本の感想などをつらつらと。


by nino84
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『陰日向に咲く』

『陰日向に咲く』(劇団ひとり、幻冬舎)を読みました。

芸人、劇団ひとりによる連作小説です。主人公を異にする5本の短編が収録されています。収録作品は、「道草」、「拝啓、僕のアイドル様」、「ピンボケな私」、「Over run」、「鳴き砂を歩く犬」(収録順)となっています。

「道草」
仕事にプレッシャーを感じていた私は、それから逃れるために、ホームレスになろうと考える。とはいえ、妻も娘もいる身で仕事をやめる決心はなかなかつかず、とりあえず空き時間にホームレスをはじめてみることにした。

「拝啓、僕のアイドル様」
僕の好きなアイドル、ミャーコ。僕は彼女のために今日もファンレターを書く。生活費も削って、ミャーコを勝手に愛している。そのために、最低(限)の生活しか営めなくなり、ホームレスに間違われようが、それでも一方通行的に彼女を愛している。それでいい。

「ピンボケな私」
私は自分に自信がない。自分に自信がないから、恋愛だって私が好きなことを気づかれないようにしていることを、相手が気づくのを待つ。それがダメだってわかってるから、とりあえず、行動しようと思った。

「Over run」
ギャンブルで借金まみれ。パチンコで負け、競馬で負け、さすがにやめ時だとは思ったんだけど、借金は減らない。仕方ないから、ここは一発"神様コール"でお金を手に入れよう。

「鳴き砂を歩く犬」
私、鳴子は今までの不幸な自分から逃れるため、東京にやってきた。修学旅行の時に会った芸人を探すためってのもあったんだけど、なかなか見つからないの。
でも、とうとう浅草のストリップ劇場でソイツを見つけた。


本来なら、1編づつで感想を書くところなのですが、本書が友人からの借り物であるため、時間的な都合から、まとめて感想を書くことにします。冒頭でも書きましたが、本書は、連作小説であり、互いに多少の関わりをもった作品群なので、まとめて感想というのも間違った方法ではないのかな、と自分で納得させてみたり。

さて、劇団ひとりさんの処女作ということでしたが、彼の視点が売れない芸人やオタクなど、一般に社会からの落伍者とされてしまうような人たちに向いていて面白い。彼が芸人として下積みをしてきたからというのもあるのだろうが、そういう人たちの内側を、あまり暗くなることなく描いているのが印象に残る。
また、ただ文章を書くだけでなく、しっかりとそれぞれの作品のつながりが考えられていたり、巧みにミスリードされたり、技巧が施されてもいる。そのために、「あぁ、巧いな」と思える。
それぞれの作品がつながっているといのは、同じ世界にいろいろな人が同じ時間を生きているんだということを実感させる。それは特に、ひとりでは生きていけない、なにか支えを必要とするような人の存在をより強調することになって心地よい感覚を生み出したのだと思える。

もちろん、処女作だから、彼が技巧を施すのは当たり前だと思える。書き手として、持っている道具は使って見たいと思うのが心情だろうから。でも、この技巧の用い方が偶然でなく、彼の意図したところだったら、彼はホンモノだな、と思う。もう一作読みたい。
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by nino84 | 2007-01-25 12:18 | 読書メモ

『犬神家の一族』

『犬神家の一族』(横溝正史、角川文庫)を読みました。

信州の有力者、犬神佐兵衛が亡くなった。彼の遺言が醜い相続争いの元になると予期した顧問弁護士の若林が、名探偵と名高い金田一耕介に協力を要請した。
しかし、その具体的な話を聞く前に若林は殺され、それを契機に犬神の者たちが次々と殺されていく…



横溝正史さんによる金田一シリーズの中の一作です。映画がリメイクされたということで話題になっていますね。『本陣殺人事件』から読むのが正当なのでしょうが、話題になっているものに飛びついてしまいました。

さて、本作ですがなにかと有名なだけにどこかで読んだことのあるようなトリックが使われていました。これについては、読む前の段階―映画の宣伝で佐清を見た段階―でネタになりそうな姿見だったので使われるだろうな、という予測はありました。
ただ、どこかで読んだことがあるということはそれだけ、この作品がミステリの古典となっているということでしょう。そうしたことからもこの作品のもつ魅力がわかるというものです。


