本の感想などをつらつらと。


by nino84
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「洋館」

「洋館」(吉田修一、『DS文学全集』任天堂にてダウンロード配信)を読みました。

港へ向かう路地に古い洋館が建っていた。そこは良平の通学路で、彼は毎日その路地をランドセルを背負って駆け抜けていた。
洋館にはバンカンが住んでいた。もし、捕まれば、リアカーに載せられて、遠い市場で人買いに売られてるという噂があった。


これで6作目になります、『DS文学全集』(任天堂)のダウンロード配信オリジナル作品です。4月分は吉田修一さんが『トロッコ』(芥川龍之介)をモチーフにして描いた作品になっています。
吉田修一さんは、『DS文学全集』の一連のオリジナル作品を描いた作家さんのなかでもっともなじみがなかった方です。代表作の名前を見てもあまり聞いたことがないという…。かろうじて聞いたことがあったのは『パーク・ライフ』くらいでした。芥川賞を受賞されたそうなのですが、存じ上げませんでした。
現代の作家さんの作品てホントに読んでないなぁ、と今更ながらに思います。


さて、内容に入りましょう。本作は『トロッコ』をモチーフにしているということでしたが、同じコンセプトで書かれた他の作品と比べるとどのようにモチーフにするのかという部分が違うかな、という気がしました。
これまでの作品は、モチーフにした作品に出てきた場面やキャラクターを場所や時間を移して作家さんが動かすというように、かなり露骨に下に敷いているという感じがしましたが、本作はそのような露骨に分かるものではありません。トロッコは出てきませんし。むしろ本作は『トロッコ』とテーマ(らしきもの)を一にしているといえます。すなわち、未知のものに対する恐怖というテーマで本作は描かれています。

『トロッコ』での恐怖の対象はどこまで続くか分からない線路でした。主人公はその線路の先にあるものを夢見ながらも、次第に家から離れ、日も暮れていくにもかかわらず終わりの見えない線路に恐怖を覚えるのです。
一方、本作『洋館』では恐怖の対象は正体不明の洋館の住人バンカンです。主人公、良平はバンカンが怖くて仕方ないのだけれど、その正体が気になってしまうのです。そして良平は上級生に誘われるままにバンカンの洋館を訪れてしまうのです。
知らないから、怖い。両作とも、こうした類の恐怖について描いているのでしょう。

校区内にあるいわゆるお化け屋敷を中心にして、うまく現代にアップデートされた作品になっていると思います。
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by nino84 | 2008-04-08 17:24 | 読書メモ

『三四郎』

『三四郎』(夏目漱石、新潮文庫)を読みました。

熊本の高等学校を卒業し、東京の大学へと進学した小川三四郎。東京での学生生活をはじめた彼は、大学の池の縁で逢った女の姿に惹かれる。


久しぶりに本を読みました。何があったというわけではないのですが、本を読みたくなるスイッチというのがあって、それが突如としてOFFになることがあるのです。今回読んだ本を購入したのが前回の更新の2,3日あとのことで、その時点ですでにスイッチはOFFであり、ずっとOFFでありつづけたために結局こんなことになりました。ちなみに、今もスイッチはOFFだと思います。本屋にはいくんですけどね。

また、私にとっては本書が教科書以外で読む初めての夏目漱石作品です。その教科書で読んだ作品―『我輩は猫である』や『こころ』―は当然ですがさわりだけなので、全編を通して読んだ作品は『三四郎』が初めてということになります。入門作品としてどうだったのか、と読了してから思うのですが、まずは一作ということにしておきましょう。
読まず嫌いとか、そういうことではなく単にきっかけを逃しつづけただけなのですが、読まないままに成人を迎えてはや数年が経ってしまいました。乱読気味に読書している日本人にとってそれはどうだろう、ということで半ば駆られるように購入したわけですが、そのあたりの義務感が、夏目漱石に対する敷居を高くし、私の読書スイッチをOFFにしたのかもしれません。

余談が過ぎました。本書の内容について書いていくことにしましょう。
まず、読んだ感想をひとことでいえば、明治時代の恋愛小説らしい恋愛小説だな、ということでしょうか。夏目漱石の著作については、作品名だけは知っているものの、その内容はほとんど知りませんでしたから、こういう何も起こらない恋愛小説を書くんだ、というのが最初の感想でした。
男は積極的に女に近づくことをしない。女も同様で積極的に動くことはない。その結果としてかもし出される二人の間に流れる微妙な空気。それを男の目線でただただ感じられる作品だと思います。
『浮雲』(二葉亭四迷)や、『友情』(武者小路実篤)を読んだときと同じような感じを受けたように思います。

いま読むといっそまどろっこしいくらいの空気ですが、そういう空気が許される、むしろそれが等身大だった時代なのでしょう。そんな気がします。
現代の恋愛小説はあまり読んでいませんが、たとえば『阿修羅ガール』(舞城王太郎)で描かれる「まず行動!」という感じの恋愛は、『三四郎』で描かれる恋愛と対極にあるものだと思えます。。もちろん、価値観の多様化によって、なにが等身大とはいえない時代になってしまったなかで、私がたまたまそのような作品に触れているだけなのであり、現代でも『三四郎』的な恋愛は描かれているのでしょう。しかし、『阿修羅ガール』的な恋愛観が認められるようになった時代が現代であるという言い方はできます。

そんな現代に読む、まどろっこしい恋愛小説。最後に話を締めるために事件はあるのですが、ほんとうに何も起こらないので、そのあたりは覚悟した方がいいような気がします。『友情』のような三角関係すらないのだから、そりゃもう事件が起こる要素があまりにないのです。
ただ、文章は綺麗で、その描写はいいな、という場面は多い―描写が空気感を生んでいるのだから、ある意味で当然ではある―ので、そういうものを楽しむ作品かな、と思う。
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by nino84 | 2008-04-07 16:40 | 読書メモ