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本の感想などをつらつらと。


by nino84
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『ゴリオ爺さん』

『ゴリオ爺さん』(バルザック、高山鉄男訳、岩波文庫)を読みました。

田舎からパリに出てきたラスティニャックは、ヴォケェ館に下宿しながら、社交界に出入りし、立身出世をはかる。
彼はヴォケェ館での隣人であるゴリオの娘たちと社交界で出会い、ゴリオともその娘とも親交を深めるが、同時に華やかな社交界の暗部をみることになる…。



一冊みたいにして一行目を書いていますが、岩波文庫からは上下巻の二冊分冊で出版されています。バルザックの長編小説に初挑戦、ということになりました。
文章としては多分に比喩を使い、回りくどい言い回しが多いように感じましたが、比喩で用いる言葉が当時としてはなじみがあっても私になじみのないものであるために違和感を感じるのかもしれません。注釈を参照しないと比喩が分からないというのはつらいところです。こういうところで背景知識があるとより楽しめるのだろうな、という感じがします。注釈を参照していると、読書のリズムが乗りにくいので。


さて、本書の内容ですが、『ゴリオ爺さん』というタイトルがついている割に、主人公はラスティニャックであるように感じました。もちろん、ゴリオも物語の中心にいる人物なのですが、いかんせん年老い、動きの少ない人物であるので、彼が物語を動かしているという印象はあまり受けません。
とはいえ、話の中心はゴリオの父性であるのでしょう。しかし、それを書くためには状況を描く必要があって、それを描くにはゴリオだけでは不十分だった。彼は社交界には出入りできない、すでに隠居した人間であるから。パリの社会状況を描くためにはどうしても社交界を描く必要があるし、今作はその社交界に生きる人々の暗い部分を描く必要があった。その暗い部分は残酷に人を殺しており、人間本来の感情を歪めていく。そうした社会の中で、ゴリオの父性は、彼の思いの強さにも関わらず、どこか感情が抜け落ちたかたちで利用され、捨てられる。

社交界でいきるものは、おおよそ暗い部分があることをしりながら、それを隠し、表面上華やかに振舞う。新参者のラスティニャックは、古参のものたちからそのことを時に暗に、時には直接的に知らされ、自分の良心との葛藤を起こす。そして、彼はゴリオとその娘との関係に巻き込まれる形で、現実を体験する。
そうした社交界の華やかな部分ではないところを見、あるいは体験しながらも、ラスティニャックはそのなかで生きていくことを決心する。それはそこでなければ得られないものがあるからだ。ヴォケェ館にいては得られないものを社交界では手に入れることができるからだ。


人の集まりが社会であるなら、社会は優しい場であるべきだろう。相互扶助、それが本来の人の集まる意味だったはずだから。しかし、社会が発展することで余裕が生まれ、いつしか社会が人の集まり以上のものになって、人を縛るようになる。19世紀の初頭、パリの社交界はすでに人は社会に縛られていた。今の社会はどうだろうか?
今の社会は人の感情が届かないほどに肥大化しているようには感じられる。しかし、そこが社会である以上参加しないわけにはいかない。今更、リセットなどできはしないのだけれど、それは哀しいことではある。
by nino84 | 2008-01-11 12:04 | 読書メモ