個人的には物語の進む速さと僕自身の処理能力の程度が丁度よくマッチしてずいぶん読み易い作品だったと思います。やはりミステリはある程度ゆっくり展開してくれると、頭の中で自体の整理ができるので、読み易いと感じます。『マルデゥック・ヴェロシティ』のようなスピード重視の作品はミステリ要素が入っていてもそれの要素は頭に定着しずらく、ミステリの要素が薄まっていってしまうように思います。もちろん作品ごとに狙いはあると思いますので、それぞれ適切な展開の速度になっていればいいと思いますが。
ミステリとしては本作くらいが丁度いいのではないかと思いました。


読んでみて思ったのですが、映像としてのインパクトはありますね、やはり。佐清や、湖から飛び出した下半身のインパクトは大きいのだろうと想像に難くありません。それに加えて、叙述トリックなしのシンプルなミステリですから、まさに映画にするにはぴったりなのでしょう。最近のミステリは叙述トリックが多くて、映像にした瞬間にネタバレということもおおいようにも思いますしね。
そんななかで、全編叙述トリックの『ハサミ男』(殊能将之)が映像化されているようなのですが、出来はどうなのでしょうか。どうやって展開したのかというアイデア勝負な部分を見てみたいですね。『犬神家一族』とは違った楽しみ方をする作品になっているのでしょうか。

文章を書いていたら、『犬神家の一族』も『ハサミ男』も観たくなりました…。
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by nino84 | 2007-01-21 22:01 | 読書メモ

『日本沈没』

『日本沈没』(小松左京、小学館文庫)を読みました。

小笠原諸島の北に位置する小島が一夜にして水没した。その原因を調査するため、調査班が組まれ、その海域の調査をすることになったのだが、その海底で驚くべき現象を目撃する。
、時を同じくして、全国各地で地震や火山の噴火が続き、日本に不気味な影をおとす…。



ずいぶん前に『日本以外全部沈没』(筒井康隆)を呼んだのですが、こちらを読んでいなかったので、読んでみた。
現実に日本が沈没するなんてありえないと思いながら、それでも―空想の理論を交えながら―理論的に整合性をもたせようとしているため、真剣に読むことができる。それにしても、同じようなことを書くにしても、一方で筒井康隆さんのようにギャグにだってできてしまうのだから、SFという作品は本当に幅が広いと思う。
そういえば、友人が「SFは仮定をもとにしたシミュレーションだ」といっていたのを思い出す。そのシュミレーションの方向性一つで作品が全く変わってしまうのだから、面白い。

さて、本作はタイトルどおり、日本が沈没していく過程を描いた作品です。「もしこうなったら、どうなるだろう?」というシミュレーションをするSFなので、最初から最後までそれを前提にして読めばいい。ミステリならタイトルをなんとかしてぼやかすのだろうが、SFなので結論が見えようが全く問題ない。
異変がどのように発生するのか、また異変を発見したが、予見される危機をどうやって発表するのか、というシュミレーションから始まり、国民はどうやって、どこに避難するのか、さらには日本という国がなくなることで世界にどのような変化が起こるのかといったシュミレーションまで、実にしっかりと書いている。さらに、そうしたマクロな視点でSFだけを書くのではなく、人物も一人一人描くことで、ミクロな視点での純粋に冒険小説的な読み方もできるように思う。
また、シュミレーション事態があまりに突飛かといえば、そうでもない。作品中では地震による年への被害が幾度となく描かれるが、それはまるで阪神・淡路大震災を思い出させる。また、東海・東南海地震の同時発生は最近になって可能性が0ではないといわれている。このようなシミュレーションの意味は、実際に起きたあるいは、おきそうな場合に、人の想像力を助けるということだろう。

それにしても、実にさまざまな要素が絡み合った大作になっている。要素としてSFだけではないから、SFを読んだことのない人でも楽しめるだろう。また、SFといっても宇宙を舞台としているのではなく、まったく身近なところが舞台となっているので読みやすいだろうし、加えてそれでも本格SFなのだから、SFの入門書として十分すぎるほどの作品でもあると思う。
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by nino84 | 2007-01-13 12:15 | 読書メモ

「一九二八・三・一五」

「一九二八・三・一五」(小林多喜二、『蟹工船 一九二八・三・一五』岩波文庫収録)を読みました。

1928年3月15日、治安維持法に基づいた日本共産党に対する大弾圧が行われた。全国的に行われたこの弾圧は、北の地小樽でも行われ、多くの組合の人が拘束された…


この作品では、「蟹工船」とは異なり、組合員ひとりひとりにかなり焦点があたっている。すなわち、組合員それぞれで微妙に考え方が違うことが描かれるの。そのために、組合員それぞれの生活環境がことなること、彼らの家族に対する感情、あるいは家族の組合員に対する考え方、そうしたものが事件を通してしっかりと描かれていくことになる。

