本の感想などをつらつらと。


by nino84
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『ドラえもんのび太の恐竜2006』を観ました。

スネ夫に恐竜の化石を自慢されたのび太は、もっとすごいものを見つけてやると躍起になって、偶然にも恐竜の卵の化石を発見する。それでも満足できないのび太は、タイムふろしきを使って1億年の時間を遡らせ、それを孵化させた。孵ったフタバスズキリュウはピーすけと名づけられ、密かに飼育されるた。
しかし、あまりに大きくなりすぎたピーすけを人の目から隠すことは難しく、ある日、町じゅうを巻き込む恐竜騒ぎになってしまう。のび太はピーすけを白亜紀の海にかえすことを決意するが、そこでタイムマシンが壊れてしまい、現代に帰ることができなくなってしまう…



『名探偵コナン』シリーズでも記事を書いてるので、こういう作品で記事を書くのは自分のなかではありなのですが、観てる場所が場所なだけに、書こうか書くまいかと悩んだりしました。まぁ、たぶん書ける。…ちなみに、途中、数分寝ました。

さて、本作は『ドラえもんのび太の恐竜』のリメイク作品です。ただ、私は旧作を観ていないので、なにが違うとか、どっちのほうが良かったとか、そんな話はできません。
そもそも『ドラえもん』っ子ではなかった私は―もちろん日本人ですから登場キャラクターと旧ドラえもんの声優(大山のぶ代)くらいは知っているし、テレビはちょくちょく、長編ドラえもんは1作(『不思議のラビリンス』だったはず)は"とおして"観たことがありますが―『ドラえもん』にそんなにコミットしていないのです。一番はまるであろう年代で別のものにはまっていたというのが一番の原因ですが、その話は本作とは全く無関係なのでやめます。
とにかく、とても久しぶりの『ドラえもん』。しかも新声優での長時間視聴ははじめて、という状況での視聴となりました。

話をもどします。本作は、長編『ドラえもん』らしく、とりあえずなんらか悪者はいるのですが、どうもそれがいなくてもはなしが成立ように思います。そもそも本作は「のび太"の"恐竜」であって、イタリック体で上述のとおり、ピーすけを育てる"母"のび太の物語であって、その決められた別れこそが最も描かれるべきものでしょう。そのために物語の導入部分ののび太とピーすけのやりとりは丁寧に描かれていたと思えます。
卵を孵す一連の流れ、およびその後の飼育の流れについては、そもそもスモールライトはじめ道具を使いつづければ、それで解決したはずの話であって、したがってドラえもんがあえて「あたたかい目」で見守ったという行動自体がこの作品の根幹でしょう。のび太が自分で全部頑張って、頑張った挙句にそれでもやってくる別れをどう受けいれるのか。自分の満足でなく、ピーすけのための選択が、できるかどうか。
当初、スネ夫を見返す道具でしかなかった恐竜に感情移入していく過程。そして、別れに自ら進んでいく過程。一度目の別れの時には、のび太はピーすけをドラえもんの道具を介して観ていましたが、たぶん二度目の別れの後、彼はもうピーすけをそうして観ることはないのかな、と思います。ピー介はペットではないのだから、ずっと保護して、かわいがって、というのは関係として間違っているのです。心配はするでしょうが、監視まではしないでしょう。結局、そうしたことをしないのは、のび太がピーすけの主体性を認めるということです。この最後の時点で、のび太は明らかに親であって、のび太は子離れしています。そんな子離れのお話だと観ました。
そんなことで、―ドラえもんの「あたたかい目」があやしかったので、笑いでまぜっかえされていますが―なに気に序盤のドラえもんの行動は重要かな、と思いました。

こうした思いがあったために、起承転結でいえば、転の終わりがけのもっともテンション的には盛り上がっているべきところで、寝ました。悪役はいらないのではないかと、思ったのです。
もちろん、それでは映画的に盛り上がりには欠けるでしょう。いっそ、もっと短くてもおさまる展開ではありますが、体感の時間が短いとテーマ的には説得力に欠けると思えます。最も短い展開は、一度目の別れですべてが解決するパターンですが、それまでにさまざまな葛藤(スネ夫を見返したいこと、自分で最後まで育てたいこと、ピーすけの主体性を認めること)を詰め込むのは、完成したものを観るまでもなく、明らかに説得力に欠けます。
そこでアメリカ大陸から北周りで日本を目指している最中の飛び飛びのシーンを重ねることに意味があるのです。しかし、ただの旅でたとえ山あり谷ありとはいえ単調になりますから、やはり悪役がでてくることが一番てっとりばやい盛り上げ方ということになりましょう。

結局のところ、私がなにを言いたかったかというと、感想を書こうと決めて観はじめた作品で、寝てしまった言い訳を言いたかったのです。こんなことを書いた後では弁明のようになりますが、新声優陣も、新しいキャラクター描写も違和感なく受け容れられました。とくに新しいドラえもん像は、たぶんむしろ好きですらあります。そんなことで、全体としては面白かったと言えます。最後は(寝起きでしたが、)きっちり感動できましたし。
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by nino84 | 2008-10-07 21:58 | 視聴メモ

