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本の感想などをつらつらと。


by nino84
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『星の王子さま』

『星の王子さま』(サンテグジュペリ、池澤夏樹訳、集英社文庫)を読みました。

ぼくは、飛行機の故障によって、サハラ砂漠に不時着した。その砂漠での最初の夜、ぼくは不思議な少年と出会った。なんでも彼は別の星からきたのだという。


サンテグジュペリはなぜか『夜間飛行』を最初に読んで、しかも挫折するという個人的に妙な入り方をしてしまった作家なので、個人的にあまりいいイメージがなかったりしたのですが、さすがに本作は楽しめました。やはり世間的にもこちらが代表作なのはうなずける。『夜間飛行』とはまったくの別物のような気がしました。

さて、本作はほとんど説明の必要もないくらい一般に知られた作品でしょう。数年前に著作権が切れたか何かで各出版社が一斉に新訳を出したのを覚えています。ちなみに、本書もその中の一点です。でもタイトルは『星の王子さま』。"Le Petit Prince"で直訳すれば『小さな王子さま』ですが、そこは旧訳に従ってるみたいです。確かに名訳だと思えます。感覚的なものですけど。


なんか、話が内容に一向に向いていきませんが、そろそろ内容について。
「ぼく」と出会う王子さまは住んでいた星をはなれ、星々をまわり、そして地球にやってきました。彼は訪れた星でいろいろな人と出会います。王様、うぬぼれや、ビジネスマン…王子さまは彼らを理解できません。彼らはなにも生み出さず、その役職をこなしているに過ぎないのです。彼らは生きていない。生きること…地球のキツネは友達はもはやつくれず、ただ「飼い慣らす」ことで絆が生まれるといいました。それでキツネは他のキツネと区別されたただ一匹のキツネとして存在しうるし、王子さまも他の人と区別され存在しうるのです。飼い慣らすという表現は主従関係を表すように思われるますが、それは人とキツネの間に起こることだからでしょうか。どうもしっくりきません…。

いま、この文章を書きながら、キツネとのやり取りを読み返しています。終わりがけはなんとなく納得できるのです。「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない。」、「きみがバラのために費やした時間の分だけ、バラはきみにとって大事なんだ。」、「飼い慣らしたものは、いつだって、きみは責任がある。」――最後の「飼い慣らす」に違和感があるものの、全体としてはそのまま受け取れるように思います。
2つめの文はある面から見ると、「コストをかけたらその分の報酬が期待されていて、それを取り戻すまで関係は続けるんだ」みたいなことになってちょっとやなかんじですが…。穿った見方はやめましょう。作品全体としてそんなスレた作品ではありませんので、文脈をすなおに撮っておきましょう。大事だから時間を費やす、ということなのでしょうが、大事の部分がなぜか分からなければ、逆転して考えるしかない。時間を費やしていることすなわち大事なことなのだ、と。それが真かどうかは…あぁ、やっぱり穿ってしまいそうです。はじめの理解がまずいのでしょうか。


全体として、なにかを伝えようとしているのだろうけれど、それはなにか非常につかみにくい、そんな作品だと思います。一度では理解できそうにない、いや、できなかったのですが。何度も読んで、最終的に感覚的にわかる、そんな作品のように思います。
「肝心なことは目では見えない」ということは、結局肝心なことは文字では書けないということでもある。もちろん、作家はその限界を超えようとするのだろう。でもぼくはまだその限界を超えられない。感じることが大事な時だってある。だから先人は「多くの経験を積め」というし、「小さいときには外で遊べ」という。言葉は道具に過ぎず、僕たちはそれを使って生きてはいるけれど、感覚はもっと鋭敏で、言葉は感覚を適当に区分けしているに過ぎないのです。感覚のだから人と接したいと思うし、一緒にいたいと思う。言葉ですべてが分かるのなら、今の世界はもっと平和なはずでしょう。言葉だけなら一瞬で世界中に発信できるのですから。
by nino84 | 2007-11-17 14:20 | 読書メモ