組合員に活動に対する迷いがないわけではない。妻や、子ども、あるいは老いた母を巻き込んでしまうかもしれないという恐れもある。また、すでに巻き込んでしまったという悔恨の念もある。しかし、彼らはその迷いを超えるほどの決意をもって活動している。それが、社会のためになると信じているからだ。
彼らにしてみれば、自分たちが犠牲を払うことで、社会が良くなるのなら、それでいいということになる。それにしても、自己犠牲の精神はともかく、周りまでも一蓮托生という思い切りの良さは感動モノである。そういう感覚は、社会全体を思わなければ起きるものではないし、そういう広い視野は僕にはもてそうにない。

また、彼らに対する警察も、この弾圧に対してやりすぎではないかと感じる人がいる。これは、警察が組合員に対して過ぎた拷問を行うことがあったためであり、彼らは人を人と思わないような活動自体に疑問を感じている。現場で働く人は、直接組合員らと接するから、どうしても彼らを同じ人間というくくりで見ることになる。それはある意味で当たり前のことだ。
一方で、直接組合員を見ず、組合員が活動した結果できる社会に思いをはせる官僚はそうではない。彼らは国家転覆などさせるわけには行かないから、彼らを弾圧しろと命令を下す。方法として、言論の自由を奪うなどの方法には疑問が残るが、国家転覆を防ぐということからすればこちらの理論もおかしくはない。

起きているのは、主義と主義のぶつかり合いである。しかし、一方は主義を持つ人がそのまま活動しているのに対し、一方はその活動を人に任せることになっており、妙な対立の構造を生むことになっているのである。そのための捩れ―警察の組合員への同情―が起こりうる。
集団と個人というある人々の捉えの違いひとつで、人は残酷にもやさしくもなれるのだな、と思う。


さて、この作品、小林多喜二の作品であるから、当然(?)プロレタリアを中心に描かれた作品である。そうした立場から見れば、警察による拷問というのは非難の対象であり、十分な反抗の理由となる。この作品のような扱いを受ける組合員がいるという事実が、組合員を団結させうる。また、組合員たちそれぞれの個性を描くことで、活動に迷う組合員も存在する、ということが描かれる。それでも活動はできるということをも示す。したがって、これは組合員を鼓舞する作品であり、活動を広げる作品である、という理解もできうるのである。


ちなみに、以上のような作品だと受け取るならば、先ほどの官僚の理論で言うところの、国家の転覆を防ぐという意味での発禁処分というのも、なんとなく理解できたりする。もちろん、国家としては言論の自由は認めるべきで、それを認めた上で、不満の出ないような社会をつくっていく責任があるのだろうが…。すべての人が幸せ、という社会は難しいのだろうね。
すべての人、というくくりだと、どうしても「ある特定の主義を持つ人」というくくり方はできないから、彼らを集団として捉えることができなくなってしまう。かといって、彼らを個人として捉えれば、結局1億を超える人の不満を片端から取り除いていくことになる。それは不可能だ。
結局、彼らを集団として捉え、その集団についての不平をなくしていくことが国家の役目ということになるのだろうか。そうするにしても、どの集団を選ぶのか、といったことが新たに問題になってくる。不満のない集団なぞ、およそないのだろうから、そうすると政治的な力が強い集団というものに有利になってしまうのだろう。こうなると、よくいわれるところの弱者(政治的、あるいは社会的に力を持たない集団)は省みられることが少なくなってきてしまう。そうすると、彼らが強硬手段にでることになる。すると、国家はそれを弾圧することになって…。

ふむ。国家対弱者という構図まで想像することができた。
では、僕のそうぞうするところの問題点はなんだろうか。結局、どの集団を選ぶのか、というあたりが大きな問題だろうか。それにしたって、たとえ政治的な力を抜きにして、弱者ばかりに手厚くしていては新たな弱者が生まれる。とどのつまり、重要なのはバランス感覚なのでしょう。あとは批判されても折れない忍耐力も必要か。でも、両方を高い水準で備えている人というのは少なそうですよね。


以上、半分以上を作品から得たインスピレーション(妄想)で埋めさせていただきました。この作品が、これだけのことを考えさせうるような素材なのだと思います。
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by nino84 | 2007-01-08 19:27 | 読書メモ