寮にすむ3人の学生ではないかと疑われたのだが、決定的な証拠が見当たらない。


人が死なないパターンの作品です。人は死ななくとも、密室という状況が問題になるという作品なので、軽い気持ちで読めて、それなりに楽しめる作品になっていると思います。そのうえで、結末もきれいに終わっているので本当に楽に読める作品だと思います。ミステリは人が死んだり、盗みがあったりと人の暗い部分に注目が集まってしまうので、こういう作品が逆に珍しいように思ってしまいます。「魔が差した」という感じの作品ですから、自分を投影しやすいですし。

それにしても、この作品は突如として性善説にたった作品になっていて、どこか浮いている気がしますね。根っからの悪人というのが描かれるのが多い気がしていましたから、そう思うのでしょうが。


そういえば、奨学金に試験が課されるというのはあまり聞きませんが、たしかに成績表でやるよりはその方が妥当性があるような気がしますね。
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by nino84 | 2006-11-23 23:53 | 読書メモ
『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』を観ました。

2000年春、ネット上で突如として生まれたデジモンは急速に成長し、世界中のデータを荒らし回り始めた。少年達はそのデジモンを倒そうと試みるのだが…


最近『時をかける少女』で話題になった細田守監督作品です。むしろ、『時かけ』以前はこちらが代表作であって、これがもとで村上隆が手がけたルイ・ヴィトンだかのプロモーション映像の監督に抜てきされたとか聞いたことがあります。
そのプロモーション映像をテレビで観たことがあるのですが、今作の電脳空間の表現にかなり類似している部分があるように思います。そういえば村上隆、最近みないなぁ…。僕がテレビをみないだけだろうか…。

さて、作品のはなしに戻りましょう。今作はわずか40分という短い作品ではあるのですが、上手くまとめられた分かりやすい作品なのではないかと思います。
副題の「ぼくらのウォーゲーム」、英語では「CHILDREN'S WAR」ですが、このタイトルに違わない、まさに僕ら、子どもたちだけの戦争が上手く描けていると思います。ネット上に存在するデジモンを倒そうと焦っている子どものすぐ近く、扉一枚隔てた場所でお母さんがケーキを焼いている。ふと振り向けば全く普通の生活が行われているなかで、子どもたちは戦っている。そこにあるのは子どもの世界であって、大人達はその危機に気づかない。
『時かけ』でもそうでしたが、細田さんは普通の生活を描くのが上手いな、と思います。なにか事件が起こっている裏側ですすんでいる日常、それを描くのが上手い。『時かけ』では薫、今作では太一たちの身に事件が起こっているんだけど、その身近にいる母や友だちはそれに気づくことはなく日常の生活を送っている。そうやって日常があるからこそ、非日常が浮き立って、よりぽい感じが出てくるのだと思う。
以下、長々とその対比を書いても良いのですが、ただ長くなるだけなので割愛します。でも、ホントに上手いですよ、演出。

それから、基本的な問題提起として2000年問題みたいなものもあったんではないかと、今更ながらに思います。ネット上で生まれたデジモンは現実世界には決して出てこないのだけれど、電話が繋がりにくくなったり、交通網がマヒしたりしてしまう。僕たちの世界が今どれだけコンピュータに頼っているのか、そのあたりへの警告でもあったのでしょうか。最近では『ロックマンEXE』がこのあたりのテーマだけで何年もゲームやらアニメをやってますね。テーマとしては最近ありがちなテーマなだけに、今作ではそれ以外の部分に目がいったりしました。
この点については、2000年当時、リアルタイムで観たらまた少し違った感想になったのかもしれません。子どもに伝わりやすい2000年問題の描き方って少なかったような気もしますし。
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by nino84 | 2006-11-20 00:17 | 視聴メモ
「六つのナポレオンの胸像」(アーサー・コナン・ドイル、大久保康雄訳、『シャーロック・ホームズの復活』ハヤカワ・ミステリ文庫収録)を読みました。

ナポレオンの胸像が次々と破壊されるという事件が続いた。犯人は、家に侵入した後、他の者には目もくれず、胸像のみに手をつけ、それを破壊して回っているらしい。


犯人の目的はなんとなく分かってしまった作品でした。だからといって、つまらなくなるということはないので、それなりに楽しめました。そもそも、犯人の目的が分かり、犯人の目星がつけられても、他の部分の証明ができませんでしたしね…。

