本の感想などをつらつらと。


by nino84
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『ぼくは勉強ができない』(山田詠美、新潮文庫)を読みました。

ぼくは勉強ができない。でも、それよりも大切なことはあるはずだ。女にはもてるのだし。


本書もまた、借りた本です。短編集なので、本来なら小分けにして書くべきなのですが、借りた本ということもあり、まとめてかきます。もっとも、短編集とはいえ、主人公を一にしたオムニバスの作品ですので、まとめて書いてもそれほど違和感はないのかな、と思いもします。

さて、本書の主人公、時田秀美は17歳の男子高校生です。勉強は苦手ですが、女性にはもてて、今も年上の女性と付き合っています。家では、母と祖父との3人暮らしで、母の浪費が原因で、貧乏くさい生活を余儀なくされています。
本書は、そんな主人公の学校生活を淡々と描いています。淡々とと書きましたが、主人公がサバサバしているため、そんな印象をうけるのだと思えます。スれているというか、達観しているというか。学校という勉強ができることが最大の価値であるとされる場所において、それはできないものとして、別のところに自分の価値を見出す、見出そうとする。そんなところが、彼を一見して強くみせています。しかし、彼自身、それが行き難いことだと認識し始めており、自分がそういった価値観にいることを、全面に押し出すことは、周りの関係をギクシャクさせることもあると、体験的に知っていきます。
彼は本音と建前の使い分けが十分にできず、つねに本音で自分の価値を脅かすものに立ち向かっていくのです。結果、彼に対峙したものは、自分の価値観に真っ向から対決を挑まれる形になり、彼を一緒にやっていきづらいものとして認識するのでした。

そんな彼を支えているものは、そうした彼の生き方をよしとする母であり、祖父であり、年上の恋人であり、またサッカー部顧問の桜井先生であったりします。彼らは、勉強だけに重きをおかないという点で、彼のよき理解者です。そうした保障のなかで、ときに、桜井先生や祖父は彼を気遣い、アドバイスを与えたりもするのです。
そうやって、本音と建前の表出の仕方を調整をしていくなかで、それがいいかどうかはともかく、人間は丸くなっていくのでしょう。たとえば、彼は、独りは寂しいということをしりながら、しかし、そのやりかたゆえに独りになりかねない状況にありました。そうした状況は、彼にどうやってそれを避けるようにやっていくかということを考えさせるのです。こうして自分の価値観のなかにまわりの価値観を合致させていくような、芯のしっかりした人物というのは、尊敬に値します。
もちろん、自分の価値観のみで世間でやっていける主人公の母のような人も時にはいるようで、それがまたかっこいいのではありますが、そんな無茶な、と思いもするのです。それに比べると、主人公のとっている方法、自分の価値観のなかに他者の価値観を取り入れていくというのは、ずいぶん現実的です。
現実的ではありながら、広くいわれている価値観で生きるのではなく、自分の価値観、信念をもっているというのは、やはりかっこいい生き方といわざるをえない。
そうした普通とは少し違った生き方は、それだけエネルギーが必要とされる生き方でもあります。彼の行動からは、そうしたエネルギーが感じられ、それが彼のかっこよさ、ヒロイズムにつながっているのだと思えます。
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by nino84 | 2009-03-25 01:54 | 読書メモ

『鴨川ホルモー』

『鴨川ホルモー』(万城目学、角川文庫)を読みました。

ホルモオォォォォォ!今日も京都の街に叫び声が響く。
俺は京都大学に入学し、京都青竜会に勧誘され、そのままホルモーなるなぞの競技に参加することになった。なんでも4チームの対抗戦らしいのだが…。



今回もやはり借り物です。2人の人から「ただただ面白い、訳わからないけど」という同じような感想をきき、勧められ、そのまま借りてしまいました。なんでも『鹿男あをによし』の著者のデビュー作なのだそうです。
読んでみての感想は、やはり「ただただ馬鹿らしく、面白い。でも訳はわからない」というもので、ここまでくると、誰が読んでもそんな感想を持つのではないかと、思ってしまいます。


さて、本作はホルモーという競技をめぐる物語です。その競技の実態について記すと、おそらく本書を読んだときのおもしろさが半減してしまうので、これ以降にも競技の詳細は伏せておこうと思います。
ただ、その競技に負けると、ホルモオォォォォォォ!と所はばからず叫びたくなり、また、突発的にチョンマゲにしてみたくなったりしてしまうのです。怖いですね(笑)