『パコと魔法の絵本』

『パコと魔法の絵本』を観ました。

とある病院に、頑固で偏屈なお爺さんがいました。その人は、なにかといえば、人やものにあたりちらし、他の入院患者さんから嫌われていました。
そんなお爺さんが、ある日、病院の中庭で、パコという少女と出会います。彼女はお爺さんに屈託なく笑いかけ、もっていた本を読んでくれたことをとても喜んでいました。
翌日、お爺さんは再びパコと出会います。しかし、パコはお爺さんのことを覚えていませんでした。彼女の記憶は一日しか持たないのです。
しかし、お爺さんが彼女のほっぺに触れたとき、パコはお爺さんに「昨日もさわったよね?」と尋ねたのでした。
彼女の屈託のない笑顔が、お爺さんのを変えていき、そして…



久しぶりの更新になりました。『お伽草紙』(太宰治)の収録作品の感想を全部はかけていないのですが、かれこれ半月が過ぎ、すでに忘れてしまっている部分も多いため、断念しました。また、再読などしたら、書くことにします。

さて、今回は映画です。邦画をみるとなぜか役所広司の出演作であることが多いのは気のせいでしょうか。存在感があるので、そんな印象を受けるのかもしれません。お爺さんすごかったです。
本作での役所さんの役所は、パコとの交流で変わっていく、お爺さんです。若い頃に会社を興し、それを一代で一流企業に仕立て上げ、しかし、会議中に発作で倒れてしまい入院生活を送っています。
彼は、その経営者としての理論から、弱い人間を認められず、しかし、入院している自分が弱いのではないかと思い、結果として自分も認められなくなってしまっていました。仕事ができず、ベッドで寝ているしかない自分の存在意義を感じられないのでした。
彼は、それを怒りとして表出しました。「強い」人間というのを、患者や看護士への暴力、怒りというかたちでしか、表せなくなっていたのです。

彼がパコとであったときも、やはりそのようにしました。彼はパコに意地悪をしましたがパコはそれでも笑っていました。あるときお爺さんがパコを殴っても、翌日パコは笑顔でお爺さんに近づいてきたのです。そこでお爺さんはパコの症状について知らされます。そして、彼は今まで弱いものにしてきた仕打ちを悔います。パコになにかしてやりたいと思うようになったのです。

しかし、彼はその方法を知りません。いままで弱者は切り捨ててきた男です。そんな彼が、彼女にしてあげることを考えることは容易なことではありませんでした。彼は泣きました。泣くことは弱いことだと思っていた彼が泣きました。

一つの出会いで、一つの出来事で、人は変わります。お爺さんはパコとの出会いで決定的に変わりました。自分の弱さを認めることができるようになりました。自分の弱さを認められる人は、人にも優しくなれると思えます。自分の弱い部分を支えてくれるものがあることを知っているからです。今、彼の生活はパコに支えられていました。だから、彼はパコを支えてあげたいと思うようになったのでしょう。筋だけいえば、そんなお話。


ここまで書いてきて、「魔法の絵本」が一度も出てきていないことに気づきました。ここからはそちらの話をしましょう。
お爺さんは、パコが毎日読んでいる本『ガマ王子対ザリガニまじん』の劇をサマークリスマスの出し物としてやることで、パコを喜ばせようと考えます。その物語は、意地悪ばかりしていたガマ王子が仲間の大切さに気がつき、仲間を傷つけるザリガニまじんという悪者と戦うというものでした。

劇をやるには役者がいります。しかし、お爺さんはいままでさんざん他の患者や看護士に意地悪をしてきたのです。彼らは最初、それをすることを拒みました。そんな彼らを動かしたのは、お爺さんのパコへのおもいであり、彼らのパコへの思いでした。

今まで病院にあった不穏な空気はなりを潜めていき、病院中に連帯感が生まれます。一人が変われば、関係が変わっていく。それによって、みんなが変わっていく。人は変わっていくのです。
ただ、パコだけが、変わらずにいました。彼女がすべての始まりで、しかし、彼女は決して変わりません。生きている限り、ずっと自分の7歳の誕生日を生き続けるのです。お母さんの誕生日プレゼントである絵本を毎日繰り返し、読むのです。

それは哀しいことです。だからこそ、お爺さんは違うかたちでパコに物語を体験させてやりたかったのかもしれません。それを覚えていようが、いまいが。


ところで、パコの症状ですが、7歳に直面化は難しいとかんがえたんですかね。直面化すれば、対応策はいくらでもあると思うのですが。もちろん、それをやると自分の症状だけでなく、両親の死にも直面しなければならないし、大変なことはいっぱいあるのですからそれはそれなのかもしれないですね。加えて、別の要因も絡んでいたようですし。

こういうツッコミどころを探すことになるから、間をおいて感想を書くべきではないとたまに思います。登場人物がすべて濃くて、話のテンションの上下も激しいこういう作品は、とりあえず、揺さぶられておくのが正解かな、と思うのです。そうしないと、いろんなものが削がれてしまう。ごく単純な物語だからこそ、そうした向かってくるものを浴びるように体験すればいいのだと思うのです。
もちろん、登場人物がそれぞれ抱えている問題は重いのですが、だからといって、それに立ち止まる時間はくれない。立ち止まる時間はくれないから、とりあえず、一緒に苦しんで、次の場面に飛んでいく。全体としては、そんな感じで楽しんだ。

だから、本当なら、こうやってだらだらとなにかを書いていなくてもいい作品だと思います。ただ、泣いて、笑ってしていれば、いいのかな、と。パコがかわいかったら、それでいいのだし、ザリガニまじんがキモかわいかったらそれでいいのでしょう。
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by nino84 | 2008-10-04 00:28 | 視聴メモ