ところで、あきらかに盗品だと分かっているものを手に入れたら、その所有権はどこにあるのでしょうか?もとの所有者にあるような気がしてならないのですが…。文学だから、細かいことは気にしないと言うことでしょうか、それともイギリスでは手に入れた人のものになるのでしょうか。
よくわかりませんが、少なくとも警察のまえでそれを自慢したりはしないでしょうに…。
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by nino84 | 2006-11-17 08:56 | 読書メモ
「チャールズ・オーガスタ・ミルヴァートン」(アーサー・コナン・ドイル、大久保康雄訳、『シャーロック・ホームズの復活』ハヤカワ・ミステリ文庫収録)を読みました。

チャールズ・オーガスタ・ミルヴァートン、ロンドンの恐喝(ゆすり)の帝王。ホームズはある女性のために彼との取引に臨んだのだが、その取引はご破算になってしまった。
そこでホームズは最終手段として法定外の手段をとることを決断する…。



女性が被害者でしかも彼女らが死ぬことがないということで、どちらかというと女性が面白がりそうな作品です。女性の敵に対してホームズがどのように対抗していくのかという作品ですしね。

ホームズが序盤で負けるというのは、ミスリードに乗るというかたちならいくらかあったように思いますが、人と対決して負けるというのは珍しいのではないでしょうか。そうなってしまったことでホームズは犯罪に手を染めることになるので、それが面白いと言うこともできますが。
それにしても、普段推理をしているだけあって、ホームズが犯罪を実行するのがどれだけ容易いか、というのを感じます。それでも、計画通りにいかないのは、作家の意志と犯罪そのものの性格とによるのでしょう。


最後に、この作品のオチに関してです。当時の人だったら、なんとなく誰を指しているのか分かるものなのでしょうか。おそらくそういう作品なのでしょうね。当時の大衆向けに書かれた、ホームズという男の活躍する話。
現実の人物を示唆する作品というのは、現代でも見られます。『Twelve Y.O.』(福井晴敏)とか。とりあえず、現実味が与えられるというので、面白い手法だとは思います。ただし、その書かれたことをありそうだ、と思うかどうかは人それぞれでしょうが。
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by nino84 | 2006-11-16 08:30 | 読書メモ

「ブラック・ピーター」

「ブラック・ピーター」(アーサー・コナン・ドイル、大久保康雄訳、『シャーロック・ホームズの復活』ハヤカワ・ミステリ文庫収録)を読みました。

1895年のある時期、ホームズはウッドマンズ・リー事件というのを独自に調査していた。
その後、警察が助力を求めるにいたり、ホームズはワトソンとともに、事件現場である港町へと出向いた。殺されたのはピーター・ケリアという男で、自分の家のはなれで漁をするための銛でひと突きにされていたという。



一連のホームズ作品の中では、ホームズの理にかなっているのだけれど、一見するとよく分からない行動、というのをよく見かけます。個人的には、その意図が分かったときの驚きと、その行動を一見したときのおかしさというのが同居していて好きです。
今作も、冒頭でホームズが突然「肉屋に変装して、肉屋で豚を槍で串刺しにしてくる」という行動を突然やらかします。肉屋の格好で大まじめに豚に槍を繰り出すホームズ…シュールだ。

閑話休題。今作は因果応報というのがしっくりくる作品でした。殺されたピーター・ケリアにしても、その犯人にしても、です。
ミステリ作品で、人の悪い部分を書かなければならないことが多いのは仕方がないことなのでしょうか。時に、そうでない作品もありますが、多くのミステリはこういうものなのでしょう。
最近は恨みのネタがつき始めて、よくわからない理由で人が死ぬ作品もありますが…。あれは酷いですね。推理を披露し終わった探偵かまわりの人が犯人の自供の後に一言、「そんなくだらない理由で(殺したの)」と言えばとりあえず済んでしまうような風潮があるように思います。トリック思いついてもそれを実行に移す動機が浮かばないからって、そんな逃げ道は作らないでほしい。
今回は良く話がそれますね…。


それにしても、なんだかんだでホームズという人物のつかみ所がなくなってきました。超人的な人物である、というのですでにつかみ所はないのですが、彼が時に人情深い一面を見せたり、茶目っ気を見せたりすると、本当にどれが彼の本性だかわからなくなります。
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by nino84 | 2006-11-13 21:23 | 読書メモ