ホルモーという競技をするサークルの話ですから、人間関係であったり、恋愛模様であったりといった大学のサークルらしい描写もあるにはあるのです。しかし、そこで作り出したシリアスな感じも、チョンマゲの存在によって、どうもシュールな笑いを含んだ場面に落とし込まれてしまいます。結局、シリアスな場面は、次にくる爆発のための溜め、間、にしかすぎません。基本的には全編、馬鹿話です。もちろん、主人公たちはホルモーを本気で行うのであって、その態度自体は非常にまじめです。しかし、いかんせん、チョンマゲです。
バカなことは、本気でやるから面白い、というのを地でいく作品になっていると思います。
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by nino84 | 2009-03-22 21:51 | 読書メモ

「オルタ」

「オルタ」(木地雅映子、『氷の海のガレオン/オルタ』ピュアフル文庫収録)を読みました。

オルタはアスペルガー症候群の女の子です。彼女は隣の席の男の子から、一方的に苛められます。その子は突然パニックになったりと、周りのサポートがないとやっていけない子でした。したがって、先生は被害者であるオルタよりも、その子のことを気にかけます。親である私は、オルタに学校に気をつけろといいました。


昨日に引き続き、木地さんの作品です。今作も世間になじめなさを感じている子を中心に据えた作品ですが、「氷の海のガレオン」が本人目線であったのと異なり、母目線の作品となっています。すでに本を持ち主に返してしまったこともあり、十分に内容を振り返れないかもしれませんが、覚えている範囲で感想を書いていこうと思います。

さて、冒頭で述べたとおり、本作のタイトルにもなっているオルタはアスペルガー症候群の女の子です。物語の冒頭で、男の子に苛められるわけですが、その子もまた、自閉症スペクトラムあるいは精神遅滞らしく描かれています。
その男の子がオルタを苛める。被害者と加害者という枠ができて、しかし、そこでは男の子のハンディキャップが大きく取り上げられることで、オルタはあまり省みられることがありません。オルタは「自分がなにか悪いことをしたのだ」と考え、問題を外に出すことはしません。したがって、先生からすれば、適応している子です。そのために、よりハンディキャップのある男の子をあたたかく見守るという選択肢をとります。
男の子は常に問題を外に出す子で、したがって、その子をクラスで支えていこうという先生は、集団を運営していく上では、正しい。しかし、オルタはどうなる?と母としては思うのです。母は常にオルタの味方で、したがって、その先生の方針とは相容れません。

なにを大切にするか、ということで物事の対応は全く異なったものになります。母は、オルタの特徴を良く知っており、したがって、オルタを懸命に守ろうとします。先生はオルタのことを十分に知りません。また、同時に多くの子のこともかんがえなくてはなりません。したがって、オルタへの対応を十分にすることはできません。それを承知した母は、オルタを学校に行かせないという選択肢をとります。

どんな環境が子どもにいいのか、というのは、それぞれに異なります。学校という環境設定は、定型発達の子どもたちにはその発達段階にあった環境を提供してくれますが、自閉症スペクトラムの子どもたちにとっては必ずしもそうではないでしょう。刺激が多ければ、パニックになるかもしれませんし(こういう方法は過多になった刺激を処理する方法です)、発達がゆっくりであり形式的操作のレベルに達することが遅く、ものごとの処理が遅くなる、そもそも内容の理解ができないといったことで、同年齢集団の中での集団教育では上手くやっていけないことがでてきます。近年では、そのために特別支援で個別指導計画の必要性が叫ばれていたりするわけです。
ここでは、母は、オルタの個別支援の方法を考え、結果として学校に行かせないという選択肢を選んだわけで、決して「学校に行く意味なんかない」といっているわけではないのが重要でしょう。オルタについていえば、適切な環境を学校側がとってくれるなら、オルタは学校にいけるわけです。学校に行くことについて考えたとき、メリット―一般的知識の習得、友人関係をつくる、親から離れて活動するなど―と、デメリット―今回は、特定の男の子との関係性のなかでオルタが自尊心をなくしていくこと―を比べて、デメリットがオルタにとって将来的にフェイタルであり、メリットよりも大きいと考えられたための選択でしょう。
なんにしろ、安易に、学校に行かなくてもいいんだ、と考えてほしくはないところです。これは自閉症云々に限ったことではないと思いますが、その子にとって今、大切なことは何かというのをよく見ていく必要があるということでしょう。それをしなければ、適切に動くことなどできはしませんから。


「氷の海のガレオン」に比べると内容的に難しいように思えますが、面白かったです。最近、学校教育で必要だといわれていることを母の視点から上手く書いているかな、と思います。
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by nino84 | 2009-03-21 22:32 | 読書メモ

「氷の上のガレオン」

「氷の上のガレオン」(木地雅映子、『氷の上のガレオン/オルタ』ピュアフル文庫収録)を読みました。

斉木杉子、11歳。私は自分が天才だと自認している。他のクラスメイトには私の言葉が伝わらない。ある子は私を「友達」だとよってくるけど、それはどんなものなの?
家に帰れば、そこには図書室とハロウがいる。そこでなら、私の言葉が通じる。だから、学校なんてなけりゃいい。



普段あまり読まない類の本を読んでみました。借りたのですが、その人も人から勧められたそうで、こういうのを口コミで広がる、というのでしょう。文庫のレーベル名も知りませんでしたから、ホントに接点のなかった本といえます。

さて、本作の主人公は小学生の女の子です。彼女には、2人の兄がいて、父と母の5人暮らし。父は、杉子からみても、なにをしているかはっきりしない人で、ふっとどこかへ旅に出るかと思えば、またふと戻ってくるような人です。その留守を守る母は詩人。
杉子の家では彼らの家族のなかでしか通じないような言葉が飛び交います。それは杉子らが独特な生活をおくっているからですが、杉子はそこからくるズレをこれまで感じてはいませんでした。しかし、11歳になって、今、彼女は周りとのズレを感じ始めます。

普通の父は突然、家庭を放りだして、旅に出たりはしません。でも実際には出て行ってしまう父。母もまわりの大人も、それを別に問題とは思っていないようです。人と違うことに対して、すこし意識してしまう時期。でも、その感じを父も母もただ問題ないと言っているようにみえます。受け止めてもらえていないように感じるのです。そこででてくるのがハロウです。ハロウはいつも家にいて、つねに杉子やその兄の気持ちを受け止めてくれます。また、杉子は学校でも話の通じる大人と出会います。それは音楽の先生でしたが、杉子は学校でもその人のところに通い詰めになります。そして、クラスでははますます影を薄くしていきます。
ハロウや音楽の先生に支えられ、杉子は少しずつ感じているズレを意識化していきます。そして、音楽の先生から、母の言葉を聞き、母のやさしさを感じ取るのでした。


言ってしまえば、親父しっかりしろよ、という話かな、と思えます。父は自分の生き方をその家族に押しつけているにすぎません。もちろん、「それぞれがそれぞれでいい」というのは聞こえはいいですし、それはそうだと思えます。しかし、だからといって、放っておいていいということではないでしょう。生き方で示している、ということもできるのでしょうが、どうでしょうか。それを子どもが分かる年齢かといえば、少し疑問です。
もう少し成長すれば、それもわかるのでしょうが、杉子はまだそれが分からない年齢だと思えます。彼女はやっとズレを認識し始めた年齢なのですから。話のなかで、杉子は成長していって、ガレオンが氷を砕いて新たな陸地に着くように、苦しさを乗り越えて新たな地平に到達するのですが、それにしたって、ハロウの助けがあってこそです。結局、父の背中だけをみて、というのは難しいのです。ハロウが父性を担っているのは話としてはともかく、家族としてはどうなのだろうか、と思ってしまいます。
家族という点から言えば、杉子には、兄弟が3人いることで、助かっている部分はありますし、またハロウの存在や、音楽の先生の存在が杉子をサポートしています。そうしたサポートがあるからこそ、杉子は父や母になんとかついていけているといえるように思えます。
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by nino84 | 2009-03-20 10:54 | 読書メモ

「沖で待つ」

「沖で待つ」(絲山秋子、『沖で待つ』文春文庫収録)を読みました。

私と太っちゃんは福岡の営業所の同期でした。赴任の挨拶、先輩のもとについての研修、そして独立してからの営業。ときには街に一緒に繰り出したりもしていました。私たちは同期として互いに支え合っていたのです。そんな太っちゃんが死にました。
私は太っちゃんとの約束を果たすために彼の自宅へと向かっている。


前回の「勤労感謝の日」について書いてから、かなり時間が経ってしまいました。その間に2冊も読んでしまいましたが、あらためて『沖で待つ』に戻ってきました。今回扱うのは、表題作であり芥川賞受賞作品である作品です。

さて、本作の主人公、「私」はとある会社で働く女性です。本作はそんな「私」と太っちゃんとの関係性を描いています。女と男でありながら、そこには恋愛感情ではない、全く別種の信頼関係がある、そんな独特な関係を描いているのです。

考えてみれば、会社というのは人生でもっとも長い期間所属している場所です。その長い職業生活のなか、一番最初の赴任地で共に苦楽をともにしてきた人。互いに支え合い、互いの成功や失敗をずっとみてきた人。互いに別の営業所に異動しても、また再会すればそのときの思い出話に花が咲く。互いに別の場所にいても、同じ会社にいるわけで、そこで積んでいくキャリアは似たようなものになるのでしょう。だからこそ、たまの再会でも互いの話でもりあがれるのでしょう。社会人としての根っこが同じだから、どこか特別な感じがする人。それが同期なのだそうです。

私がまだ若輩なもので、こういう感覚はなかなか共有しにくかったりします。もちろん、男女間で友情が成り立つとは思うのです。たとえば、小中学校の同級生と会えばまたそれはそれで男女関係をさっ引いて話もできるというものです。しかし、小中学校の同級生は根っこはおなじなのでしょうが、その後の進路が大きく異なっていきます。高校を卒業してすぐに働き出す人、大学に行く人、大学院まで進む人、フリーター、会社員、医者・・・。根っこが同じであっても彼らの可能性は無限にあるのであって、その後の人生を共有することは、それぞれが想像を逞しくしなければ、簡単にはできません。
その点、会社の同期は違います。同じ会社で働き始め、そこでキャリアを積んでいくのだから、話が共有しやすい。そこでは、小中学校の同級生とはまた別の関係が生まれてきましょう。

そうはいっても、実感が湧かないこともあり、上記のようなことでちょっと分かった気になるくらいなものです。それまでの関係との違いはそうして理解しうるものの、やはり実感が伴わないこともあって、どうもしっくりきません。まるで男女間で友情とかいった関係が成立しうるのは特別なことだ、といっているように思えてしまうのがなんだかいけません。
おそらく筆者が言いたいのは、そこではなく、会社の同期の関係性でしょう。そうしたことからいえば、性別の差異が扱われているのは、おまけにすぎないと思えます。あるいは、女性側の視点からみれば、男性と同等でいられるという点において、重要なことなのかもしれません。著者は女性ですし、会社で働いた経験もあるということで、おそらく会社の中では性別による差(別)を感じながらも、同期という関係においてはそれが特に気にされるような関係ではないと感じたのでしょう。ただ、男女という部分が否応なく強調されてしまうので、私としては少し違和感のあるものとなってしまいました。
もちろん、同期の関係性の特別さ、というのがそのことで損なわれているわけではありません。むしろ、異性間でのそれを描くことで特別さが強調されている面もあります。ただなんとなくピンぼけかな、という気が私はしました。

とはいえ、経験が決定的に不足している私が頭で理解していることですから、現実はまた違うのかもしれず、働いて長い人が読んだら、また別の感想を持つのかもしれませんね。
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by nino84 | 2009-03-06 22:37 | 読書メモ
『フェルメール―謎めいた生涯と全作品』(小林賴子、角川文庫)を読みました。

デルフトで生まれ、デルフトでその生涯を終えたヨハネス・ファン・デル・メール―フェルメール。現存する彼の全作品をその推定される制作年代順に解説していく。

本書は、前回のピカソに引き続き、角川アートセレクションと題されたシリーズです。実際には、こちらがシリーズ第一作で、ピカソが第二作です。『ピカソ』は読み物としては読みにくかったですが、本書はとても読みやすかったです。もともと、著者の『フェルメール論』という専門書の部分的な文庫化ということもあるのでしょう。ピカソのように極端な作風の変化があるわけではないフェルメールを、しかし、その作品をいくつかの時代にわけながら、丁寧に解説をしてくれています。フェルメールの現存する作品が、30数点。それを時系列にならべ、フェルメールの成長の過程を分かりやすく提示してくれます。

フェルメールといえば、『牛乳を注ぐ女』、『真珠の耳飾りの少女』、『レースを編む女』が有名でしょうか。カラーのこうしたイラストを見ながら、そういえばかつて『レースを編む女』をルーブル美術館で見たことがあった、と思い出しました。
それを一目見たとき、「小さい!」と思った記憶がかすかにあります。本書によれば、その作品のサイズは23.9cm×20.5cm。ルーブル美術館のなかでひっそりと淡い光に包まれたその作品は、当時中学生であった私には、数メートルにおよぶ大きな作品の印象に圧倒され、強い印象を残しませんでした。それでも、確かにその作品を観たという記憶があるのですから、異質な作品であったのかな、と思えます。淡い光、それこそがフェルメールの印象でしたが、本書を読んでみてもあらためて光の表現が美しい印象をうけました。淡い光、強い光、そしてその光をうけるものと人。綺麗です。
フェルメールは彼の周囲で提案される作品からそのアイデアを自らの技法とするように実験的に絵を描いてきます。フェルメールの作品は、ピカソほどではないにしろ、さまざまな表現方法を手にし、確実に変わっていきます。有名な作品であっても、フェルメールが自らの表現のかたちを模索する中で描かれた作品です。それはフェルメールが実験的にさまざまな技法を取り入れ、組み合わせた結果として生まれたものなのです。先に挙げた3作は、すべて傑作と言われていますが、すべて光の表現が異なります。『牛乳を注ぐ女』の光は力強く、生命にあふれながら、それでいて静かな一瞬が描かれています。『真珠の耳飾りの少女』は、強い光でありながらも冷たい印象です。その光から生まれる陰影が、少女の美しさを引き立たせています。そして『レースを編む女』、この作品では、光は全体を淡く照らしています。
こうした作品が、どのような意図で描かれたのか。フェルメールは謎の多い画家であり、その意図まで明らかにした文章は現存していません。それでも、本書は、絵から伺える作者の意図と、その結果として描かれたものに用いられている技巧を解説しています。

現存する作品すべてを解説してくれているということもあり、何度も繰り返して眺めたくなる、そんな本です。ポケットに絵画を。そのサイズも含めて、文字通りそんな本かなと思えます。
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by nino84 | 2009-03-04 21:34 | 読書メモ
『ピカソ―巨匠の作品と生涯』(岡村多佳夫、角川文庫)を読みました。

ピカソの幼少時代からその晩年にいたるまで、彼の作品の変化を時代背景を交えて解説する。

絲山さんの『沖に待つ』はまた続けて感想を書きますが、先に読み終わったので、こちらの本から書こうと思います。本書は、ピカソの人生を追って、その作品を解説するというガイド本となっています。

ピカソの作品といえば「ゲルニカ」であったり、「泣く女」であったりが個人的には有名かな、と思っています。また、ピカソといえばキュビズムで描いている人という印象もありました。私の知識はそれくらいで、いわばピカソの名前と作品を何点か知っているくらいの美術初心者です。
本書は、そんな人向けに書かれたガイド本といえるかと思います。ピカソの幼少時代から、亡くなるまでの作品を一部写真を交えながら解説してくれている。ただ、解説といっても作品の解説というのは最小限になっており、ピカソがどのような時代背景のなかで、どのような影響を受けながら作品を制作していったか、ということが主に解説されています。
ピカソは、スペインからパリへ出て、そこで友人カザジェマスの死を契機に青色を主体とした表現を続けた青の時代に入ります。そこから彼の表現は、ローズの時代、アフリカ彫刻の時代を経て有名なキュビズムへと至り、さらに古典主義の時代があり、そこから再び事物の再構成を進めていくようになります。こうした作風の変遷を解説してくれているのです。そのなかで取り上げられる作品は、タイトルこそしらなかったものの、その多くは見たこともあるものが大半で、そうした点でも初心者向けの本と言えるかと思います。こうして時代別に整理されていると、たしかにピカソの絵が変化していく様がみえ、おもしろいです。
青の時代の作品は、ピカソの心性をよくあらわしており、暗く沈んだ印象です。そこかから徐々に立ち直っていくローズの時代もまだその暗さをどこか引きずっているように思えます。ローズの時代の作品は、痛々しく感じてしまいます。そして、キュビズムの時代は、生涯を通じてそのような表現方法の断片は見えますが、それだけを突き詰めた、という時代はそれほどながくないようです。こうしてみると、むしろ常に新しい表現方法を模索しているということが分かります。また、パートナーを変える度にその人が主題としてあらわれるなど、時代背景や彼の生活のなかでの出来事によってその表現が変化していくのも追えておもしろいです。さらに、作品の写真が入っているという構成もよく、何度も作品の写真を見直そうかな、という気にさせてくれます。


ただ、個人的には一点、気になるところがあります。本としては致命的ですが、本書は文章が読みにくいと感じたのです。本書の文体は普通です、それほど文自体はよみにくいということはありません。しかし、文章としては、エピソードの合間合間に、余談を挟み込み、論点が一時的にズレてしまい、読みにくくなっています。周辺知識としてはおもしろい知識なのかもしれません。しかし、ピカソの話からはなれて、その周辺の表現者の話、さらにその表現者の周辺状況へとだんだんと話がズレていくのは、ピカソの解説を目的として購入している私としては、読みにくく感じられました。著者の知識自慢につきあっているようで、どうも読みにくかったのです。
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by nino84 | 2009-03-01 22:27 | 読書メモ